第7話 就職活動
僕は携帯端末を空港整備の無料ネットワークにつなぎ、職業紹介センターにアクセスした。
そして、僕が持っている資格で応募できる求人に片っ端から申し込んだ。その数は五〇を下らないだろう。
しかし、求職者登録するにあたっては、個人IDをシステムに入力しなくてはならなかった。
そして、これが曲者だった。
個人IDは僕の様々な個人情報に紐づいている。氏名、生年月日、国籍はもとより、納税、健康保険、学歴、専門資格、犯歴、そして、懲罰。
僕が火星人であっても、また就職活動を行ったのが火星ではなく地球であったとしても、地球連邦宇宙軍を不名誉除隊になった履歴が個人情報に紐づけされているような人間を採用しようという物好きは、滅多にいないはずだ。
案の定、最初の日は、何のリアクションもなかった。
僕はコオロギの素揚げをかじり、空港ビルのトイレの洗面所で顔と手足を洗い、寝袋に入りベンチに寝転んで睡眠をとった。
あの小さな男の子、ラッセルのことが気になったが、夜の空港ビルでは彼を見かけなかった。夜は自宅に帰っているのか、どこか、別のねぐらを確保しているのかは知らなかったが、それはそれで悪いことではない。僕は少しほっとした。
夜が明けると、僕は職業紹介センターに新しくアップされた求人に、ひたすらエントリーを続けた。一体、何日こんなことを続ければいいのだろう。
お金の心配は当然あったが、二日連続の野宿が早くもこたえてきた。
陸上部隊なら、何日も野営することがあるので、そんなこと言ったら軟弱者と叱られるだろうが、僕はもう軍人ではないのだ。熱いシャワーを浴びて、ふかふかのベッドで眠りたい。どうしても寝袋で寝なければいけないのなら、せめて、みんなと一緒の安心できる環境で眠りたい。隣がイザベルなら最高だ。宇宙港のロビーのようなところで盗難の警戒をしながらでは、熟睡などできはしないのだ。
「なにやってるの? マーサ」
僕がベンチに座って携帯端末の入力画面に集中していると、聞き覚えのある幼い声が耳元で聞こえた。
昨日もそうだったが、特段の気配がしなかった。この子は『忍術』とか『隠形の術』とかを身に着けているのだろうか。
「職探し。おにいさんも仕事しないと、ご飯が食べられなくなっちゃうんだよ」
ゆっくり振り返ると、ラッセルのにっこり笑った歯の隙間に、コオロギの足が引っかかっている。いつ食った分だろう? 歯は磨いていないのか?
「おしごと、みつかった?」
相変わらず、薄汚れたトレーナー姿だ。右手にはコオロギの素揚げが入った紙袋を一つ握りしめている。
「まだ」
「ふうん……じゃ、なにしてあそぶ?」
「はぁ?」
何だか、わからないが、一日ですっかり懐かれてしまったらしい。
「いくつか質問してもいい?」
「なに?」
「コオロギの袋は一つしかもってないけど、もう一袋は、みんな食べちゃったの?」
「うん、おなかすいてたから」
確信が深まった。
きっと、この子には、食事や着替え、入浴のお世話をしてくれる人間がいない。
「ラッセルが、ママに最後に会ったのは、いつ?」
「う~ん、いつかな」
「昨日は、会ってないんだ」
「うん」
「昨日の前の日は?」
「あってない」
やっぱりだ。昨日は深入りしないようにしたけど、つい情が移ってしまった。
親の仇の地球人である僕が面倒を見るわけにはいかないだろうが、何とかしなくちゃ。
火星には、ちゃんとした福祉施設はあるのだろうか?
僕がぐるぐると思案を巡らせていると、携帯端末のメッセージの着信音が鳴った。
僕は思考を中断して、メッセージ画面を確認した。
『アスクレウス資源開発』という会社からの採用面接のメールだった。面接日時は、本日の一時間後、メッセージの地図情報によれば、そう遠くない。ただ、不案内な場所だし、指定時刻前に着こうとしたら、すぐに出発しないと間に合いそうにない。何なんだ、この会社は。
おまけに、数えきれないくらいの求人にエントリーしていたが、エントリーした記憶がない会社だった。そもそも聞いたこともない無名の企業だ。
胡散臭いこと、この上ないが、他からは全く引き合いがない。僕の置かれた状況を考えたら選り好みしている場合ではない。だから、僕には、このメッセージを無視するという選択肢がなかった。
「ごめん、ラッセル。お兄さんは、お仕事に行かないといけなくなった」
僕のセリフを聞いた瞬間、ラッセルの朗らかだった表情は、不安と悲しみに歪んだ。
「マーサも、ぼくをおいていくの?」
やはり、この子は母親に置き去りにされたのだ。仕事に行くと言い残して。
僕は、ベンチから離れて一歩踏み出し、ラッセルの前でしゃがみ込むと、彼の目を見つめた。
鳶色の瞳が僕を見つめ返す。だめだ。やはり、放っておけない。
「お兄さんのお仕事についてきてくれる?」
ラッセルは、不安の色を和らげながら、小さくうなづいた。
僕は思わず、ラッセルのことを抱きしめていた。
『アスクレウス資源開発』のオフィスは、オリンポスシティにある古びた雑居ビルの一室にあった。灰色の合成建材で作られたその建物は、あちこちが小さくひび割れ、壁に塗られた白い塗料もところどころ剥離していた。
僕とラッセルは狭い階段で二階に上がり、突き当りの灰色のスチール製の扉を開いた。
「何か、御用?」
商売っ気の全く感じられない不機嫌そうな女の声が、僕を出迎えた。
室内は狭く、入り口付近でこちらを向いて座っている女性のスチールデスクと、その向こうにある茶色い合成皮革製の四人掛けの粗末な応接セット、そして、部屋の奥にある両袖のスチールデスクでいっぱいだった。社員は二人しかいないのだろうか。随分、小さなオフィスだ。
その小さなオフィスに、今は事務員らしい女性が一人しかいない。
「面接に来ました。マサヤ・マツダイラです」
「ああ、採用面接ね。そこのソファに座って待ってて。面接官は、今、外出中だから」
女性はろくにこちらを見ずに、机の上の光学式キーボードで指を走らせていた。空間投影モニターが顔の前に展開しているが、こちらからは画面の内容は見えない。
女性の髪は薄く淹れた紅茶の色で、頭の上でお団子にしていた。僕と同じく東洋系の顔立ちで、肌は白く、鼻は低く、薄い唇に派手なルージュを引いている。年齢は三〇歳前後くらいだろうか。服装は地味な紺色のスーツだ。
「おじゃまします」
黙ってソファに向かった僕の後ろをラッセルが礼儀正しく挨拶の言葉を口にしながら追ってきた。途中、女性に向かって、丁寧にお辞儀をする。
「えっ、何?」
女性はようやくラッセルに気付くと、目を丸くして立ち上がった。視線はラッセルに釘付けになっている。ヤバい、子連れでの面接はやはりマズかったかなと僕は少し後悔した。女性は僕とラッセルの間で視線を行き来させていた。
「え、え~と、あなたのお子さん?」
「いえ、違います」
どちらかといえば僕はガキっぽく見えるはずだ。弟ではなく、子供と思われたのは心外だ。
「おともだちだよ。ねえ、マーサ」
ラッセルはそう言いながら、僕の方を見て首を横にかしげた。
何だかよくわからないが、女性はその姿を見て目を潤ませている。
「そ、そうなの? ぼうや、お名前は?」
「ラッセルだよ」
「いいお名前ね。かっこいいわぁ。お姉さんは、ユウリよ」
僕に対する不愛想な態度とはえらい違いだ。
ラッセルと話しながら、恍惚とした表情さえ浮かべている。
「ユウリおねえさん?」
「そお、えらいわね。何か飲む? コケモモのジュースしかないけど」
「のむぅ!」
コケモモのジュースは、地球でも寒冷なロシアなどで飲まれているフルーツ飲料だ。モルスとも呼ばれている。
「じゃあ、おててとお顔を洗ってきて、そこに、おトイレと洗面台があるから」
「わかったぁ」
まるで優しい母親のようだ。無類の子供好きなのか?
「お顔を洗ったら、きっとすごいイケメンになるわぁ」
ユウリは、うっとりとした顔でつぶやいた。
多分、口に出すつもりはなかったのだろうが、心の声がダダ漏れだ。ひょっとして、この女、妙な性癖があるんではなかろうな。
ユウリは、しばらくの間、手を洗うラッセルの後姿を目を細めてみていたが、僕の視線に気づいたらしく、急に振り返った。
「なに?」
別人かと思うくらい不機嫌な声だ。
「いえ、別に」
僕は気圧されて口ごもった。
「もどったぞ」
オフィスに妙な空気が流れ始めた時、僕を助けるように男が一人、扉を開けて入ってきた。
このオフィスにいるもう一人の社員は、ダークスーツに身を固めた年配の人物だと、勝手に想像していたが、入ってきたのは、ハイネックの黒いセーターに茶色のジャケット、象牙色のチノパンに茶色の革靴といったラフないでたちの若い男だった。年齢は僕と同じくらいか、せいぜい少し年上な程度だ。
「単刀直入に聞くけどさ。不名誉除隊って、何やらかしたの?」
このオフィスに来るまで、採用面接は会社のそれなりの役職者が複数人出てきて、真面目な雰囲気で行われるものだと思っていた。
しかし、僕の面接を担当したのは、ラフないでたちの若い男ダニエル・ダテひとりだけだった。
彼は、野性的で危険な香りがして、火星人の割には背が低く、胸板が厚く筋肉質だった。癖のある黒い髪は長髪で、眉は太く、濃い。瞳はくすんだ緑色だ。
そして、彼は若いだけならまだしも、おおよそまともな社会人とは思えない態度だった。
僕を面接するにあたり、ソファの肘掛けを使って頬杖を突き、足も組んでいた。言葉遣いもおかしい。
「命令違反です」
立場が立場なので、イライラしながらも僕の方はソファに背筋を伸ばして座り、敬語で会話した。ラッセルも感心なことに、背筋を伸ばして僕の横に座り、おとなしく赤いコケモモのジュースを白いストローで飲んでいる。
ユウリはというと、応接セットの横に立ち、授業参観の母親のような風情でラッセルを見つめていた。
「ふうん、命令違反ねぇ~。どこの部隊で何やってたの?」
「パトロール艦隊所属の装甲擲弾兵でした」
「へぇ、拠点制圧のエリート部隊じゃん」
そう言われても誇る気持ちにはなれなかった。そもそも腕っぷしも弱く、気も弱かったので、あの職場はミスマッチだったし、おまけにクビになったのだから。
「で、地球の市民権はなくなっちゃったの?」
「剥奪されました」
「そいつは、めでたいねぇ」
ダニエル・ダテは声を上げて笑った。
めでたくもなんともない。なんなんだ、こいつ!
「ねぇ、マーサ」
突然、僕の横に座っていたラッセルが、硬い声で話しかけてきた。
「ん、何?」
視線を向けると、僕を見上げる彼からは、穏やかな表情が消えていた。
「マーサは、ちきゅうじんなの?」
冷たい視線が僕の目を射た。この子は思った以上に賢いらしい。
大人たちの難しい単語の中から、僕が地球人である情報をきちんと拾い上げたようだ。
「ごめん、騙すつもりはなかったんだけど……」
その言葉を聞くと、ラッセルの顔はみるみる悲しみに歪んだ。
「うそつき!」
ラッセルは、ソファから立ち上がり、僕に背を向けて駆けだした。
心配そうにラッセルを見ていたユウリが、腰を落としてラッセルを抱きとめる。
ラッセルは肩を震わせ、声にならない泣き声を上げているようだ。
ユウリが物凄い目で僕を睨む。
「で、そのガキんちょは、だれ?」
ダニエルは顔をしかめると、ラッセルのことを顎で示した。
「宇宙港で出会った子です。父親は地球人に殺され、母親は仕事に出かけたまま帰ってこないそうです」
僕は、結果としてラッセルを傷つけてしまったことを深く悔やみながら、言葉を絞り出した。
「なんて、かわいそうなのかしら」
ユウリは、ラッセルの赤い髪をやさしくなでた。
「謝肉祭の惨劇で、そういう子がまた増えたみたいだよな」
それは、僕たちが関与した治安維持活動だ。
多くの人が死んだ。残された家族は皆ラッセルのような苦痛を味わっているのだろうか。
僕はいたたまれなかった。だから、黙って下を向くしかなかった。
「ふ~ん、で、今は君が保護者なの? 何? 罪滅ぼしのつもり?」
ダニエルの言葉が、さらに僕の心を抉る。
「そういう気持ちもあったかもしれません。でも、どちらかというと恩返しです。ラッセルには食料の買い出しでお世話になりました」
僕は震えているラッセルの背中を見つめた。
「持ちつ、持たれつってやつだ。面白いねぇ、お前」
ダニエルという男は感傷という言葉とは無縁らしい。視線を向けると、この状況で不敵な笑顔を浮かべていた。
「んで、宇宙船の操縦ができるってのは、本当?」
そして、突然、面接を再開した。
「小型艇ですけど」
僕は、少しあきれながらも質問に答えた。
強襲揚陸艇の操縦プログラムは終了していたので、軍人特典で小型宇宙船の操縦免許は取得していた。幸い、この資格は市民権と違って剥奪されていなかった。
「採用だ」
「は?」
いろいろと意表を突かれた。
まず、子連れで面接に来て、おまけに騒ぎを起こしているのに、良く採用できるなというのが意外な点の一つ。そして、もう一つ意外だったのは、この若い男が採用面接の最終決定権者だということだ。僕は、てっきり、このお兄ちゃんは最初の関門で、このあと役職者の面接に進むのだと思っていた。
「採用条件のデータをそっちに送る。異存ある?」
僕のゴーグルに電子署名した採用条件通知書が表示された。
給料が安く、拘束時間が長いことが気になったが、断るわけにはいかない。
長く務めるかどうかは別として、とりあえず糊口を凌がなくてはならなかった。
「いいえ、異存はないです」
「で、さっそく仕事してもらうわけだが、問題がある」
「え?」
僕の疑問に、ダニエルはラッセルの背中に向けて顎をしゃくってみせた。
「宇宙資源開発公社からの調査委託業務があんだよ。小惑星アエトラに送られた無人探査艇が消息を絶ったんで、これから現地に行って状況を確認しなくちゃいけねえんだ。ガキは連れていけねえ」
「じゃあ、ラッセルはどうすれば……」
僕がそう言うと、ダニエルは鼻で笑った。
「よお、ぼうや、このお兄さんを宇宙に連れてっていいか?」
ダニエルがラッセルの背中に語り掛けると、ラッセルは振り返った。
目が赤くなっているが、表情を支配する感情は寂しさや悲しみではなく怒りだった。そして、何も言わない。
「ふん、だんまりか。どうやらおまえの片想いだったようだな」
ダニエルは視線を僕に転じると、揶揄するような口を叩いた。嫌な奴だ。
「さて、こいつは仕事に連れて行くとして、ガキんちょをどうするかだな。宇宙港に放り出すのもあんまりだから、火星の福祉局にでも連絡して引き取ってもらうか」
確かに最終的には、そうせざるを得ないだろう。
「ダメです。あんな劣悪な環境のところ」
それまで黙っていたユウリが決然と口を挟んだ。
「はぁ? じゃ、どうすんの」
ダニエルはユウリに、非友好的な視線を向けた。
「私が預かります」
ユウリの強い意志を感じる黒い瞳は、ダニエルと、そして、僕に向けられた。
「へっ? 子供の世話とかできるの? 犬や猫じゃないんだぜ」
「薄汚い大人の世話はできませんが、純真な子供の世話なら自信があります」
汚物でも見るような視線をダニエルに向けながら、ユウリはきっぱりと言い放った。
「けっ、ショタコンが」
ダニエルは不機嫌そうにユウリから視線をそらしたが、なぜか、口元は笑っているように見えた。
「誰かがお迎えに来てくれるまでの間、お姉さんと一緒に暮らそう」
ユウリは優しい表情を浮かべ、目を赤く腫らして沈黙しているラッセルに、ゆっくりとした口調で話しかけた。
「ダメかな?」
とどめの一言は、まるで恋人に語り掛ける様だった。
「いいの?」
ラッセルは、上目遣いにユウリのことを見つめている。
ユウリは黙ってうなづくと、やさしくラッセルを抱きしめた。
寂しい気持ちはあったが、僕は、そのとき直面していた全ての問題から解放された。