第6話 昇進
「昇進ですか?」
私は、肉食獣のような獰猛な雰囲気を漂わせるレンバッハ大尉に、思わず聞き直した。
彼は頭二つ分くらい私よりも背が高く、体重に至っては私の二倍くらいあるだろう。金色の髪をクルーカットにしており、首が太く、顎も頑丈そうだ。青い目は細く鋭く冷たい光を放っている。
そこは宇宙巡航艦ペルセウスの艦長室横にある特別応接室だった。貴重な本物の木材が使われたダークブラウンの壁には、青い惑星を意匠化した地球連邦宇宙軍の軍旗が掲げられている。
私もレンバッハ大尉も黒い軍服姿という正装だった。
「そうだ。貴様は本日付で一階級昇進したのだ。イザベル・イングラム一等兵」
本来、昇進辞令のセレモニーは、もっと、晴れがましいものなのだろう。
しかし、私はレンバッハ大尉のことが大嫌いだったし、彼も私に対して温かい眼差しなど向けなかった。
その部屋には私と大尉の他に、リシャーネク軍曹と、私の知らない女性の少尉さんが同じく黒い軍服に身を固めて立っていたが、二人とも、とても居心地が悪そうだった。
「私は昇進に値する実績など、あげておりません」
私は正面に立っている黒い軍服姿のレンバッハ大尉と視線を合わせることもなく、彼の頭頂部に視線を向けて大声を出した。
「二等兵から一等兵に昇進するのに実績など関係ない。普通に一定期間務めれば、大概は昇進するのだ。四の五の言わずに有難く拝命しろ!」
私の憎悪が感染したのか、レンバッハ大尉も大声で怒鳴った。
きっと腹の中では、『なんだ、この生意気な女は!』と思っているに違いない。
「実績とは関係ないというお話、納得しました。謹んで拝命します」
ここで、私があまり意固地になると、リシャーネク軍曹が『お前の教育が悪い!』と責められるのが明らかだ。私はレンバッハ大尉の頭頂部に向けて敬礼した。
大尉は怒りで口元を歪めながら、私に紙の辞令を交付した。
後で聞いたところによれば、このセレモニーのやり方は遥か大昔から変わっていないとのことだ。私は両手で辞令を受け取り一礼する。
「以上で辞令交付式を終了する。細かいことはアサクラ少尉に聞くように」
レンバッハ大尉は吐き捨てるように言うと、さっさと特別応接室を後にした。
入り口の扉が閉まり、三人だけになると、まず、リシャーネク軍曹が口を開いた。
「勘弁してくれ。なんだ、あの態度は」
「申し訳ありません」
リシャーネク軍曹は怒っているというよりも、困っているという雰囲気だった。
軍曹は爬虫類じみた雰囲気を漂わせる風貌だが、心根が温かいのは知っていた。
彼を困らせるようなことをして、私は素直にすまないと思った。
「では、イングラム一等兵、こちらが新しい階級章です」
それまで所在なさげにしていた黒い髪をベリーショートにしたアサクラ少尉が、意を決したように私の方に近付いてきた。
そして、何の装飾もない小さな赤い台座に白い星が二つ乗った一等兵の階級章を私に恭しく手渡した。
「ありがとうございます」
私は小柄なアサクラ少尉に敬礼すると、新しい階級章を受け取った。
「なお、今回は給与の号給が上がるだけで、特段、処遇の変更はありません。二等兵の階級章は後程、総務担当に返却してください」
先程のレンバッハ大尉への態度を見て、私を危ない女の子だと思ったらしいアサクラ少尉は少し緊張しているようだった。
レンバッハ大尉は嫌いだが、少尉さんには何の恨みもない。私は努めて朗らかに、礼儀正しくふるまった。
「かしこまりました。新しい階級章をつけ終わりましたら、直ちに返却に伺います」
「説明は以上です。兵員室にお戻りください。リシャーネク軍曹もお疲れさまでした」
アサクラ少尉はホッとしたような表情を浮かべると、私と軍曹に敬礼した。
私も思い切り背筋を伸ばして敬礼すると、キビキビと回れ右をして軍曹とともに特別応接室を後にした。
廊下に出た私は、私と同期で入隊した男の子のことを思い出していた。定期昇進ということであれば、マーサも私と一緒に一等兵になっていたはずだ。もし、そうだったら、二人とも屈託のない笑顔を浮かべて、喜びを分かち合っていたことだろう。
マーサは一体、どうしているだろうか。きっと、生活に困っているに違いない。
一瞬、涙ぐみそうになったが、必死でこらえた。毎度、毎度、軍曹に迷惑をかけては申し訳ないからだ。