第5話 宇宙港にて
「それ、いくらですか?」
白くそびえる宇宙港ターミナルビル前の路上で、コオロギの素揚げを売っている露天商のおやじに、僕は声をかけていた。
粗末な合板で店舗らしい体裁を何とか整え、おやじは背後に黒いコオロギの素揚げを山積みにしていた。そして、目の前のカウンターで、手のひらくらいの大きさの褐色の紙袋にコオロギをパンパンに入れて売っている。
おやじは、老人といってもよいくらいの年輩の男で、額のしわが深く、痩せていて、白髪交じりの縮れた黒髪に浅黒い肌、うす茶の瞳の目つきの悪い男だった。薄汚れた黒いタートルネックのシャツにポケットがいっぱいついたグレイのベストを羽織っている。
「お客さんは地球人かい」
上目遣いに発したその声は、かすれ気味で酷い火星訛りだ。
「えっ、生まれは地球ですけど」
予想外の質問に、とっさに本当のことを答えてしまった。
イザベルとお別れの言葉を交わす間もなく空調の快適な宇宙巡航艦ペルセウスから叩きだされ、昨日の夜はうすら寒い空港ビルのベンチで寝袋に入って寝たので、熟睡できず頭がボケていたのかもしれない。
この時の僕は軍服を召し上げられて、薄汚れた合成繊維素材の青いパーカーに、黒いスキニーパンツ、黒いスニーカーに寝袋ほかの荷物を背負っているといういでたちだったので、火星の地方都市から出てきた旅行者だと誤魔化せば、それで通ったような気もする。
多分、言葉で地球出身だとバレたんだと思うけど、嘘を言ってごまかすという選択肢だってあったはずだ。
「じゃあ、一袋一〇〇〇ユナイテッドだ」
「そんなに?」
それだけ払えば食堂で飯が食える。
コオロギは、牛や豚、鶏肉などが高くて買えない火星の庶民のためのたんぱく源だ。地球人は普通口にしない。安いはずだと思って声をかけたんだが、地球人ということで思い切り吹っ掛けている。
「嫌なら、他をあたってくれ」
そう言うとおやじは僕から目をそむけた。
口元がもごもご動いて低いつぶやきが微かに漏れる。
『人殺しのクソ野郎どもが』
僕は暗い気持ちになり、おやじに軽く頭を下げてその場を立ち去った。
僕は途中で気を失ってしまったので、現場にいたにもかかわらず詳しい経緯は知らないが、暴動自体は、装甲擲弾兵の『活躍』により速やかに鎮圧されたらしい。
しかし、俺が知っているだけでも、かなりの死傷者が出たのだ。あの後、何人死んだのかわからない。火星では地球人なんか、きっと、忌避と憎悪の対象でしかないだろう。
もしも、僕が元軍人で、おまけに、あの時あの現場にいた装甲擲弾兵の一人だとバレたら、命が危ない。きっと、さっきの露天商のおやじも、そこを歩いている大柄の中年男も、狂ったように僕に襲い掛かってくるだろう。背筋に寒気が走った。
あの後、僕は、ごくわずかの私物とともに、オリンポスシティの宇宙港に放り出された。
当然、退職金などはもらえるはずがなく、それまでの給料でコツコツ貯めた五〇〇〇〇ユナイテッドに満たない貯金だけが僕の命綱だった。
早く給料がもらえる仕事を見つけないと、良くてホームレス、悪くて餓死の運命が僕を待っている。間違ってもホテルに泊まる余裕などはない。
僕は、手のひらサイズの携帯端末を空港整備の無料ネットワークにつなぎ、職業紹介センターにアクセスしようとした。
「ねぇ、おじさん。なにかたべるもの、もってない?」
ぼんやり歩いていると、急に青いパーカーの裾が下の方に引っ張られた。
視線を落とすと、灰色に薄汚れたダブダブのトレーナーを着た五歳くらいの男の子が、僕のことを見上げていた。赤毛で、そばかすが目立つ、鳶色の瞳の男の子だ。痩せていて肌に艶や潤いが感じられない。長い間、シャワーを浴びていないらしく、ちょっと臭う。油断していると、明日のわが身だ。
「うんとね、まず、僕はおじさんではないんだよ」
「うそだぁ」
男の子は面白い話を聞いたとでもいうように、痩せてやつれた顔に笑みを浮かべた。とてもかわいらしい。しかし、『おじさん』扱いされた僕は真剣に落ち込み、言葉を失う。
童顔だと思っていたのに、そんなに老けて見えるのだろうか。
「だって、おばさんじゃないよね」
男の子はさらに言葉を重ねた。
よかった。どうやら、この子はボキャブラリーが少ないだけらしい。
「うんとね。お兄さん、て呼んでくれるかな」
「ええ! ぼくのおにいさんじゃないし、おじさんはこどもじゃないよね」
なかなか強敵だ。早くも心が折れそうになる。
「ともかく、ごめん。お兄さんは食べ物もってないんだ」
僕は何とかそれだけ言い返した。
「なんだぁ、じゃあ、おじさん、おかねちょうだい」
相変わらず、おじさん扱いしてくるのはともかくとして、お金の無心まで始めたのには良い感情を抱かなった。『何言ってるんだこの子は』と思った。
しかし、そう言えば、近くに親の姿が見当たらない。ひょっとしてストリートチルドレンという奴か? あるいはどこかに大きいお兄さんかおじさんが隠れているのか。
「ただで、お金をもらおうとするのはよくないと思うよ……」
そこまで言って何を偉そうにと僕は考え直した。こんな小さい子が働いてお金を稼ぐことなんかできるわけがないし、食べるものがなければ飢えて死ぬだけだ。
「だから、お兄さんのお願いを聞いてくれるかな?」
なので、慌てて付け加えた。偽善かもしれないが、何もしないよりはマシだろう。
「なに?」
男の子は不思議そうな表情を浮かべた。そんなことを言う大人に出会ったことがなかったのだろう。
「お金を預けるから、お兄さんの代わりにコオロギの素揚げを買ってきてくれるかな。お駄賃として、コオロギの素揚げを半分あげるよ。どお? やってくれる?」
「やる!」
「よし、交渉成立だ」
僕の所持金の大半は電子マネーだが、まさか携帯端末ごと、この子に預けるわけにはいかない。僕は財布の中から現金で一〇〇〇ユナイテッド札を取り出して、男の子に渡した。
「じゃあ、いってくるね」
男の子は、そう言うと元気に、さっきの露天商のおやじの方へと走っていった。
約束を守らず、お金を持ち逃げする可能性もあったが、それはそれで仕方がない。
もし、そうなったらそうなったで、あきらめて追いかけたりするのはやめにしようと心に決めた。
だから、監視するのが目的ではなく、悪い大人にお金を横取りされたら助けに行くことができるように、僕は男の子の行方を目で追っていた。
感心なことに、男の子はお金を持ち逃げすることなく、露天商のおやじと話し始めた。
だが、なかなか商品とお金のやり取りが行われない。何か、もめているようだ。
ひょっとして、いけ好かない地球人のお遣いだとバレて、露天商のおやじに意地悪されているのだろうか?
立ち上がって、露天商のおやじのところに行こうかどうしようかと悩んでいると、ようやく親父がお金を受け取り、商品の袋を渡し始めた。
よかった。無事お遣いは成立したようだ……?
商品の紙袋は、一つではなかった。二つ、三つ、四つ……男の子は紙袋を両手で抱えていたが、どう見てもそれ以上は持てそうにない。
結局、五つの紙袋を渡したところで、おやじが店から出てきて、男の子のズボンのポケットに何かをねじ込み、男の子に向けて優し気に手を振った。男の子はおやじに軽く頭を下げると、急ぎ足でこっちの方に戻ってくる。
おやじは僕の方に視線を送ると、自分の店に戻った。距離があるので表情まではわからない。
「ただいま!」
帰ってきた男の子の顔は興奮で輝いていた。五つの紙袋を両手で抱えるように持っている。
「おかえり」
僕も嬉しくなって笑顔で迎えた。人の笑顔を見るのは嬉しいことだ。特に小さい子供の笑顔は。
「ねえ、五このはんぶんて、なんこ?」
男の子はすっかり御機嫌だが、自分の分け前は、まだ計算できないらしい。
「二個半だな」
僕はそう言うと、右手を伸ばして男の子の腕から、紙袋を二つ取り上げた。
そして、左手でもう一袋を取り上げると、だいぶ興奮が落ち着いてきた男の子に言った。
「お互い二個づつもらって、残る一袋は二人で食べよう」
僕がそう言うと、男の子は満面の笑みでうなづいた。
僕と男の子はガラガラの宇宙港のロビーのベンチで横に並んで座ると、間にコオロギの素揚げが入った紙袋を一つ置いて、黒い塊をつまみ始めた。
サクサクとした歯触りで軽く塩味が利かせてある。特別に美味しいわけではないが慣れればイケる。ただ、後ろ脚が硬く、油断すると口の中に刺さりそうだ。だから、ガリガリと噛み砕く必要があった。
暫くの間、僕も、男の子もお互い遠慮せず、コオロギを頬張っていたが、まだ、お互いの名前すら知らないことに気がついた。
「ぼうや、名前は?」
僕は、コオロギを食べる手を休めると、男の子に声をかけた。
「ラッセルだよ。おじさんは?」
男の子は、コオロギを食べる手を休めることなく、口をもぐもぐさせながら答えた。
「お兄さんはね……」
マサヤと答えようとした。
その瞬間、ふいにイザベルの僕を呼ぶ声が頭の中に響いた。
「マーサって、いうんだ」
僕は、なぜか、そう自己紹介していた。
「ふうん」
ラッセルという名の男の子は、僕の名前には別に興味がなさそうだ。塩気のついた自分の指をペロペロと舐めている。
こうして一緒に食事をしてしまうと、いろいろ気になることが頭の中に浮かんでくる。
「なあ、ラッセル、お父さんや、お母さんは?」
やはり、孤児なのだろうか。
「パパは、ちきゅうじんにころされた。ママは、おしごとにでかけてる」
ラッセルはコオロギを食べながら意外なほど淡々と答えたが、僕は訊かなければよかったと後悔した。
どんないきさつかは知らないが、父親が地球人に殺されたというのは多分本当だろう。
ひょっとして、あの時のデモに参加していたのかもしれない。
しかし、母親が仕事に出ているというのは本当かどうかはわからない。
ラッセルは、もう何日もシャワーを浴びていないようだし、着ている服も何日も洗濯していないようだ。母親は帰ってくる。そう思いたいだけなのかもしれない。
「だから、ぼくは、おおきくなったら、わるいちきゅうじんをやっつけるんだ」
コオロギを食べるのを中断して、僕を見た澄んだ瞳に、僕は返す言葉もなかった。
「そうか……」
「あっ、そうだ」
ラッセルは、急に何かを思い出したようで、ズボンのポケットに手を突っ込んでから、手のひらを僕の方に差し出した。
小さな手のひらの上に五〇〇ユナイテッド硬貨が銀色に輝いていた。
「はい、おつり」
「えっ?」
このときになって、ようやくラッセルと露天商のやり取りが分かった。
コオロギの素揚げの本当の値段は一袋一〇〇ユナイテッドで、一〇〇〇ユナイテッドだと、一〇袋買える計算だったのだろう。でも、ラッセルは五袋以上持てそうにないので、露天商のおやじは金額分の販売を渋ったのだ。
僕は五〇〇ユナイテッド硬貨に手を伸ばして、そして、両手でラッセルの小さな手のひらを包み込んだ。
「お金はとても大切だ」
「うん?」
突然の僕の行動に、ラッセルはだいぶ戸惑っているようだった。
「五〇〇ユナイテッドあれば、コオロギの素揚げが五袋買える」
「う、うん」
これから何を言われるんだろうと、多少警戒しているようだった。
「ラッセルが自分の二袋を食べ終わって、まだ、おなかが空いていたら、そのお金で、また買うといい」
「えっ、くれるの?」
ラッセルの表情が明るく輝いた。
お金をあげるのは、決していいことではないだろう。
でも、少しでもお金があれば生きるチャンスが広がる。
本当に母親が帰ってくるのであれば、それまで飢えないで済むかもしれない。
僕は、お金をあげる理由を無理やりひねり出した。
「ちょっと早いけど、それは、お兄さんからのクリスマスプレゼントだ」
「やった!」
ラッセルは小さくガッツポーズした。
「でも、ラッセルがお金を持ってることは秘密だ。誰にも言っちゃダメだよ」
「なんで?」
この子は、まだ、酷い目に遭ったことがないのだろう。
「悪い人にとられちゃうからね」
「わかった」
ラッセルにとって地球人は父親の敵だ。
だから、僕なんかが長い間、彼のそばにいてはいけない。そう思って、僕はベンチから立ち上がった。
「頑張れよ」
「マーサもね」
僕がラッセルに手を振ると、彼も屈託のない笑顔を浮かべて手を振ってくれた。