第10話 艦長室
ダークブラウンの木製の壁、暗灰色に塗装された床、象牙色で柔らかい光を放つ天井、宇宙巡航艦ペルセウスの艦長室は落ち着いた雰囲気に満ちていた。消毒用のオゾンの香りに混じり、森の中のような清々しい芳香が微かに漂う。
両袖の執務机の前には六人掛けの木製テーブルとビロード張りの椅子が置かれ、壁際にはガラス扉の本棚が置いてあった。中には今では珍しいハードカバーの紙の本が並んでいる。
「そう言えば、イザベルさんは、どうして軍人になったの?」
宇宙巡航艦ペルセウス艦長フランカ・フォッケル中佐は、チューブ型容器に入ったプロテインミルクを飲みながら、気軽な様子で私に話しかけた。
以前、私は同じ質問を同期の男の子に投げかけて、彼の悲しい思い出に触れたことがある。その時のことを思い出して、不意に胸が熱くなった。彼は弱い立場の人間を守るために軍人になったと言っていた。考えなしの私とは大違いだ。
「ごめんなさい、聞いちゃマズいことだった?」
すぐに答えず、恐らく表情を曇らせた私に、艦長は優しい大人の配慮をしてくれた。
「いえ、大丈夫です。私の家は代々、軍人が多かったんです。だから、あまり考えずに軍人になるのが当たり前だと思っていました」
「そうなの? なんか悲しい事情でもあるのかと思っちゃったわ」
それは私ではない。
でも、艦長に彼の思い出話をするのも気がひけたので、本当のことは黙っていた。
「私に悲しい事情なんかないですよ。そう言う艦長は、どうして軍人になったんですか? そんなにおキレイなのに」
「あら、褒めてくれてありがとう」
艦長は、うっすらとほほ笑んだ。
どうも褒められ慣れているように感じたのは私のひがみだろうか。
「私は軍人になりたかったわけじゃなくて、宇宙船の乗組員になりたかったのよ。で、結果的に就職できたのが、地球連邦宇宙軍だったってわけ」
「宇宙、お好きなんですか?」
「遠くの世界に憧れていたのよ。私が生まれたのは小さな田舎町でね。狭い世界に嫌気がさしていたのよね」
そこまで説明して、急に艦長は苦笑いを浮かべた。
「皮肉よね。狭い世界が嫌で宇宙船に乗ったのに、宇宙船の中って本当に狭いわ。いつも同じ人たちに囲まれてるし」
「確かに、そうですね」
それ以上、どう反応していいかわからない。
笑い飛ばして、結果的に艦長を傷つけるのは嫌だった。
「だから、職場の人間関係って本当に大切よね。いい人に恵まれるといいんだけど」
部隊の指揮官がレンバッハ大尉で私は本当に恵まれない。彼のせいで優しい同期の男の子もいなくなってしまった。
強いて救いがあるとすれば、部隊の副官を務めるリシャーネク軍曹は見た目と違っていい人だということだろうか。そう言えば、艦長は私のことを軍曹経由で知ったようなことを言っていた。
「あの、艦長とリシャーネク軍曹は昔からのお知り合いなんですか?」
「あら、良く知ってるわね。どうして知ってるの?」
前回、私に話しかけた内容を忘れてしまったのだろうか。
「先日、私のことを軍曹経由で聞いたとおっしゃっていたので。普通、艦長と装甲擲弾兵の軍曹が会話することは、あまりないだろうと思いまして」
「ああ、確かに言ったわね。昔、リシャーネクさんは、士官学校で教官をやっていてね。私、あの人の生徒だったのよ」
艦長は何とも言えない笑顔を浮かべた。
「軍曹がですか?」
全く想像ができなかった。
「いい先生だったわよ。だから、今も私は勝手に懐いているわけ、よくお話しするわよ」
う~ん、絶大な人気を誇る艦長と軍曹がお知り合いとは。
他のおじさんたちに知れたら、軍曹は、羨望と妬みの視線にさらされてしまうだろう。
「一体、軍曹は何を教えていたんですか?」
今は装甲擲弾兵をやっているが、本当はインテリなのだろうか?
「射撃と格闘術よ。教え方が丁寧でわかりやすかったわ」
ようやく私は納得した。
今は、士官学校の生徒ではなく、新兵に射撃と格闘術を教えているというわけだ。
『艦長、至急、中央制御室にお戻りください。本艦の航路上に不審な艦影があります』
私と艦長が、世間話に花を咲かせていると、艦内にアラート音が鳴り響き、全艦放送が私たちの会話に終止符を打った。
訓練とトレーニング以外にやることのない私と違って、艦長は多忙だ。
何か起これば休憩時間も休憩できない。
「ごめんなさい。また、後でね。いつでも艦長室に遊びに来ていいから」
「はい、ありがとうございます」
私たちは、慌てて艦長室を後にした。艦長は隣の中央制御室に、私は非常事態に備えるために兵員室へと戻った。




