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第1話 マーサとイザベル

「オリンポスシティで大規模な暴動発生。装甲擲弾兵は第一種装備で強襲揚陸艇に搭乗して待機のこと。繰り返す、装甲擲弾兵は第一種装備で強襲揚陸艇に搭乗して待機のこと」

 その放送が入った時、僕たち宇宙巡航艦ペルセウス配属の装甲擲弾兵は、無重力の兵員室で次の訓練開始時刻に向けて待機していた。

 兵員室は、高さ二メートル五〇センチ、幅四メートル、奥行き五メートルほどの灰色の空間で、そこに二〇名ほどの兵と下士官が詰め込まれ、大変狭苦しい。そして、人間の体臭と殺菌用のオゾンの臭いと室内消毒に使用している塩素化合物の臭いが混然一体となった、悪臭とまでは言えないまでも決して爽やかではない空気で満たされていた。

 灰色に塗装された耐食性の金属の壁には、ネイビーブルーの寝袋が、まるでミノムシのようにずらりと並んで固定されており、僕たちは、その中に籠って思い思いに過ごしていた。

 放送が入ったとき、僕は透明なフレームレスのゴーグルに古代中国の歴史書である『史記』のテキストデータを投影しながら、チューブ入りのゼリー飲料をすすっているところだった。

 古代の戦記ものを読むのは僕の数少ない趣味の一つだ。物語を読んでいるときだけは下っ端の兵隊にすぎない僕も指揮官気分を味わうことができる。

 しかし、戦争も物語として読むだけなら良いのだが、現実になって自分に降りかかってくるとなると話が違う。初めて聞く緊迫した放送にびっくりして、俺はゼリー飲料を飲み込むのに失敗し、むせてしまった。実は本物の戦場に、まだ出たことがないのだ。

「大丈夫? マーサ」

 僕が激しく咳き込んでいると、僕の隣で、僕と同じようにミノムシになっていたイザベル・イングラム二等兵が心配そうな視線を僕に向けてきた。

 いつも元気溌剌としていて人懐っこい牧羊犬みたいな雰囲気を漂わせる同期の女の子だ。

 優しそうで、穏やかで、人のことは言えないが、なんで兵隊になったのかわからない。

 ミルクティー色の髪を軍隊推奨のショートボブにカットしていて、目が大きく、くりくりしていて瞳は鳶色。本人のせいではなく、環境のせいで化粧っ気は全くなかったが、肌は肌理が細かくしっとりしていて、きれいだった。声のキーは少し高目だろうか。

 そのときの彼女は、僕と同じように大きめのフレームレスのゴーグルを身に着けていた。僕や彼女だけでなく全員同じだった。情報端末のモニターとして機能する代物なのだ。

 こちらからは、この時彼女が楽しんでいたコンテンツはわからなかったが、いつもは大昔の2D映画を見ていると本人が言っていた。内容はどうやらソフトで甘酸っぱい恋愛ものらしい。

 4Dのバーチャルリアリティーコンテンツではなく、3Dをすっ飛ばして2Dの映画にしているのは、データ容量の問題と生々しいのはちょっと苦手というのが理由だそうだ。

「……だ、大丈夫」

 むせて咳き込んでいた僕が、なんとか呼吸を落ち着けて返事をしたことで、彼女は僕の無事を確認し、微かに微笑んだ。

 そして、素早く寝袋のチャックを開けると、ふわりと浮き上がった。

 寝袋から現れた彼女の身体は、味気ない軍支給の白いジャージ姿で、成熟した女性というよりもメリハリのない子どものような体形だった。

 でも、ほっそりして小柄な彼女は、ある意味妖精のように魅力的で、羽化しようとしている蝶々のようにも見える。

 彼女の後を追うように、他の兵士たちも次々に寝袋の中から白いジャージ姿で現れたが、イザベル以外は基本的に皆おっさんで、どこをどうつついても蝶々には見えなかった。せいぜい肥満気味のイモムシだ。

「なんだよ。明日から火星で謝肉祭の休暇じゃなかったのかよ!」

「はぁ? 暴動ごときで第一種装備ってマジか、ふざけんな!」

「つべこべ言うな!」

 古参兵のボヤキと古参の下士官の叱責が狭い部屋の中で交錯した。

 そして、声の主たちはブツブツ言いながらも出口に向かって素早く移動する。

 何のかんの言っても彼らはプロフェッショナルだ。

 それに引き換え、僕はチャックがうまく開かなくて寝袋の中で、もがいていた。

「もう、何やってるのよ。マーサ」

 イザベルが僕の方に戻ってきて、腰に手を当てて甲高い声を上げた。

「チャックが開かなくって……」

 もうほとんどの兵隊が部屋から出て行ってしまっていた。モタモタしていると怒られる。

「ほら!」

 イザベルは、ふわりと僕の方に戻ってくると寝袋を開けるのを手伝ってくれた。

 これじゃあ、優しいお母さんと自立できていない幼児だ。

 自分が情けなくなったが、いいこともあった。

 イザベルから漂う優しい香りに包まれて、僕は一瞬幸せな気分を味わうことができたのだ。

「急ぐよ!」

「うん」

 僕はゴーグルに投影していたテキストデータのアプリケーションを終了させると、イザベルと並んで兵員室前の武器庫へと急いだ。

 

 装甲擲弾兵の第一種装備というのは、対人兵器を軽く跳ね返す重装甲と、小型車両であれば一G環境下でも持ち上げることができるパワーアシスト機能を併せ持つ、装甲強化宇宙服を着用し、質量が一〇キロ以上ある電磁誘導ライフルを装備することだった。

 電磁誘導ライフルは徹甲弾と炸裂弾、そして、散弾の三種類が発射可能な携行火器で、装甲車両や小型艇なら軽く破壊可能な攻撃力を有していた。

 そう、第一種装備は救助活動や訓練などではなく、ガチで戦闘しますという装備だ。

 つい最近、訓練キャンプから前線に配属されたばかりで、まだ実戦経験のなかった僕は、緊張のあまり胃がムカムカしてきた。

「遅いぞ!」

「すみません!」

 爬虫類じみた雰囲気を漂わせる最古参のリヒャルト・リシャーネク軍曹が、最後に武器庫に入った僕を入り口の近くで叱責した。どうやら全員が武器庫に入るまで、待っていたらしい。

 軍曹は、短く叱責した後、それ以上グチグチ怒ったりせずに、自分自身も壁に固定された装甲強化宇宙服に向かった。

 装甲強化宇宙服は武骨なロボットのようなずんぐりしたフォルムで、火星表面で活動する際に、大地の色に溶け込んで目立たないようにするため赤褐色に塗装されている。

 本体から少し離れた位置にセットしてあるヘルメットは、防御力を高めるために窓を設けておらず、複数の外部カメラがカエルの目玉のように側頭部にあたる位置に配置されていた。

 僕は最後に残った装甲強化宇宙服のヘルメットの額部分に、僕のパーソナルマークである黒い十字手裏剣がある事を確認して、肩口の開口部に足から入った。

 装甲強化宇宙服は体形に合わせて調整する必要があるため、基本的に貸し借りができない。

 だから、間違えて着用しようとしないように額の部分にパーソナルマークを入れることが慣習になっていた。ちなみに、リシャーネク軍曹のパーソナルマークは黒いコブラだ。

「体位固定」

「了解」

 装甲強化宇宙服に内蔵された人工知能に命じると、身体と宇宙服の間に窒素ガスを利用した緩衝装置が風船のように膨らんで、がっちり体が固定された。返事をした人工知能は落ち着いた女性の声だ。

 身体が固定されたのに続き、蓋を占めるようにヘルメットが降りてくる。

 一瞬暗くなるが、すぐにヘルメット内部の全周モニターに電源が入り、外の景色をクリアーに映し出した。まるで何も被っていないかのようだ。

 カエルの目のように見える外部カメラは、広角、望遠、赤外線暗視の切り替えが脳波で操作できる優れモノで、デフォルトは広角モードになっていた。

「装着完了」

 落ち着いた人工知能の女性の声を合図に、僕はゆっくりと移動し、武器庫の反対側の壁面に立てかけてあった武骨な見た目の電磁誘導ライフルに手を伸ばした。

 銃身の長さは六〇センチくらい、質量は優に一〇キロを超える代物だが、装甲強化宇宙服のパワーアシスト機能のおかげで、まるで重さを感じない。

 そもそも装甲強化宇宙服自体も数百キロの質量があるのだが、ダウンジャケットを羽織っているような感覚だ。

「急げ、マツダイラ二等兵! お前が最後だ!」

「はい!」

 通信機を介してリシャーネク軍曹の声が聞こえてきた。

 僕は慌ててエアロックを通り抜け、宇宙巡航艦ペルセウスの艦底部におなかを突き合わせるような形でドッキングしている強襲揚陸艇に乗り込んだ。

 室内は薄暗く、頭上にいくつも空間投影された外部モニターの映像が、照明代わりにぼんやりとあたりを照らしていた。

 狭い揚陸艇内部では、二〇人のロボットじみた装甲擲弾兵が、四人ずつ五列になって並んでいた。額にはみんな思い思いのパーソナルマークをつけている。マークには、ワシや、ライオン、サメなど、強い生き物が好まれた。だから、新入りは先輩と被らないようにするのが一苦労だ。

 僕は、きちんと整列している装甲擲弾兵の最後列に混じると、床から生えている座席代わりのバーを両脇で挟んだ。すぐにバーから金属製のベルトが伸びてきて僕の身体を固定する。

「全く遅いんだから、マーサは」

 無線通信機を介した声ではなかった。

 視線を横に向けると、額に白いビーグル犬のパーソナルマークを入れた隣の装甲擲弾兵が僕の肘に手を置いていた。こうすると、例え宇宙空間であっても内緒話ができる仕組みだ。

 装甲強化宇宙服自体が振動体となって音声を伝えてくれる糸電話みたいなもんだ。

「あのさ、イザベル。今更だけど僕の名前はマーサじゃない、マサヤだよ。マサヤ・マツダイラ」

「ホント今更よね。いいじゃんマーサで。言いにくいし、マーサの方が可愛いし」

「よかないよ」

 可愛いと言われて何故か少しドキドキした。

 きっとイザベルはヘルメットの中で邪気のない笑顔を浮かべているだろう。そういう娘だ。

 だから、それ以上、強く言うことなんて、僕にはできなかった。

「全員搭乗したな」

 通信機が肉食獣の唸り声を運んできた。中隊指揮官レオンハルト・レンバッハ大尉の声だ。

 視線を巡らせると、最前列で一人だけ僕たちの方を向いて立っていた。

 ヘルメットで顔が見えないが、実物も声のイメージ同様、大型肉食獣のような人だ。

 僕たちの装甲強化宇宙服の塗装はパーソナルマークのほかは赤褐色一色だが、大尉のは肩口に黒い焔が描かれ、カエルの顔のようなヘルメットの額の部分にはパーソナルマークの代わりにドリルのような角が生えていた。

 隊員が隊長機を識別しやすくするためらしい。

 でも、このネタがばれると敵も指揮官を狙撃しやすくなるのだが、その辺どうなのだろう。

「ジスカール司令、出撃準備完了しました!」

 レンバッハ大尉が低音を響かせる。

 報告は宇宙巡航艦ペルセウスに乗っている艦隊司令に向けたものだった。

 突然、僕のヘルメット内部に、金モールで装飾された黒い軍服姿の男性の上半身が空間投影された。

 襟につけられた赤い台座の階級章は金色のラインに金色の星ひとつで、彼が准将であることを示している。彫が深くシャープな印象で、緑色の瞳には思慮深い光をたたえていた。

 帽子は被っておらず、髪の毛は砂色で短い刈り上げだ。年齢は五〇歳以上のはずだが、顔の筋肉にハリがあり、年齢よりも随分と若く見えた。

「了解した。これは演習ではない。駐留部隊の手に負えない大規模暴動だ。十分注意してくれ。諸君の健闘を祈る」

 映像は地球連邦宇宙軍第二パトロール艦隊の司令官ジェラルド・ジスカール准将だった。

 その声は静かで、非常時とは思えないほど落ち着いていた。暴動自体は火星で頻発していたので心の準備はできていたのかもしれない。

「お任せください」

 レンバッハ大尉はゴツいロボットのような腕をヘルメットの前に持ち上げ、敬礼した。

「強襲揚陸艇。降下準備はよろしいですか?」

 画面が切り替わり、今度は大人の雰囲気を漂わせるブルネットの女性士官が映し出された。

 通信機から他の隊員が発した下品な口笛が聞こえてくる。

 彼女は宇宙巡航艦ペルセウスの艦長フランカ・フォッケル中佐だ。

 年齢は四〇歳前後のはずだが、若々しく、美人で、そして軍人らしくいつもキリリとしていて、特に古参兵の人気が絶大だった。

「いつでも大丈夫です。艦長」

 普段、愛想とは無縁のリシャーネク軍曹が弾んだ声で、すかさず返答した。

 今回、強襲揚陸艇の操縦をするのはリシャーネク軍曹らしい。

 僕も訓練では何度か操縦を任されたことがあるが、さすがに本番で新兵に操縦を任せるつもりはないのだろう。

「カウントダウン開始。ご武運を」

 画面の中でフォッケル中佐が、ビシッと敬礼を決めた。

 周囲の装甲擲弾兵たちが次々に敬礼を返す。

 僕も電磁誘導ライフルを握っていない左手で敬礼を返した。

「さあ、野郎ども手柄をあげるチャンスだ。気張っていくぞ」

 レンバッハ大尉がやる気に満ちた雄たけびを上げた。

「おぉ!」

 無線通信機は大尉に応える兵士たちの声で、あふれかえった。


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