はじめての日曜日(3)
じりじりと肌が焼かれるような感覚に、視線はきょろきょろと日陰を探す。
だが、そんなものは見あたらない。
アスファルトで固められた地面は「カッ!」と音が聞こえてきそうなほどの強い日差しに熱せられ、足元からも熱風を噴き上げてくる。ふた月ほど前であればシャミシャミシャミシャミとたくさんのアブラゼミが騒がしく鳴いていたのだが、暑すぎるのかセミたちも鳴きだす元気がない。
頭の真上近くから容赦なく照り付ける太陽は隠れるところも与えてくれず、汗というかたちで体力を奪っていく。唯一、日差しを避けることができる場所は、自動車がびゅんびゅんと行き交う車道に近い、街路樹が生えた場所だ。
だがそこには自転車置き場があって根元まで辿り着けない。その向こうに見える、ひとりがようやく座れるほどのスペースには既に黒い毛に覆われた先客がいて、ふてぶてしくも大の字になって寝転び、眠っている。
そろりそろりとその生き物へと近づくと、ぎろり睨まれ、もたげた首になんか用かと問いかけられる。近寄る足を止めると、来るなというのか、なーうと鳴いて、またとろとろと眠りにつく。
だが、その近くに自動車が止まると、燃焼機関と空調機器が高熱を吐き出し、その風がもわりと襲いかかる。人が降りるからなのか、その熱を嫌うのか、先客はむくりと起きると、そろりそろりと歩きだす。
相手にされず、少し拗ねたような顔をするクリスは、次にシャルを誘って暇をつぶそうと画策する。
「何人並んでるか数えてみよっか」
「うん!」
クリスとシャルは手をつなぎ、シュウのもとを離れると、並んでいる客の数を数えはじめる。
「いちにぃさんしぃ……」
シャルが数えるのを確認するようにクリスも声に出さずに数えて歩く。
「じゅーご!」
ようやく先頭に到着したときには15まで数が増えたのだが、2人組で買いに来ている客や家族連れもいるので、実際のところは7組程度の行列である。ただ、この店のこだわりは、注文を受けてから仕上げて箱に詰めることにある。1組あたりの注文量にもよるが、どうしても時間はかかってしまう。
それだけではない。並んでまで買う人たちは6個入りを10箱など、まとめて大量に注文するものだから、更に時間がかかってしまう。
ゆるゆると行列は進むのだが、最初は元気よく走り回っていたシャルも、この暑さには勝てないようで、今はシュウのつくる陰に隠れて座り込んでいる。クリスも後ろに並ぶ人の陰にこっそり隠れ、息を潜めている。
小一時間ほども並んでようやく順番がまわってくると、3人で店内に入る。
「きな粉は今日中、他は冷蔵庫に入れず、明日の午前中までに食べてください」
店の人がそういうと、シュウは慣れた感じで注文を済ませる。
すると、店の女性がクリスとシャルを見て声をかける。
「ふたりともかわいらしいわねぇ」
「ありがとうございます」
「なのっ」
瑠璃色とピンクスピネルのような瞳がキラリと輝き、柔らかい笑顔を見せると、店の人はどきり鼓動を高めて赤くなる。
「日本語しゃべれるんですね、びっくりしてしまいました」
「ふふっ、日本語しか話せないんですよ」
「なのっ」
とても上品な言葉を使う女将さんと会話を楽しむのも、昔ながらのお店ならではの楽しみのひとつなのだが、3人が食べる量では時間もそんなにはかからない。ゆっくりと会話を楽しむ時間もなく、会計を済ませて3人はようやく洋服選びへと向かう。
太陽が少し西へと傾いたものの、この店から向かう道頓堀の洋服店は西にある。
ずっと正面から日差しをうけることになるのだが、少し歩けばアーケードのある商店街だ。近くに場外馬券売り場があるから、日曜の昼下がりには多くの人で賑わっている。
マルゲリットと日本の二ヶ所で営業したあと、炎天下にただ待ち続けるという、修行のような時間を過ごしたクリスとシャルは、疲れた顔を見せる。
「さすがに疲れるわね」
クリスがとうとう音をあげるのだか、有名人にはすぐに人が近寄り、集まってくる。
「おっ、あの子、テレビでみたことあるわ」
こんな普通の言葉が聞こえるのは、裏なんばの店を出て帰るまでのあいだでもよくあることだ。
「なぁ、何してんの?またテレビ?」
セガンドバッグを片手に持ったおじさんや、派手なピンクの野球のユニフォームを着たおばさんがかける声はこっちだ。困ったことに、こういう人たちに返す言葉をシュウやクリスは知らず、ただ日差しから逃げようとシャルの手を引いて歩く。
1つ目のアーケードに入ると、そういう客層が多く、更に面倒なことになるのを知るシュウは、仕方なくその先にある2つ目のアーケードを目指す。
風俗関係のお店もあって、そこには目がいかないようにシャルを庇って歩くと、ようやく2つ目のアーケードがある焼肉屋の前にたどり着いた。
そこは、先ほどまで大勢いた日本人がいなくなり、ほとんどが外国人観光客が占める観光地である。
クリスはもう慣れてはいるが、どこに行ってもカメラを向けられるのには少しうんざりとしてきており、その気持ちを知るシュウも商店街を半ばまで進むと、裏道に逃れる。
路面はタイルから石畳に変わると、風情のある飲食店が並ぶ路地に入る。そこからさらに細い路地に入ると、大人がようやくすれ違えるというほどの細い細い路地に入る。
そこは左右にヘタウマな絵が描かれていて、おみくじをひいている日本人観光客が互いにその結果を見せあったり、読み上げたりして楽しんでいる。明かりは提灯のみのその路地は、昭和の時代を知る人ならば、ノスタルジーというものを感じる場だか、アラサーとはいえまだ30手前のシュウにはその楽しさが理解できず、興味なさそうにするすると通り抜ける。
薄暗い路地を出ると、世界はぱっと明るくなる。
店に立つ店員以外はすべて外国人ではないかと思うほど、外国の言葉が飛び交い、派手に動く看板を背に写真を撮る人たちでいっぱいだ。
ここまでくると、ようやくシュウは一息ついた。
「ふたりとも大丈夫か?
ここまでくれば、日本人も減るからゆっくりできるだろう」
「ありがとう。でも、すごく暑いわ……」
「なのっ……」
この暑さに疲れた顔を見せるふたりに、シュウは喫茶店にでも入って休もうかと思うのだが、日本時間で朝の3時くらいには店に入って仕込みをはじめなければ、マルゲリットで営業ができない。だが、シャルはまだ10歳なので、じゅうぶんな睡眠時間を与えるためにも、17時くらいには家に帰りたいと思っているので、時間がない。ふたりには申し訳ないが、とりあえず洋服店に入ることにする。
ゆっくりと歩きはじめたシュウに手を引かれ、クリスとシャルは力なくついて歩くと、すぐに目あてにしていたお店に到着する。3人が飛び出してきた芝居茶屋だったという店の横からであれば、1分程度で到着する距離にある店だ。
店の扉は開いたままで、中から空調機器でキンッと冷やされた空気が流れ出してくる。
「きもちいいのっ」
「すずしいねっ!」
店内はとても心地よい温度に制御されていて、ふたりはしばらくその涼しさを楽しむように動かなくなるのだが、シュウはふたりに伝えておくべきことがある。
「シャルは育ちざかりだから、10センチくらいは身長が伸びても着られるものを選ぶこと。
あと、もうすぐ涼しくなってくるから、長袖や厚手の服も選んでいいぞ。
制限はそれだけな」
夜寝るころに関節が痛むほど身長が伸びる時期。伸び盛りの育ち盛りの年頃だ。
今日買った服が、来年着られるとは限らない。
だから、ワンピースのように多少の融通が利く大きさのものを選ぶよう。クリスとシャルに伝える。
「うん、わかったよ」
「わかったのっ!」
ひんやりとした店内の空気に生気を取り戻したように、クリスとシャルは返事をするのだが、そう簡単に服選びというのはすすまない。
「とりあえず、シャルちゃんの好みを知りたいから、シャルちゃんを先頭に突入ね!」
「シャルがえらんでいいの?」
クリスの声に、シャルは恐る恐るシュウの目を見る。
ピンク色がかった金灰色のロングヘアに、ピンクスピネルのような瞳をもつシャルはおとぎの国から飛び出してきたかのような可愛さがある。そのかわいさを生かした服選びとなると、シュウにはどうにも荷が重い。シャルの好みもたいせつなことでもあるので、シュウはクリスの意見に賛成する。
「もちろんだ。
シャルの好きなのを選んでいいよ」
先日までいつも村の住民からのおさがりで、ツギハギだらけの服ばかり与えられてきたシャルは、自分で服を選ぶことが許されるなど、今まで考えたことがなかった。
「がんばるのっ」
少し表情を硬くすると、シャルは店内に歩をすすめる。きょろりきょろりと飾られた服に目を向けながら歩いていくが、ほんの数日前に日本へ来た少女には、どれもが物珍しく、自分が着ている姿を想像することができない。
気が付くとシャルはキャミソールばかりを眺めている。といっても、いろんな形があるし、いろんな色がある。生地は似たようなものが多いのだが、切断にレースのような加工を施したものや、ブラジャーという大人の女性がつけるような形をしたものもある。
「何枚とは言わないけど、10枚くらいはあると便利よね……どうしてキャミソールなの?」
「暑いからなのっ」
確かに日本の夏は暑く、10歳女児くらいならばキャミソール1枚で過ごすこともあるだろうし、それができるのであれば楽であることは確かだが、あくまでも肌着である。
「シャルちゃん、これは肌着だからね。
そのうえに着る服を買いにきたのよ?」
「ほかの服はよくわからないの……」
落ち着きなく目を動かしながらシャルは正直な思いを言葉に零す。
いま着ている服は、クリスが買ってきてくれたもので、自分で選んだものではない。異世界にいるのであれば、親や村人が与えてくれた服を着ていれば済んでいたし、その衣装は大人用の大きなワンピースやスモッグを紐で括って短くしたものであった。実際に仕事着も日本で買ったシャツワンピースで、マルゲリットでは素材などを考えなければ一般的なものである。
そんな服装文化の世界から現代日本に来れば、自分に何が似合うのかもわからないうえ、あまりに異世界の衣装とは違いすぎて、どれもこれもが奇抜なものや、変梃なもの、風変わりなものに見えてしまう。
クリスも実際にそう感じていた時があったので、その頃のことを思い出す。
「そうね、難しいわね……
じゃぁ、わたしとシュウさんで服を選んでみよっか」
「オッ……オレも選ぶのかい?荷物持ちでいいよ……」
突然のご指名にシュウが焦ると、断ってしまう。
幼いころに着せ替え人形や塗り絵で遊んでいた女子とは違い、シュウはサッカーや野球など身体を動かすことが多かったので、スポーティでカジュアルな服装が多い。任せた結果、最初に選ぶ服装がジャージというのはシャルがかわいそうだ。
シュウが焦るようすを見て、クリスは軽く溜息をつきながら、自分が初めて日本にやってきたときは店員に丸投げされていたことを思い出す。
「仕方ないわね……」
クリスはぽつりとつぶやくと、シャルと手をつないで店内の物色を開始する。自分と同じように色が白いシャルには淡色のキャミソールをまとめてぽんぽんと取ってシュウにわたす。下着もぽんぽんといくつか選び、シャルにも追加で選ばせる。
シュウはそれを受け取り、ショッピングバッグの中にぽんぽんと放り込んでいく。
下着が並んだ場所から離れると、クリスはうーむと考える。
「あとで川の向こうにあるお店も行っていいかしら?」
「かまわないぞ」
荷物持ち係のシュウが返事をすると、シャルもこくりこくりと頷いた。
一軒目のお店では、下着を中心に、白のワンピースやパーカーなどのカジュアルな服を数着選ぶと、二軒目へと向かう。
店を出て少し歩くと、巨大なカニの看板がガシャガシャと動き、タラバガニを焼く屋台の前から外国人観光客がずらりと並んでいる。殻の焼ける臭いが店の周りに立ち込めていて、シュウとクリス、シャルは顔を顰める。
「くっさいの……」
「ね……」
「だな……」
活けガニであればまだしも、すぐに腐敗がすすむ蟹を焼くと、匂いまで濃縮される。
それに焼いているのは蟹ではなくて、生きたまま腐ることもある大型のヤドカリの仲間なのだから余計に匂う。
そしてそれを大量に焼くものだから、「焼きガニのいい匂い」を通り越して、とにかく臭い。
3人はその匂いから逃れるように戎橋を渡っていく。
昔はナンパ橋とも呼ばれたこの橋も、いまは外国人観光客の撮影スポットになっていて、声をかけてくる男たちも少ない。恐らく、声をかけると外国人観光客だったという状況が続き、対応できずに退散するという状況が重なったのだろう。
それでも、何人かはクリスを見つけて近寄ってくるのだが、シャルを連れ、シュウと手をつなぐのを見ると、残念そうに立ち尽くす。
後ろを向けば、何代目かの看板に付け替えられた走る男の姿もあり、右を向けば今は動かない観覧車があるディスカウントストアが見えるので、写真を撮るにはいい場所なのだが、ここまで徒歩で通える場所に住んでいるなら、何も暑い中に立ち止まる必要もない。
シュウとクリス、シャルの3人はするすると人混みをすり抜けて次の店に入っていった。




