見てはいけないものを見たかもしれません
これで正しかったかな?
必死にマナーの教師の言葉を思い出しながら、ゆっくりとした仕草でお茶を口に含んだ。なるべく周りを感じないようにテーブルの上だけに注意を向けた。今までも聖女として王族に招かれることもあったが、気後れするのと平民だったこともあって理由をつけて断っていた。
顔を合わせるのは聖女としての絶対に出席しなければならない公の場だけで、貴族夫人や令嬢が行う茶会や夜会などの社交をしたことはない。夜会はまだフランシスに頼れるからいいのだが、茶会は全く持って未知の領域だ。何が正しいのか、よくわからない。
わたしの気持ちがわかっているのか、招待してくれた人はくすくすと笑った。
「そんなに緊張しないでほしいわ。二人だけなのだし」
無理だろう。仕方がなく視線を上げる。こわばる顔を無理に緩めた。
「申し訳ありません」
「いやあね。聖女様に謝らせるために招待したわけではないのだけど」
困ったわというようにため息を付いて見せるが、ちっとも困った感じがしない。きらきらとした目でわたしを見つめてくる。艶やかな黒髪をした王太子妃は少しだけ声を落とした。
「ねえ、フランシスは聖女様をちゃんと大切にしているのかしら? もし不満があればわたくしがガツンと言ってあげる」
どうしてこんなところでお茶を飲んでいるかというと、わたしがフランシスにステファニー様に会いたいと言ったからだ。今はまだ周囲に彼女が次期聖女候補だと知られなくないから、フランシスの伝手で王宮にやってきた。
その伝手がフランシスの従姉である王太子だったというわけだ。フランシスの家が伯爵家、王太子妃の実家は侯爵家だ。王太子妃の母とフランシスの母が姉妹らしく、とても仲良く育ったらしい。
王太子妃はとても気さくで、話しやすい人だった。フランシスの従姉というだけあってとても美しい。しかもお互いの母に似たのか、持つ色が違うのに姉弟と言われても頷いてしまうくらいに顔立ちがよく似ていた。
「少しいいかな?」
ようやく緊張もほぐれ、会話が楽しいと思えるほど落ち着いてきたところにやってきたのは王太子だった。突然の訪問で思わず固まる。王太子妃は困ったように自分の夫を見つめた。
「もう。ようやく気持ちよく過ごしてもらっていたところだったのに」
「すまない。挨拶をしようと思って」
にこにこと笑みを浮かべて近くまでやってくる。目が潰れそうだった。
どうして王族ってこうキラキラしいのだろう。容姿が飛びぬけて整っているのもあるが、纏う空気が違う。同じ容姿でも平民であったらきっと圧倒するような空気は持っていないはずだ。反射的に立ち上がろうとした。
ところがその動きを王太子が止める。
「そのまま座っていてください。聖女様」
王族に聖女様と言われて目をうろつかせた。夜会や儀式のときなどはまだいいが、なんか変だ。こんな時にどうするのが正しいのか、さっぱりだった。
そんなわたしの態度に王太子が笑った。
「固くならずに自然でいてほしいだけですよ」
さらりと無茶を要求してくる。こんな時のフランシスなのに、彼は女性だけのお茶会ということで部屋の外で護衛だ。助けにはならない。
「聖女様がこちらに来た理由も理解しています」
うわ、いきなり本題だ。
驚いて顔を上げる。王太子は笑みを消していた。じっとこちらの心を読むように見つめている。
「王家としては当事者が決めたことを受け入れることにしました」
「それは……」
思わず息を飲んでしまった。
それってステファニーが聖女を引き受けてくれたら問題ないという事よね?
期待に胸が高鳴った。王太子はふっと口元を緩めた。威圧的な空気が和らいだ。
「時間切れのようだ。では、失礼する」
王太子と入れ違いにステファニーがやってきた。ステファニーは王太子を見て驚きながらも美しい礼をする。気さくに彼女へ一言声をかけた後、王太子は部屋を出て行った。
「お待たせいたしました」
「ステファニー様、急にお呼び立てして申し訳ありません」
「気にしておりませんわ」
わたしは立ち上がると予め許可をもらっていた庭へと彼女を誘う。
「ではわたくしはここで失礼するわね。好きなだけ使っていいから」
王太子妃はにこやかに告げると、侍女を連れて部屋を後にした。二人で彼女を見送った後、ゆっくりとした足取りで庭へと向かう。
「お話は何でしょう?」
ステファニーは心当たりがないためか、首をかしげている。段取りなんて関係なくもうそのままお願いしてしまうつもりだった。
「今日はステファニー様にお願いがあって、王太子妃様に会えるようにお願いをしました」
ゆっくりと二人並んで歩いた。真正面から告げてもよかったが、今日答えをもらうつもりはない。わたしが真正面から次期聖女です、と告げられて受けなければいけないと思い込んでしまったようなことはしたくないと思ったのだ。選ばれたことだけを告げて、どうするか考えてほしいとお願いするつもりだ。
「お願い?」
「ええ」
「それは……」
彼女は唐突に言葉をなくして立ちどまった。庭の一点をじっと見つめている。
彼女の視線を追うようにゆっくりと見回し、驚きに目を見張った。手入れの行き届いた庭で隠れるようにして楽しそうに語らっている男女がいたのだ。女性はおかしそうに笑うと、するりと腕を伸ばし男の首に巻き付けた。ゆっくりと二人の顔が近づいていく。彼の手が女性の腰に回り強く引き寄せた。
女性の方は見覚えがなかったが、侍女の服を着ているところを見ると遊びなのだと思う。だって、相手がクリフォードなのだ。遠めだけれどもあの色合いは間違いないと思う。これ以上見ては駄目だと思うのだが、目を二人から離すことができない。息を飲み見つめていると、彼の目がこちらを見た。
目が合った??
ぱっと二人から目を逸らす。こちらを認識しているかもしれないことに動揺しながら、ちらりと隣のステファニーへ視線を向けた。彼女がじっと食い入るように二人を見ている。その顔は明らかに青ざめていた。表情は特に変わらないが、ぎゅっと胸の前で握られた拳が少しだけ震えていた。
彼女の様子を見ていられなくて、ステファニーの気を引くように彼女の名を呼ぶ。
「ステファニー様」
彼女ははっとしたようにわたしの顔を見て、ゆるりと笑みを浮かべた。
完璧に近い微笑み。
瞳には悲しみが少しだけ滲んでいたがすぐにそれも消える。悲しいなら悲しいと言ってもいいと思うのだが、こうして感情を押し殺すのが貴族なのだ。聖女として貴族の在り方を見てきたが、こうして知っている人が感情を殺すのを目の当たりにすると悲しくなってくる。
わたしだったら、あそこに乱入して女性の頬を間違いなく叩く。しかも平手ではなくて拳だ。浮気する男が悪いとは思うが、相手のいる男に粉をかける女も許せない。
でも彼女はそうしなかった。固まったようにその場に立ち尽くしていた。
「……申し訳ありません。なんでもありませんわ」
そんなことないだろう。きっと心の中では感情が吹き荒れているはずだ。わたしは聖女になってほしいとは言えなかった。
もう一度、庭に視線を向けたが二人はすでにいなかった。