ええ? 知りませんでした
次の聖女を見つけたので心置きなく婚活の準備ができる。
すぐにすぐ、退任できるわけではない。どのような手順で継承式を行うのかわかっていないので、そちらの準備をしつつだ。多分、早くて半年、遅くても一年のうちに退任できるはずだ。
婚活期間としても十分だ。きっと女神さまはわたしの願いを叶えてくれるに違いない。
うきうきした気持ちでささっとドレスを着替えて、街に降りる準備を始める。さほど目立つ容姿ではないので、普通の平民の着るようなドレスを身につければあっという間に街に溶け込める。
それに聖女になったからと言って何か制限されているわけでもない。聖女には個人の願いを叶える力はないし、聖女を害して陰謀に使うこともできない。聖女を害すれば害した人間のみその罰を受けるのだ。それは歴史が実証している。だからこうして時間があれば気ままに市井に遊びに行くことも可能だ。
「フランシス、出かけるわ!」
寝室で着替え終わると手荷物を持って勢いよく居間へ入っていった。フランシスがいると思っていたのだが、いたのは護衛のデュークと侍女一人だった。彼もまたわたしの護衛の一人で顔を合わせる頻度が高い方だった。
「フランシス殿は神殿長に呼ばれています」
「あら、そうなの?」
こちらも貴族出身なのでフランシスほど派手な美貌ではないが、聖女の護衛騎士だと言われるほどの整った容姿をしている。貴族では地味な方かもしれないが、平民の目で見れば十分目立つ容姿だ。街歩きをするなら断然フランシスよりもデュークの方が悪目立ちしなくていい。
デュークの言葉に頷くと、どうしようかと悩む。彼もわたしの格好に気が付いたのだろう。驚いた顔をした。
「セシリアーナ様、どこにお出かけですか?」
「実家に帰って退任することを伝えようかと」
本当のことも言えず、もっともな言い訳をした。デュークは素直に頷くと、すぐに外出の手続きをしてくれると言ってくれた。
「ありがとう」
「いいえ。では少しお待ちください」
部屋に置いてある外出用の書類を記入すると侍女に持たせる。デュークが記入してくれたのだ。きっとすぐに許可が下りるだろう。
「俺もすぐに支度してきます。外には護衛がいますから、何かありましたら声をかけてください」
デュークはそう言い残して部屋を後にした。一人残されたわたしは長椅子に座りこれからの計画を練った。
まず実家に帰ってすることは、今独身でいる男性がどれだけいるかという情報を仕入れることだ。わたしも22歳。平民の結婚は割と早いので、おそらくいい男は残っていないだろう。だが稀に不運な人もいるのだ。それが一つ目の狙い目。
25歳ぐらいの不幸な男性ばかりを狙っていても仕方がないので、ちょっと幅を広げる。広げると言っても上か下かしかないのだが。
上は多分、30歳過ぎ。
ないな、と真っ先に消した。離縁したか、死に別れたか、まさかの未婚のどれかであるが、とても魅力的に思えなかった。
下はどうかと想像する。
「年下の男か……」
ちょっと想像したがあまりうまくいかない。わたしの呟きを聞いたのは、外出の準備をしたデュークだ。
「何が年下の男なんです?」
「……デュークは何歳?」
年を聞かれた彼は困惑の表情を浮かべる。困惑しつつもこちらの質問に答えた。
「俺は18歳です」
「そうなの?」
18歳と聞いて、少し想像した。いけるかもしれない。4歳ほど下になるが、落ち着いた性格をしていればきっと問題ない。問題は18歳になっても婚約者も恋人もいない男がいるかどうかだ。それよりも年下になると気分的にちょっと無理そうだ。
「セシリアーナ様。一体何を考えているんです?」
「え、ああ。婚活よ、婚活。これから気合を入れて行かないと厳しいのよ」
考え事に気を取られすぎていて、隠すのを忘れた。するりと恥ずかしいことを話してしまう。気が付いた時にはすでに遅いのだが、まあ相手はデュークだ。これからも聖女の交代が行われるまでの間、付き合ってもらうのだから隠しても仕方がない。
「婚活?」
「そうよ。わたしも22歳ですもの。真剣に取り組まないと行き遅れたままあっという間に年寄りよ」
唖然としたデュークに勢いよく説明する。
「よく聞いて! 15歳で婚活を始めたのに、聖女になったせいでこの年まで行き遅れ。友達は皆子供を何人も生んでいるのに、わたしはまだ相手すらいないのよ!」
「えーと、ちょっと訂正が」
彼は非常に言いにくそうにわたしの言葉を遮った。気持ちよく鬱憤を吐き出していたわたしは不機嫌に彼を睨んだ。
「何よ?」
「セシリアーナ様にはすでに婚約者がいます」
「はあ?」
婚約者? 婚約者って、結婚を約束した相手よね?
「聖女に就任した時にすでに説明を受けているはずです」
「聞いていないわよ……多分」
彼はどう説明しようかと困ったような様子でうんうん唸っている。じっと彼を待つこと数分。ようやくまとまったのか、デュークは顔をあげて真面目に聞いてきた。
「筆頭護衛騎士を選んだのはセシリアーナ様ですよね?」
「そうね。何人かいた護衛騎士の中で選んだわね。合いそうな人を好きに選んでいいと言われたから」
当時を懐かしく思い出した。平民から聖女へと押し上げられ一杯一杯になっていたところだった。神殿にいる人たちは優しく、何も知らない平民のわたしの教育を丁寧にしてくれた。
優しい人たちに囲まれていたにもかかわらず、当時のわたしは突然すぎる出来事と今まで接したこともない貴族のあれこれに泣きそうな気持で毎日過ごしていた。
そんな中、神殿長に呼ばれた先に出向けば、5人の騎士が背筋を正して待っていた。
平民が騎士を間近で見ることなどほとんどないので、腰が抜けそうなほど驚いたものだ。今ではさほど怖いとは思わないが、15歳のわたしには威圧しか感じなかった。
その中で少し柔らかな印象のフランシスを選んだ。鍛えられているのだろうが他の騎士に比べたらやや細身だったのもよかったのかもしれない。フランシスを選ぶと彼はすっとわたしの前に片膝をつき、忠誠を誓ってくれた。もちろん、決まりきった儀式の一つだ。
だけどその仕草は切り取られた絵のようにとても美しくポーっと見とれてしまった。
今ではすっかり保護者のようになっている彼だったが、わたしの記憶にある出会いは感動的だ。
「それ、筆頭護衛騎士はそのまま婚約者になるんですよ」
「は?」
「あの場にいた騎士たちは聖女との婚姻を望んでいた人たちです」
ええ……ええええ?
「フランシス、が? 誰の婚約者?」
「セシリアーナ様、あなたの婚約者です」
あの背徳感溢れる美貌の騎士がわたしの夫になる?
平凡なわたしの隣に神々しい美貌のフランシス。
ありえない。石を投げられてしまうほどの釣り合いの悪さだ。
「ふふ……ふ。デュークも冗談がきついわね」
「冗談ではありませんよ。今までもフランシス殿、セシリアーナ様にべったりだったでしょう?」
「べったり?」
「そうです。護衛でも休暇は取りますからね」
そう言われれば確かに彼が休暇を取った覚えがない。いつでも気が付けばフランシスがいた。聖女の筆頭護衛騎士だからだと疑問も持たなかった。
茫然とするわたしの耳元に、女神さまのくすくす笑う声が聞こえたような気がした。