聖女の祈り
これはない。
本当にこれはない。
久しぶりに神殿に訪れると、神殿の奥にある応接室に通された。自分が訪問客としてここに来ることになるとは思っていなかった。とても落ち着いた内装の応接室は1年前とほとんど変わらず居心地が良い。調度品が素晴らしいのもあるが、慣れ親しんだ部屋というのもあるのだと思う。
3日前にステファニーに話があるからと呼び出された。前聖女を呼び出すほどの大きな問題が起こったのかと、やや不安に思いながらフランシスとやってきたのだ。フランシスは不安そうにするわたしを支えるようにずっと手を握っていてくれる。
「ようこそ」
応接室で待っているとステファニーが嬉しそうに入ってきた。その笑顔に何かが起こったわけではないのだとほっと力を抜く。
「何があったんだろうと心配していたの」
「ああ、ごめんなさい。いい報告なの!」
ステファニーはいつになく感情を露にしていた。わたしはそんな彼女に話を進めるように促した。
「わかったから、落ち着いて!」
「セシリアーナ様が次の聖女に選ばれたの!」
「は?」
信じられずに、放心した。カップを持っていた手が震えて零れそうになる。フランシスがそれを見てそっとカップを取り上げた。動揺するわたしと違って彼は思案気にしているがとても冷静だ。
「ですから、セシリアーナ様がわたしの次の聖女なのです」
「えええ、どういうこと?」
「やはりセシリアーナ様の祈りは女神さまにとって特別なのだと思います」
おっとりとした笑みを浮かべてステファニーは告げた。優雅な手つきでカップを持つ姿は以前と変わらない。彼女の後ろにはクリフォードが立っている。しかも筆頭護衛騎士の制服を着てだ。
彼女の願いをわたしは知っている。
王族ではないクリフォードと一緒に幸せになること。
彼女の一緒にということは結婚するという意味だ。
二人を見て思わず唸った。
「わたし、人妻なのだけど」
「女神さまが言うには、独身も人妻も関係ないのだとか。祈りの力だけがすべてのようです」
「……確か、聖女に選ばれても断ることができるはず」
そうだ、神殿長が言っていたではないか。断ることができると。今こそこれを使う時だ。
ステファニーは困ったように後ろに立つクリフォードを見上げた。
「どうしましょう?」
「大丈夫。セシリアーナは引き受けてくれるよ」
自信満々に告げられて、むっと唇を尖らせた。
「引き受けないわよ。フランシスと別れるつもりはないもの」
「別れる必要はありませんわ。数代前ですが、やはり結婚している女性が聖女として勤めあげていますから」
何それ、聞いたことがない。
驚きに目を瞬いた。ステファニーは万全の準備をしてこの場を整えたのだと思い至る。わたしの断りのすべての理由に答えが用意されているのだ。貴族令嬢は儚げだが、本当に強かだ。まったく勝てる気がしない。
「わたくし、調べましたの。その方は夫が職人だったので護衛騎士にはなれませんでしたが、神殿で普通に夫婦として過ごしていたようです」
「そうなの?」
「ええ。幸い、フランシス様は護衛騎士でありましたから、もう一度筆頭護衛騎士となります」
わたしは隣に座るフランシスをちらっとみた。フランシスはもう諦めているのか、特に何も言わずにじっと座っていた。フランシスの気持ちが知りたかったけど、判断はわたしに任せるつもりのようだ。
言葉にしなくても分かってしまうところがいいのか悪いのか。口だけでもいいから反対されたかったのだろうかと自分の心に問う。
複雑な思いを抱えたまま顔をあげればクリフォードと目が合った。
クリフォードがステファニーの筆頭護衛騎士となってから初めて会うが、なかなか護衛騎士の制服が似合っている。フランシスもいかにも騎士といった感じであったが、クリフォードも物語から出てきたようにとても凛々しい。女遊びがひどかったのが嘘のように、ステファニーと大切にしていた。
「何を願ったんだ?」
「ええ? フランシスによく似た子供が欲しいと女神さまにこの間祈ったわね」
首を捻って答えれば、クリフォードが声を立てて笑った。
「それだな」
「だって、わたし、一人目を産むには遅すぎる年だもの。普通、祈るでしょう?」
「そうですわね。ただ、セシリアーナ様の祈りは強いですから。女神さまにすぐに届いてしまいそうですわ」
ステファニーの言葉は最もだ。フランシスがわたしの手を握った。
「もう一度、引き受けてもいいじゃないか。僕は君と一緒にいられるなら文句はない」
「聖女を務めながら、子供を作ってもいいの?」
「大丈夫だと思います」
こうしてわたしは再び聖女となった。引き受けたことを知った神殿長は上機嫌な笑顔だった。歴代一の祈りの強さを持つ聖女がいるのは国にとってもいいことだから、二度目だろうが既婚者だろうが細かいことは気にならないらしい。
ステファニーは聖女を降りた後、クリフォードと結婚して幸せに暮らしている。ついこの間、妊娠したとの連絡があった。彼女は今とても幸せなんだと思う。
女神さまに願いが届いたのか、わたしも再び聖女になってから1年後、フランシスによく似た女の子を産んだ。次は男の子だとつい祈ってしまい、未だに聖女を続けている。
……わたしはいつまで聖女でいるのだろう。
やや不安がよぎったが、できるところまではしてもいいかという気になっていた。フランシスがいて、子供たちがいて、毎日が幸せだからだ。
だからつい祈ってしまうのだ。
家族が皆幸せであるようにと。
早くわたしよりも強い祈りを持つ聖女が現れてほしい。
それもついでに祈っておいた。
***
「セシリアーナ」
ふと目を開ければ、フランシスがわたしを覗き込んでいた。
先日、ようやく聖女を退任した。二度目に聖女になってから実に30年だ。わたしの純粋な祈りはとても強かったらしく、わたし以上の人材がいなかった。この度、無事に世代交代できて安心している。
気が抜けてしまったのか聖女を退任した後、寝台から起き上がれなくなった。わたしももう53歳だ。色々なところにガタが来ていても不思議はない。これほど長く聖女でいられたのがおかしいのだ。
「あの子は、どう?」
次の聖女となったのは、わたしによく似た孫娘だった。恐ろしいほど純粋な欲望にただただ呆れたのだが、それを彼女に言えばおばあさまに言われたくない、と一蹴された。
確かに聖女を務めた37年間、わたしは女神さまにこれでもかと祈り続けたのだからそれもそうかと頷いた。仕方がないではないか。一つ願いが叶えば、次の願いが生まれるなんて当然だ。しかもわたしには祈る力がある。
「きっと君以上の聖女になるよ」
フランシスもだいぶ年を取った。ただ納得いかないのは年を取っても素敵なのはどういうことか。わたしなんて普通に年を取って、おばあちゃんになったのに。どうやら美貌を保ちたいという思いは他の願いよりもだいぶ弱かったようだ。それともフランシスにはいつまでも素敵にわたしの隣にいてほしいという願いが叶った結果なのか。
「眠くなってきたわ」
もう一度フランシスをしっかりと見つめ、それから目を閉じた。
今までの人生に悔いはない。
だから、最後の願いを祈ろう。
女神さま、女神さま。
そろそろそちらに行くみたいです。
どうか、フランシスもきちんとわたしの隣にいるようにお願いいたしますね。
Fin.
本編はこれで完結です。最後までお付き合いありがとうございました。
残りはあと一話です。




