もりのひろまのはいいろのねこ
何の目印もなく真っ直ぐに進もうとすると、ヒトは大きく円を描いて開始地点へ戻ってしまうものらしい。
頻繁に太陽の向きを確認して補正したつもりだったのだけれど、それでも真っ直ぐに進めていなかったのか……それとも、僕が半日歩き通した程度では端に到達しないくらいにこの森が広大だったのか。
もう日も傾いてきたというのに、周囲は相変わらず広葉樹の立ち並ぶ森から変わらずにいた。
「夜が近い……」
〔街とか、ちょっと今日中には見付かりそうもないねー〕
原則的には、ハテルマ内の昼夜は現実世界のソレを反転させたものに近しい、という。
つまりは、このまま日が暮れてしまえば、何も見付けられないままに時間切れを迎えて、僕らは現実世界で目を覚ます事になる。
粘って寝ずにログインし続けていたら、寝坊とかするのだろうか?
今から試してみる気はないけれど、どこかで調べておいた方が良いだろう。
〔明日も探索続けるの?〕
「そうなるかなぁ……ソフィアさまに泣き付いても面白くないしね……おっと」
進行方向にスライムを発見。 逃げれば余裕で振り切れるとは言え、これはMMOである。 倒さないという選択肢は選ぶ気になれない。
スライム直近の木まで、その影に隠れるように移動
飛び出し、駆け抜けざまに核を一突き
離脱、残心、追加で索敵……ドロップアイテム回収
〔手慣れてきたわねソレ……〕
「他にやる事もないしね。 何回かやれば慣れるよ。 ……で、なんでミドリは僕の頭の上に乗ってんの?」
〔戦闘の度に置いていかれるこちらの身にもなりなさいよ〕
さいで。
現実での個人付き人工知能は僕らの体内に導入されたナノマシン群とインプラントされた脳内端末などによる出力だから、速度という概念は厳密には適応されない。
ある程度身体を持つように振る舞っているのも当人の趣味の産物であり、ホログラム体だってそういう表示をしているだけである。
その気になれば拡張現実的表示として僕の視覚内にのみ表示される状態に移行出来るし、姿を現さない事だって可能。
当然、僕が移動したって置いていかれるなんて事も起こらない。
表示をプリセットされた相対座標初期位置に戻せばいいだけだ。
けれど、どうやらここではそういう訳にもいかないらしい。
身体を持つプレイヤーとして扱われているのだろうか? 実体を持ち、浮かび、空中を駆け、軽い物くらいは持ち上げたりもする。
代わりに、僕がダッシュしたりすると置いていかれる。
一々自分で移動しなくてはいけないのを煩わしく思ったのかどうかは定かではないけれど、先程からミドリは僕の頭の上を占拠している。
「降りるつもりは」
〔ないわよ。〕
ないらしい。
実体があるせいか、微妙に重いのだけれど。
〔しっかしコレびっくりする程ふわっふわよねぇ……モフっていいかしら〕
「よかないよっ」
触られるとくすぐったいんだよ、そのネコミミ!
近くにあるからといって気軽に手を伸ばすな振り落とすぞ!
閑話休題。
そうして歩き続けていたが、その選択はどうやら間違いでは無かったらしい。
間伐の痕が残っていたり、下草が踏み固められていたり、人の手が入った気配がありありと感じられるようになってきた。
歩いていて野営の出来そうな木の無い空間に出くわす事もあり、先程などは焚き火跡すらあった程だ。
「このまま歩いてれば道にでも出そうな勢いだね?」
〔そうね。 一日も歩かせる意図は掴めないけど……〕
僕自身は(スライム相手限定だけど)戦闘には慣れたし、身のこなしも少しは見れるようなものになったと思う。
今日一日がチュートリアルだとしたら、まぁこういうのもアリなんじゃないだろうか?
僕は楽しめたし、いきなり街中に投げ出されるよりは余程良い。
差し当たってはスライムのドロップアイテムをどうにかしたい所なのだけれど、街に着いたら冒険者ギルドか何かを探せばいいのか―― っ!
「(何かいる……移動……してる)」
〔(私には分からないわね……どうなってんの、その身体)〕
耳が良いのだろうか?
とりあえず息を潜めて木陰に隠れてはみたものの、その何かは移動優先なのか、気配を隠すような事もなく、下草を蹴散らしながら森の中をそれなりの速度で走っているように感じられる。
足音は人っぽい……あ、こっちに気付いた
動きが変わった。
相手がプレイヤーなら僕もこのまま隠れている訳にもいかないし、と木陰から出て歩き出す。
頭上に張り付いていたミドリは引き剥がす。 こんな奇天烈な帽子はいらない。
〔で、どうするのよ〕
「出たとこ勝負、だね」
そうして下草を分け木立の間から現れた彼女は、ミミを伏せ申し訳なさそうに、こう言ったのであった。
「すみませんっ、あなたは家具って作れますか?」
「材料と道具と時間があれば」
ミドリは天を仰いだ。 意味がわからないわよ、とでもぼやいていそうだった。
どこから走ってきたのか息を整えている彼女を観察してみる。
出逢い頭に開口一番家具作れますか? である。 このゲームはVRMMOだと聞いていたんだけれど、僕は何か間違えたのだろうか?
髪は薄灰色、先程から申し訳無さそうに伏せられているミミや力なく垂れている尻尾も同色で、触り心地は良さそうに見える。
顔立ちは整っている。 今はその細い形の良い眉も不安げに顰められてしまっているし、目も伏せられているが、笑えば愛嬌ある笑顔を咲かせそうだ。
服装は僕と似たような感じで、インナーとレザーチュニック。 やはりこれが初期装備なのだろう。
体躯も手足も細い。 とは言え僕も似たようなものなのだけれど。
尻尾は居心地悪そうに脚に巻き付いたりしていて、時々動く。
これも感情に左右されるのだろう。 思い返してみれば、僕の尻尾も気分によって動き方を変えるようだった……
と、彼女の夕焼け色をした瞳がこちらを伺うように向いた。
「ええと……色々あって家具作らなくちゃ街に入れなくなっちゃって、それが出来る人を探してたんです」
「なるほど」
「突然の事で申し訳ないですが、お力をお貸し頂けないでしょうか」
「それで僕が……か。 いいよ。 やってみよう」
「本当ですか! ありがとうございますっ!」
先程までは余程切羽詰まった状態にあったのだろう。 打って変わって表情も晴れやかになった。
視界の端でミドリがまた天を仰いだ。
安請け合いだとでも言うつもりだろうか。
むしろこういう内容こそ僕の得意分野である事は、ミドリなら良く知っていると思うのだけれども……
仲間が待っていると言うので、そこまで移動しがてら状況の説明と自己紹介をお願いする。
ミドリは僕の頭の上に陣取った。
「ええと……わたしは、クレセント=クラウディア、といいます。 種族は亜人種猫獣人で、今日初ダイブです。 ……これくらいでよろしいでしょうか?」
「うん、充分。 僕はルゥ。 種族は同じく亜人種猫獣人、になるんだろうね。 ついでに初ダイブなのも同じ。 よろしくね?」
「はいっ。 よろしくお願いしますっ」
……なんかいま自分の名前じゃないモノが口から飛び出た気がする。
いいや、検証は後だ。
種族に関しても見ての通り。
僕らの揺れる尻尾が物語っている。
ダイブ、という表現も昔からよく使われているものだ。
僕はログインと言うけれど、それは好みだろう。
今日が初ダイブなのは、装備からしても見た通りだろう。
おそらくは同学年、彼女も今日は朝からどこかの集積都市の上層で人波に揉まれてきたに違いない。
「それで、家具を作らなきゃいけないってのは、どういう事なの?」
「はい。 まずわたしがダイブインしたのが街の外だったんです。 そこで仲良くなった人たちが門の検問で引っ掛かってしまって、門番さんには顔を覚えられちゃったみたいだし、今さら嘘は付けないからって……」
「不審な人物は街の中に入れないって、プレイヤーも例外じゃないんだね、このゲーム」
普通はプレイヤーはどこまでも自由に行動できるものなんじゃないだろうか?
「そう! そうなんですよっ こっそり門番さんの持ってた書類見たんですけど、ちゃんと検問した人の名前とか街に入る理由とか書いてあって、ただのオブジェクトじゃないんです。」
「流石はソフィアさま謹製ってところだねぇ……」
ちら、と頭上を見てみる。 こちらを覗き込んだミドリと目が合った。
古典的なチューリングテストなんて余裕でクリアする個人付き人工知能もまた、ソフィアさま謹製の技術の結晶でもある。
門番もこのレベルの知性を持ち合わせた人工知能だとしたら、ちょっとやそっとでは誤魔化すどころかこちらの立場を悪化させかねないだろう。
「君の個人向け汎用人工知能はどうしたの?」
「えっとですね……サツキは別行動で誰か探してもらってます。 家具作れそうな、検問通る時に仲間のフリしてくれる人を、ですね」
「クラウディアさんと同じ事してる訳だ」
「はい」
現実では僕ら個人に紐付けられている人工知能だけれど、このハテルマ内では別個のプレイヤー扱いなのだろう。
別行動が可能だということの有効活用だという訳だ。
「門番さんの目の届くところでそういう人を探すのも危なそうって感じで、森まで出てきたんですけど……材料ならあるじゃないっ! って挑戦し始めたひとがいて……」
「……それ、上手く行ってないんだよね」
「そう、ですね……たぶん、まだ四苦八苦してると思います……」
なんだか。
「……急ごうか」
「はい」
助けを待ってる人が居るのだし、僕らが遅れるほど森の木が犠牲になる気がしてきた。
この生命溢れる森が傷付くのはあまり気分が良くない。
たとえツクリモノだとしても、たとえ破壊される事すらも織り込み済みのオブジェクトに過ぎなくったって。
〔話を聞いている限り、クレセントもルゥも巻き込まれただけじゃないの……傍迷惑なプレイヤーも居たものね〕
「まぁ、僕らと同じように初心者さんだろうし、検問で争って捕まったりしなかっただけマシなんじゃないかなぁ……」
〔甘いわ、甘いっ! 何の為に人工知能が付いてると思ってるのかしら!〕
こうなったらミドリは意見を曲げないから、口を噤むのが得策だ。
いそぐよ、と声を掛けると髪を掴まれた。 命綱のつもりだろうか?
クラウディアさんももう説明する事は無いのか、方向を今一度確認するだけで地面を蹴る。
奔る。
この身体はバランス感覚に優れているから、足を取る下草もそれに隠れた木の根の凸凹も物ともせず、速度を落とさず走っていける。
「場所はそう遠くないんだよね?」
「はいっ もうすぐですよ」
それは重畳。
日も傾いてきた今から家具を完成させるなんて事はできないだろうけど、ログアウトまでにクラウディアさんやその仲間と状況確認ができれば、明日一日は考える余裕が生まれるはずだ。
先導するクラウディアさんの尻尾を追いかけるように、疎らになってきた木々の間を、小道を走り抜ける。
そうして――――
〔お、おかあさま……? いったい、なにを……〕
ミドリがバグった。
気が付いたら1年経っていた