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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ああ……幸せだ。

作者: 綾瀬紗葵

 夏のホラー企画参加作品。

 今年は短編として合計7作品上げる予定です。

 こちらは5作品目。

 猟奇はないですが、精神的、肉体的な暴力描写があります。

 母、娘、息子のつけあがった態度にかなり苛つく可能性もあります。

 お読みの際は自己責任にて宜しくお願い致します。

 また、タグを見て苦手意識を感じた方は読まない方向でお願い致します。



 中小企業課長55歳の俺。

 パートタイマーの妻53歳、大病院勤務医息子独身25歳、大学院生娘独身23歳。

 家庭菜園が出来る程度の土地がついた、3LDK持ち家のローンは完済済み。

 極々普通の一般家庭と、外からは見えるだろうけれど。


 その中身はといえば、生け贄の俺を虐げる化け物どもの住処すみかでしかなかった。

 

『ったく! 医者の俺様の父親が、しみったれた中小企業の課長とかありえねぇよなぁ!』


 と、蹴り飛ばした息子の。

 全国で一番高いと言われた医科大学在学中にかかった、持ち家がもう一軒買える費用を全額出したのは、俺だ。


『もう、信じられない! あんた、どうしてそんなに臭っさいの!』


 と、鼻を摘まんで嫌そうに眉根を寄せた娘が。

 暴漢に襲われた時に庇って全治三ヶ月の怪我を負ったのは、俺だ。

 

『……どうしてあなたは、何もかも駄目なの? 解ってるわよね? あなたが皆に罵声を浴びせられ、蹴られ、殴られるのは、あなたが悪いからなのよ?』


 と、息子娘を先導して肉体的、精神的にダメージを与え続ける妻は。

 身の丈に合わない贅沢の果てに抱え込んだ数百万に上った借金の返済も、ストーカーの撃退もやらせた挙げ句。

 俺の子ではない子供の中絶証明書に、サインをさせた。


 何故、ここまで虐げられなければならないのだろう。

 何故、こんなに我慢しなければならないのだろう。


 それは。

 外面が良すぎる妻と子供達の完璧な根回しに勝てないと、諦めてしまったから。


 会社にいる時間だけが天国だったが、早期退職者に支払われる特別退職金に目が眩んだ妻が、会社にしつこく電話攻撃をした挙げ句、再三の注意を無視して会社に押しかけてくれたお陰で、随分と居心地が悪くなってしまった。


 

 今日も定時を回り、許されている残業時間も回ってしまった。

 帰宅しなければならないが、足が重い。

 深々と溜息をつきながら、ふと。

 視界の端に映った男が、奇妙なほどに機嫌が良いのが気になって声をかけた。


 仕事ができず性格的にも問題があり閑職に回された男は、常に苛立っており遠巻きにされている。

 それが、更に男を苛立たせるのだろう。

 突然意味不明の甲高い絶叫を上げたりもする。

 いい加減退職を勧められそうなものだが、有力なコネでもあるのか、未だほとんど仕事もないのに在籍し続けていた。


「渡辺君! 随分とご機嫌だね? 何か良い事があったのかい?」


「……伊藤課長? ええ。そうです。良い事、あるんですよ」


 一瞬訝しげな顔をした渡辺は、相手が自分と解ったら態度をやわらげた。

 渡辺に関する伝達事項は全て回ってくる状態だ。

 特に不愉快な態度を見せず、極々普通に話をする相手に対して渡辺も、そこまで邪険にはできないのだろう。


「そうか。羨ましいなぁ……」


「何でも持ってる課長が、俺を、羨ましいですか?」


 皮肉げに口元を吊り上げた渡辺に、俺はあえて大げさに肩を落としてみせる。


「あぁ、羨ましい。凄く羨ましいよ。最近色々と思うようにいかない事が多いからなぁ」


 妻の電話攻撃は有名になってしまった。

 渡辺の耳にもさすがに届いているだろう。

 しばし、思案して後。

 渡辺は悪戯を思いついた子供のように楽しげに笑った。


「じゃあ、気晴らしといきましょうか! 課長になら教えてあげますよ!」


「何を、だね?」


「良い所に連れて行って差し上げます。ああ、安心して下さい。風俗とか、ギャンブルとか、そういうのとは全然違うので!」


 眉根を寄せた俺の心配を否定するかのように渡辺が笑う。

 

「お金もかかりませんし。あ! 時間は大丈夫ですか? ちょっと車を走らせなきゃならないんですよ」


「あ、ああ。問題ない」


「車は俺が出しますんで」


「宜しく頼む」


 どこへ行くのか、明確な返事をしない渡辺に不信感を覚えるも、元々人を煙に巻くのが好きな男だ。

 今回も、俺を驚かせる事に重点を置いているのだろう。


 先に行ってますね! と、スキップせんばかりの機嫌の良さで、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 残された俺は『トラブル発生につき、泊まり出張。まだどれぐらいかかるかわからない。わかり次第連絡する』と妻宛にメールを送る。


 最近年下のツバメとの浮気に忙しい妻は読まないかもしれないが、別に構わない。

 難癖つけられないための保険なのだから。


 俺はメールを打ち終えると、急いで渡辺の元へと向かった。



 車を走らせること数時間。

 昔の自慢話を延々と聞かされる苦痛に耐えて行き着いたのはなんと、廃遊園地。

 子供達が幼かった頃に、1度だけ来たことがあった、裏野ドリームランド。


 驚くべきことに雑草だらけの駐車場には、何台かの車が止まっている。

 廃車ではない。

 恐らく渡辺と同じ目的で来ている者達の車なのだろう。


「さぁ、着きましたよ」


「裏野ドリームランドか。一度だけ来た事があるよ。廃園前にね」


「そうなんです? 俺は廃園になってから初めて来ましたよ。さぁ、こっちです! 伊藤課長、きっと凄く驚くと思いますよ?」


 渡辺に先導されて、月明かりに照らされている道を歩くこと数分。

 まばゆい光が、いきなり視界を覆った。


「え?」


「ふっふっふ。凄いでしょう? 知る人ぞ知る、想い出のメリーゴーランドですよ!」


 廃園になったのだから、当然遊具は動いていない。

 いないはずなのに。

 メリーゴーランドは、開園したばかりの頃に行った時と微塵も変わらない佇まいで、明るすぎる光と心躍る軽快な音楽の中、ゆっくりと回っている。


 上下する白馬と馬車には、何人かの人が乗っていた。

 男女同じくらいの人数だったが、全員大人だ。

 しかも、自分達は若い部類に入りそうな年齢層の高さだった。


「さぁ! 乗りましょう。伊藤課長!」


 メリーゴーランドが止まったタイミングで、渡辺に手を引かれた俺は馬車の中に押し込まれていた。

 渡辺自身は近くの白馬に乗っている。

 乗馬でもやっていたのか、なかなか堂に入った乗りっぷりだが、注目すべきはそこではないだろう。

 メリーゴーランドから、誰一人として降りていない。


 軽やかな発進音がして、メリーゴーランドが再び動き出す。


「え?」


 動き出すのと同時に、馬車の中。

 人が現れた。

 妻と息子と娘。

 妻は若く、二人の子供はまだ幼い。

 気がつけば、俺の膝の上に息子が乗っている。


『家族で乗るメリーゴーランドは良いわねぇ』

 

『ぼく、おうまさんにも、のりたいなぁ』


『あたちも!』


『ふふふ。まだ危ないわ、ねぇ、あなた?』


「……ああ、もう少し大きくなったらじゃないと駄目だな」


『じゃあ、おおきくなったら、またこようよ!』


『こようよ!』


『子供達もこんなに喜んでいるし、私も嬉しいわ。ねぇ、あなた。また家族揃って来ましょうね』


「そうだな。また、来られたら、いいな……」


 最後の俺の言葉以外は、過去に一度だけ来た時とまるで同じものだった。

 俺の言葉が違うのは、それから二度とここへ来ることはなかったから。


 涙を零す俺に対して、三人は三者三様の労りを見せる。


『ぱぱ、どうしたの? どこか、いたいの?』


『なにか、かなしいことがあったの?』


『あなた、大丈夫? ……もしかして、嬉し泣き? 感極まったとか? ふふふ。あなたったら感動屋さんだもんねぇ』


 妻の言葉には聞き慣れてしまった嫌味が微塵も含まれていない。

 俺が嬉しくて泣いているのだと笑顔で説明したら、子供達は不思議そうな顔をしながらも、痛くないなら、悲しくないならいいと笑った。


 今では考えられないやりとりだ。

 懐かしい。

 本当に、懐かしい。


 俺はメリーゴーランドが止まっても、他の人々同様に降りなかった。

 馬車に乗っている間は、あの頃の、理想の家庭だった会話ができる。

 最初こそ、経験をなぞっているだけのものだったが、数を重ねるごとに新しい会話が増えてきた。

 

 ああ……幸せだ。


「え?」


 ふっと目の前の家族が消える。

 周囲を見回しても、古ぼけてあちこち壊れている馬車の内部が目に映り込むだけだ。


「あー残念。今日はこれでお仕舞いですね。日が完全に落ちてから、日が昇るまでしか、動かないみたいなんですよ、このメリーゴーランド」


 見れば周囲の人々も、錆も酷い壊れかけた馬や馬車から降りて、名残惜しそうに帰途についている。


「どうですか、伊藤課長。良い場所だったでしょう?」


 何時ものように自慢げに言ってくる渡辺に、俺は何時もと違う心からの感謝を込めて返した。


「ああ。最高に良い場所だったよ。ありがとう、渡辺君」



 ただいまの声もなく乱暴に玄関を開けて閉めた息子が、足音も高く家の中に入ってくる。


「お袋っ! 親父はっ!」


「……まだ帰って来ないわよ」


「……もう、一週間なのにね」


 だらだらと夕食を食べていた娘も、面白くなさそうに箸を投げる。


「ちっくしょ! 何で帰って来ねぇんだよ!」


「仕事が忙しいんですって。トラブル連発で、出張先に詰めているみたいよ」


「ったく、屑がっ!」


 息子は夕食も取らずに、部屋へ籠もってしまった。

 また、嫌な患者にでも当たったのだろう。

 何故か嫌がらせにように、息子にばかり嫌な患者が当たるらしい。

 大半の同僚達からは同情されているが、一部に、ざまぁみろ的な態度を取られるのが、腹立たしくて仕方ないようだった。


「でもさ、お母さん。一週間って長くない?」


「なによ! あの人が嘘を吐いているって言うの!」


 真面目なだけの夫。

 私がどんな酷い嘘を吐いても、彼は一度だって嘘を吐かない。

 良い子ちゃんなのだ。

 若いのに、上手く世間を渡れる、あの人とは大違い!


「嘘、じゃなくて……なんか……」


「私は忙しいのよ。心配なら暇な貴女が会社にでも直接押しかければいいでしょう?」


「っつ! 私だって暇じゃないわ!」


 食べ途中の夕食を放置したまま、片付けもせずに部屋へ籠もってしまう娘に声をかけようとして、ふと、気がつく。


 そういえば今日はまだ、夫からのメールが来ていない。



 夫の会社から連絡があったのは、メールが途絶えてから1週間が過ぎてからだった。

 出入り禁止となった私に連絡が来るともなると、余程の問題でもしでかしたのだろうか。

 仕事はできると評判の夫だったのだが。


 応接室に通されるまで、好奇心に満ち満ちた幾つかの眼差しと、数多くの憎悪の凝視に晒されて、居心地悪く待っていると。

 部長と専務と社長が現れた。

 立ち上がって挨拶をしようとするのを、掌で止められるので、渋々ソファに身体を沈める。


「奥さんにお尋ねしたいのですが、伊藤君はきちんと帰宅されていますかな?」


「いいえ。トラブル頻発で出張先から戻れないと。一週間前を最後に連絡が途絶えました」


「……一週間も連絡が途絶えていたのに、会社へ連絡されなかったので?」


「今までも! 何度かありましたので! 人の良い夫をこき使っているのだと! 連絡する間もないほどの、労働を強いているのだと思って!」


「そうであれば尚更。連絡を取りますよね、普通なら」


 私は返答に詰まった。

 夫という生け贄がいないので、息子と娘の八つ当たりが酷く、もう何日も浮気相手の家に入り浸っていたのだ。


「伊藤君は会社にはきちんと来ています。以前より精力的に働いてもくれます。我が社の得がたい社員の一人です」


「では、何故、私を呼んだのですか!」


「……伊藤君が、恐らく貴方方を家族と認識できなくなってしまったと告げる為です」


「はぁ?」


「ここ数年、自分からご家族の話をすることなど、とんとなかった彼が、一週間程前から楽しそうに、嬉しそうにご家族の話をするようになりました。まだ、お子さん達が幼かった頃のように」


 言われて、部長と専務とは昔、家族ぐるみの付き合いがあったのを思い出す。

 あの頃はお互い競うようにして、家族自慢をしていた。

 私もそうだった。


「ですが、よくよく聞くとおかしいんですよ。彼の中では、お子さんが小さいままなのです」


「……え?」


「当社の保険医曰く、過度のDVによる記憶障害だろうと」


「でぃ、ぶぃ?」


「されていましたよね? 家族全員で寄ってたかって虐待を。伊藤君、ずっと日記をつけていたんですよ。酷い怪我は診断書も取っていました。膨大な、量でした」


 夫は、そんなコトしない。

 私に、隠し事なんて、できない。


「仕事には全く支障がありません。どころか若い頃の情熱のまま、大変評価の高い仕事ぶりです。ですから私達は、彼の楽園を護ることにしました」


「優秀なお子さんがいらっしゃるのですから、伊藤君がいなくとも生活はできるでしょう? 彼とは絶縁ということで、お願いします」


「何を言って!」


「貴女の不貞の証拠も、うなるほどあります。息子さんの横領の証拠も、娘さんの婚約詐欺の証拠も。全部、オープンにして、全力で戦ってもいいんです、我々は!」


「あんなに、穏やかな人を、優しい、人をっ! よくも、よくも、あそこまで追い詰めたな!」


「落ち着きなさい、部長。気持ちはとてもよく解るが」


「……あの人に会わせて下さいっ!」


 勝手なことを言っているが、夫が私を忘れるなんて有り得ない。

 忘れるくらないなら、耐えてなどくれなかったはずだ。


「いいでしょう。今、呼びます」


 社長が夫を呼ぶ。

 お客様を紹介したいんだ、と言っている。

 客じゃない、妻だ! と、反射的に言うも、部長と専務に睨まれただけで、社長は訂正をしなかった。


「伊藤君の荷物は処分して下さって結構です。ほとんどないと思いますが」


「伊藤君の今後は社が責任を持って、葬式まで面倒を見ますのでご安心を。勿論貴方方をお呼びすることはありません」


「伊藤君に会った後で離婚届を書いて下さい。すぐに提出しますので。その他必要な書類もお願いします。印鑑もこちらで預かっておりますから、貴女はサインするだけで構いませんから」


 三人が好き勝手言うのを、黙って聞く。

 夫さえ来てくれれば、全部なかったことにできるのだと、私は信じていた。

 

 ノックがされて、夫が応接室へ入ってくる。


 私を見て、穏やかに微笑んだ。

 最近では全く見なくなった、心安らぐ優しい微笑だ。


「初めまして、伊藤と申します」


 夫は、そう言って。

 私に名刺を差し出した。


 

 膨大な量の全ての書類にサインをし、二度と会社に来ないようにと改めてこれも書面にし、ようやっと解放された。

 

 先に家へ帰っていた息子と娘に、会社が説明書として手渡して寄越した書類を見せると、二人は愕然としたまま、その日はしゃべりも、眠りもしなかったようだ。

 私は、寝た。

 起きれば、何もかも元通りになると信じて。


 朝起きて、私は元通りになるどころか、状況が悪化したのを自覚せざる得なかった。

 息子が熱々の味噌汁を顔面に投げつけてきて、娘は氷の入ったコップの水を頭からかけたのだ。


 あんたが、父さんを、追い詰めたんだ!

 あんたが、悪いんだ!

 と、罵りながら。



 夫がされたのと同じ虐待の日々。

 あまりにも逃げ込むので、浮気相手にも逃げられた。

 両親は死去し、頼る親戚もいない。

 何より、逃げ出せば、全てをおおやけにすると、約束させられている。

 だからこそ、逃げられないはずだと。

 息子と娘は、次の生け贄を私にしたのだ。



 ああ……なんて不幸なの。

 現実的に考えると、会社がそこまで介入は出来ないんじゃないかと思います。


 DVというと、被害者が女性や子供の印象が強い気がしますが、どうして逃げられないんだろうと思う、社会的地位もあり、力では負けようがない外見の男性が酷いDVの被害者になっているケースも少なくないようです。


 何時かは解って貰える、自分さえ耐えれば大丈夫……と我慢しないで、即時逃げ出して欲しいと思います。


 

 

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