青年と神と鴬と
そこには、青年がいた。
ある青年の話だが、春の夕暮れに一人、教室の窓辺にいた。
窓から入る赤みのなか、青年は黙ってため息をはいた。
この夕焼けというものは厄介なもので、何も悲しい、寂しいといった退廃的な心がなかったとしても、赤くなった校庭が、闇に包まれはじめた教室が、引き摺る音のなくなった椅子が、それを煽るかのような鶯の声が、何か退廃的な何かを生み出し、そこから光と闇のコントラストを描く空にその心も、その体も呑み込まれていくのだ。
その青年もそれのなかに引き摺りこまれていく一つの魂であった。
もちろん本人はまるで気付いていない。
知らず知らずの内にその世界に塗り潰されていっているのだ。
吐いた溜め息も、ただただ、その混沌とした世界に潜り込み、それに入って半ば悦に浸ったというような、または甘味な世界に呑み込まれてない、と違う方向で悦に浸っているだけで、意味はない。
青年は全ては夕日の光と、闇と、四角い箱の空間に閉じ込められ、とろけてしまっているのだ。
それを彼が気付いているか、気付いていないかは小生には分からない。むしろわざと、あえて気付かない振りをしているのやも分からない。
それが青春なのやもしらん。
個性や集合体など気にもとめず、どろどろの世界に唯一個体として生きていると感じるその瞬間が青春なのやもしれない。
それが自分の形も分からぬ、自分の姿すらどろどろの世界に紛れ込んでいる一個体やも知らぬのに…。
そんなうつろな青年の眼にあるものがとまった。
運動場の片隅に植えられている梅の木である。いや、梅の木というよりその枝に止まる一匹の鴬である。
小さな花の近くで、絵に描かれたようにそこにあった。
青年はそんな鴬と自分が一緒なような気がした。
もちろん、膨れ上がった自意識をもつ青年には、本当にそうなのか、そうでないのかは全く分かっていない。
最早、世界の全ては彼を中心に、彼の為にあったのである。
彼が世界の神になった瞬間なのだ。
だから、あの鴬も彼のものだったのである。
その無知なる神は、神にすらなれない鴬に一つの歌を送った。
うぐひすや 一羽でなくか 梅の枝
その時、教室のドアが開き、バットを持ち、グローブを手につけた大柄な男が入った瞬間に、世界は崩壊し、神は世界と共に死んだ。
死ぬ間際に神は、青年へと姿を変え、また、人間へと変わった。
青年は、大柄な男に軽く会釈した後、ゆっくりと帰路についた。