第十三話 結婚カウントダウン
思い出すと恐怖が甦ってくる。
職場で近藤に会うと、心拍数があがる。
しかし、この恐怖に打ち勝たねば仕事を続けていくことが出来ないのだ。
いや、どうしてもとなれば、退職も仕方がないだろう。
仕事と敦のどちらかと言われれば、考えるまでも無く敦なのだ。
とはいえ、これ以上のことがあるとは思えない。
いくらなんでも、これ以上のことをすれば課長という立場も危なくなってくる。
あるいは、次の人事異動で飛ばされるかだ。
しかし、移動させるにはそれなりの理由が必要だ。
一女子社員を飛ばすことは、社風から考えてもあり得ない。
真央は静かに近藤の中に燻る炎が沈下するのを待つしかなかった。
しかし、それも大分落ち着いたのか、最近は職場でもこれといった弊害も無く、電話やメールも掛かってくることは無くなっていた。
これからは全てが順調に流れると予想された。
「そう言えば、あれから何も言わないけど」
急に思い出したように真央が敦を見た。
「え?何のこと?」
「夢よ。白い世界の」
「あぁ、あれか……」
「見てないの?」
「いや、見てるよ」
「見て、何か起こった?」
「そうだなぁ……」
敦はしばらく考えるように空を見つめた。
「あぁ、あったあった。飛びっきりのヤツが」
「とびっきり?」
「うん、夢を見たその日の午後に、いつも行くラーメン屋の店員さんにラブレターをもらった」
「今時ラブレター?」
「うん、なかなか渋いよね」
「何て書いてあったの?」
多少面白くないのか、声がなじるように響く。
「好きです。メールくださいってさ」
「いくつの人?」
「さぁ。高校生くらいじゃないの?」
「そんなに若い子いたかしら?」
「バイトだろ」
「それでどうしたの?」
「メールせずに、次に会ったときに『今度奥さんと食べに来るね』って言ったよ」
「よしよし、合格! でも、その子ショック受けてなかった?」
「いや『結婚してるんですかぁ』って笑ってたよ。一週間後には、今付き合ってる彼氏ですって写真見せられた」
「早いわねぇ。というか、どういう事なんだろう」
「分からん。こんな小父さんにどんな魅力があるのか、教えて欲しいね」
「私も聞きたいわ」
「真央は分かってるだろう」
「私は十代じゃないわ」
「そういう意味か」
明るい午後の昼下がり、夏の余韻と秋の風が混ざり合った空気が部屋の中に流れ込んでくる。
ひとしきり笑うと、他には無いのかと促された。
「そうだなぁ、木本工務店の社長から大口の仕事を紹介してもらったよ」
「へぇ、それは良かったじゃない!」
「あぁ、かなりの大口だからね。だけど、現場に行ってびっくりだったよ」
真央が真剣な表情で敦を見つめている。
「何とお客さんは」
「うんうん」
「やくざだったのさ」
「やくざって……本物の?」
「あぁ、本物の極道だよ。しかも組事務所に呼ばれたから、びびったよ」
「それは……確かに」
「ソファに座っていても、黒いスーツの男たちや柄シャツのチンピラ風のが目に付いちゃって。声が上ずって、上がりまくりだったね」
「結構気が小さいのね」
真央が笑い転げている。
「真央だってそんなところに行けば、緊張するって」
「真央だってって、私は女よ」
「そうか。」
小さく睨む真央の目が可愛くて、笑みがこぼれる。
「他には?」
冷蔵庫から冷たい飲み物を出してきて、敦に渡しながら続きをせがんでくる。
「もう引越しの片付けが面倒くさくなってきたんだろ」
「そんな事……ばれた?」
二人で又笑う。
「やらなくちゃ終わらないよ」
「分かってるけど、後は何があった?」
こうなると、全部聞き出すまでは終わりそうに無い。
「後は……」
敦が思いつくままに、夢を見たその日に起こったことを話して聞かせた。
「後は、真央が結婚を承諾してくれて、今が幸せだって事かな」
「それ、おかしくない?」
「何が?」
「だって、どれもいい事があって悪い事があるじゃない?」
「そうか?」
「そうよ。だって、工務店から紹介があって喜んだけど、やくざだった。
これは良い事の後に悪いことでしょ?」
「ん、まぁ。それでも仕事はできたけどね」
「高校生に告白されたけど、一週間後に彼氏がいますって振られた」
「それは、振られたわけじゃないと思うぞ」
「他のも、良いことの後に悪い事があるじゃない?」
「そう言われると、そんな気もするけど」
「だから、この結婚は違うんじゃない?」
「そうかな?」
「もしくは、これからビックリするような悪い事が起こるとか」
「おい! 嫌な事を言うなよ」
敦が、本当に嫌そうな顔をしたので、真央が大爆笑という図になった。
「まぁ、後三日したら、晴れて夫婦だもの。今更何があるって……なぁ」
敦が勇気付けるように真央の肩に手を置いた。
「真央」
「うん?」
雰囲気的には最高潮というところだ。
お互いの視線がぶつかり、絡み合った。次に起こることは予測される。
「腹減らないか?」
「そういえば……」
二人共に笑い転げる。
そして、お互いにこの笑いが一生続くと信じていた。




