プロローグ
数時間前に日の暮れた夜の街。都会は眠らないという言葉は本当らしく、深夜を回った今でも行き交う人が見受けられる。彼等の顔は疲れきったものであり、中には、目を擦りながら帰路についている新入社員もいた。
その街並みからずいっと頭を出した、オフィスビルの屋上。誰にも気付かれることなく、一人の人物が、楽しげに街の様子を見下ろしていた。
生憎の悪天候により、月が強制休業中なのでその姿の詳細は、よく見ることが出来ない。目を凝らして、やっとのこと輪郭が確認できるほどである。
深夜が過ぎて残業組が帰った今 、その人物以外には誰もいない。 玄関の扉を始め、全ての窓という窓には鍵がかかっている。入って来ることは不可能だ。
……の前に、歴とした不法侵入である。
だが、その人物には全く悪びれるような素振りが見あたらない。それどころか、「自分はしっかり企業に許可貰ってここにいるので全然問題ありませんノープログレムです」などと言いたげな、あくまでも堂々とした態度だ。
その視線は夜の街から動かない。人々の喧騒が遠く聞こえ、足元にはキラキラ光るガラス繊維のような電光の海。光が鉛色の雲に反射して、その雲自体が輝きを放っているように見える。
まさしく、息を呑むような絶景の中心に彼はいた。何一つ言うことなく、彼は絶対的な静寂の中、その景色をを食い入るように見つめ続けた。
数分が過ぎ、彼は始めて視界を街から外し軽やかに息を吐いた。
「美しいですね……こんな絶景を見られるなんて、今宵はいい夜だ。」
「えぇ、そうかな?僕この光、目がチカチカするから嫌いだよ。」
彼の独り言に、どこからか返答が戻ってくる。無論、その姿を確認することは出来なかった。
小学生並みの答えに、少年は特徴的な含み笑いを漏らした。
「確かにそうですね。何の助けもなしにここまで美しく輝く。そして、いつか消えてしまいそうになっても尚、光ろうとする。眩しすぎて、僕たちが近付くのは難しい。まるで人の心だ。」
最後の言葉には少し嬉しそうな、それでいて悲しげな響きが籠っていたのだが、方の相手が気付くことはなかった。
「人生、そう上手く出来てないからね~」
「ええ。たくさんの人が行き場のない悩みを抱えながらも、懸命に生きている。」
でもさ、と高い声の持ち主は問いかけた。
「そんな人達を救うのが、僕らの仕事だろ?」
少しの間、驚いたように間を空け、彼は口を開いた。
「まさか、毎回足を引っ張るお前の口から、そのような言葉が出るとは思ってもいませんでした……」
「なんだよー!!これでも僕は僕なりに、この仕事に誇り持ってるんだぞ!?」
ムキーッと怒りを露にする相手に冗談ですよ、と弁解しながらも、彼は再び視界を街に移した。
「その通り。今日はその為に、ここまで足を運んだんですから。」
あ、と彼は間抜けた声を発し、腕の時計を確認した。
「そろそろ時間です。」
「仕事だね!!」
相手の期待に満ちた声に、彼は首肯で答えた。
「では、行きましょうか」
「『悩める人』の元へ」