ザック=レトリック
二人の間に緊張感が走る。この男が冗談を言っているとは思わない。それほどこの男の発する凄みというか、雰囲気がある。
だが、にわかに信じるほど伐折羅は馬鹿じゃない。そこですこしカマを賭けてみることにした。
「ば、馬鹿なこと言うんじゃないよ。あんた流れ者だろ?何も知らないってのは怖いな。」
伐折羅は精一杯笑って見せた。だが、背中に冷たい汗が流れる。酔いが一瞬で冷めるかのように。
「馬鹿な事だと思うかい?」
はじめて男は伐折羅の方を向いて、話しかけた。蛇に睨まれた蛙のように伐折羅は動けない。体の体温がみるみる下がっていく様な錯覚すらおぼえる。
「あ、あんた・・・本当にできるのかい?」
いまにも消えてしまいそうな、か細い声で男に答える。
「『本当にできるのかい』ねえ・・・ククク・・・」
爬虫類の様な笑い顔で、肩をゆすって笑っている。男はグラスの酒をグビリと飲んで舌なめずりをした。
「俺は、ザック=レトリックって言うんだが、知ってるかい?それともこんな田舎じゃ俺の名前なんか知るわけないか?」
ザック=レトリック。知っている、伐折羅はこの名前を知っている。
金さえ積めば、女子供さえ殺害するという冷酷な殺し屋。有名な話では、さる資産家が突然亡くなった。資産家の男は70を超えて、自分より30以上はなれた若い妻と結婚した。それから数年たってから突然男は死んでしまった。
資産家の男を良く知る者達からは、「まぁ、随分強引な方でしたからね。敵は多かったと思いますよ。」
最初彼の妻が疑われたのだが(実際は妻が、ザックに依頼していた)、男の葬儀の時の悲しみ方と、深い落ち込み方に世間は、彼女は本当に男を愛していたんだ、と思うようになり、彼女の容疑は段々消えていき、数年後、彼女は屋敷を出て消息不明となった。
すると後にこんな事が噂されるようになった。「彼を殺したのは、ザック=レトリックじゃないか?」「ヤツならこんなことは他愛もなくやってのけるだろうな。」「じゃあ誰がヤツに依頼したんだ?」「あの人には敵が多かったから特定するのは難しいだろう。」
砂漠のオアシスの町にもこの話は伝わってきた。とうぜん伐折羅の耳にもはいっている、その男が自分の目の前に座っている。
「あ、あ、あんたが、あ、あのザック=レトリック・・・」
もう完全に酔いは醒めた、確実に。
「ありがたいね、こんな田舎の町でも俺を知っているとは。」
ザックはグラスを伐折羅のグラスにカチンとあわせ、乾杯の様にグラスを軽く上げ飲んだ。
「で、どうだい?俺が何者か判ったところで改めて俺に任せてみないかい?」
伐折羅はゴクリと喉をならして。
「あ、あんたがやってくれるなら、良いも悪いもない。だが・・・あんたに頼むほどの金が無い。」
ザックはにやりと笑って、タバコに火を付けた。
「ああ、かまわねぇよ。見てのとおり今は娘を連れて旅行中だ。あんたが払える額と、ここの支払いでいい。」
「わ、わかった。あんたにヤツらの始末をたのむよ。ここの支払いはまかせとけ、残りの金は・・・」
ザックはスクリと立って、帰り支度をしている。伐折羅の肩に手を置いて、耳打ちをした。
「残りの金は2日後の夜でいい。土産にヤツらの首を持ってきてやる。」
「お、おいあんた、ヤツらの顔をしってるのかい?」
ザックはニヤリと笑ってタバコの煙をはいた。そして何も言わずにそのまま店を出て行った。その後ろに少女も付いて行く、ドアの近くまで少女が行った時、クルリと振向き伐折羅に近づいてきた。
「・・・」
伐折羅はきょとんとして、少女に話しかけた。
「な、なにかな?お、お嬢ちゃん」
「お金は・・・お金は用意しなくていいよ・・・」
へ?どういうこと?と聞こうとしたが、少女は俯いたまま父親の元にもどっていった。
伐折羅は呆然としている。しばらくして我に返った。もしかしてとんでもないヤツと知り合ったんじゃないだろうか?
これ以上飲む気にもなれず、自分の分とザックらの支払いをして店を後にした。
町のはずれに2つの影。1つは大きく、もう1つは小さい。
「10日も銃を握ってないと勘が鈍ってきそうだ。全く、たかが餓鬼2人に何ビビってやがるんだ?だらしない連中だぜ。」
ザックは指をコキコキと鳴らしながら、タバコをふかしている。
「おい」
後ろをついてくる少女に振り返らずに話したが、返事が無いので少し苛らついた口調で。
「おい!呼ばれたら返事くらいしやがれ!全く気味の悪い餓鬼だぜ。」
少女はビクンと肩をすくめ、怯えた表情でザックに答えた。
「は、はい!・・・ご、ごめんなさい・・・パパ。」
ぷっとタバコを吐き捨て、乱暴に足でグシャグシャとタバコをもみ消した。
「で、どうだ?ヤツらの気配は感じたか?」
「う、うん・・・こっちの方向に。」
少女は北西の方向を指差した。
「ここから20キロくらい離れた所に、小さな小屋がある。そこから2人の女の人の気配を感じる。」
ザックは少女が指差した方向を見て、ニヤリと笑い呟くように。
「そうか、そんなに離れちゃいねえな。まぁ違ったら違ったらで準備運動くらいにはなるか。」
人を殺すことを「準備運動」と言ってのける。これこそがザックが恐れられる所以なのだろう。
「よし、じゃあ行くとするか。」
ザックが目的地に向かって歩き始めたが、少女は立ち止まったまま。
「・・・」
少女がついてきていないのを気づいたザックは、またも苛ついて。
「おい!なにしてやがる。ついてきやがれ!」
恐れた目をしながらも、少女はザックの目を向いて言った。
「パパ・・・今回は止めた方がいいよ。じゃないと恐ろしい事が、パパに・・・」
もじもじと話す少女の言葉が終わらないうちに、ザックはツカツカと少女の近くに近づき、鬼の様な形相で睨みつけ拳で少女の顔面を殴りつけた。少女は地面に激しく叩きつけられ口から血を流している。ザックは少女の髪を掴み、持ち上げて脅すような口調で話す。
「お前、誰のおかげで生きてられるんだ?言ってみろ!」
髪の毛を掴んだまま、少女に平手打ちを繰り返す。少女の頬はみるみる真っ赤になっていく、そして血に染まった口を開き。
「パ、パパのおかげです・・・パパが居なかったら、ア、アリサはママと一緒に死んでいました・・・ご、ごめんなさいもう逆らいません・・・」
ザックは平手打ちをようやく止め、髪の毛を掴んだまま地面に打ちつけた。
「アリサ、よくわかってるじゃねぇか。こんど舐めた口叩いたらこの砂漠に捨てていくからな!」
アリサの頭を足で踏みつけ、悪魔の様な笑みを浮かべながら諭す様に言い放った。アリサは「ごめんなさい、許してください。」と何度も繰り返している。
「よし、わかったなら付いて来い。この仕事が終わったらぬいぐるみでも買ってやる。」
アリサは真っ赤に染まった顔で精一杯笑った。こういう優しさがあるからアリサはザックから離れない。もちろん1人では生きて行けないのもあるが。
「う、うん!ありがとうパパ!」
スクっと立ち上がり、ひょこっひょこと父親の後を付いて行く。
2つの影が砂漠へ消えていく、1つは大きく、1つは小さい。