21──キアース視点
銀の卵石から女王様が産まれたのが、今日の話だったとアスターニェから聞いた。生まれたてでの身体には馴染んでいないであろう魔力を上手く使い、魔王様と互角の勝負を繰り広げた女王様は、なんというかとんでもない魔族だった。
魔王様のあの紅玉の瞳に見つめられたら、誰もがその動きを止めてしまうだろう。深く引き込まれる赤色の瞳。その瞳に見つめられながらも、碧眼の瞳で真っ直ぐ魔王様を射抜いた女王様。
だが、その後の展開には色々とつっ込みをいれたい。
女王様が魔王様と同格だという事は、自分の目で確認したからこそ理解するのはあっという間だった。元々、側近であるアスターニェと俺も同格の存在だ。
魔界は常に対で出来ている。例え対が死んだとしても、次の対が生まれるだけ。特にそれについて何かを思う事はない。ただ、実力者については、そうおいそれと死ぬわけではない。
時々だがアスターニェと手合わせをしていたし、その上でこいつは中々死なないだろうなと思っていた。恐らくアスターニェも同じ事を思っていただろうが。
けれど問題はそこではない。
女王様と邂逅したその日から、魔王様の身におこった異変。
とりあえず見てみる気になったのかどうか。それもわからないが、今までは何の興味も示さなかった城の内部の事に興味を持ち始めたのだ。
まずは掃除から。
そう魔王様の口から言われた内容に、俺は言葉を失った。
すいません魔王様。
もう一度お聞きしてもよろしいでしょうか?
いやいやいや。何キョトンとした可愛らしい表情を浮かべているんですか。照れたようにそっぽを向いて、アリアがな…・・・なんて語尾をぼかしながら言うんですか。そっちですか。魔王様がそっちの役割……?
出来れば全力で回避したい、見たくもなかった魔王様のもう1つの表情。
今頃アスターニェはきっと、何も知らない女王様に魔界についての仕組みを教えている頃だろう。風変わりな女王様に対して、アスターニェは面白いとばかりの感情を向けていた。
きっと今頃楽しんでいるんだろうなという事がわかると、妙に憎たらしくなってしまうのは魔王様の所為だろうか。
俺は引きつりそうになる口元を全神経を使って通常に戻し、次の言葉をひたすら待つ。
気のせいであってくれ。
魔王様は魔王様の威厳を保って欲しい。
威厳がなくとも、魔王様を厭う気持ちなどは生まれはしないが、出来れば俺の気のせいであってくれた方が平和だ。今後の事も考えて。
女王様と出会った魔王様の乙女のような表情は、この領では俺しか知らない。
俺だけしか知らない事実であってほしいと思うが、魔王様の暴走は止まらなかった。
何故か掃除をしていたメイドから箒を受け取り、城の掃除をしている魔王様とか実際見ちゃったよ知られちゃったよ
どうしてくれんだよ!!
……言葉使いが荒れてきた所で正気にかえり、俺は箒を取られてしまったメイドへと近付く。俺の足音で正気に戻ったのか、メイドが困ったように眉尻を下げて既に半泣き状態へと陥っている。
俺に続いての被害者だ。
「あ……あの。キアース様……」
可哀想な程にオロオロとするメイド。
名前は何て言ったかな。後で調べておこうと思いながら、首を横へとふる。
「貴方の所為ではありませんよ。魔王様は今、漸く魔界の事に興味をもってくれたのです。今は慣れないでしょうが、どうか落ち着いて何時も通りに仕事に励んで下さい」
口角をあげ、優しげな笑みを形作る。
容姿だけを見たら、ナンバー2には見えない程の優男と称された俺。こうして容姿を利用して相手を落ち着かせたりするのはいつもの事だ。
するとメイドは、青かった表情を真っ赤に染め上げながら俯くと、その状態で頷いた。この反応は珍しくないから、特に何かフォローをする必要はない。
「あらあら。キアース様は今日は別の意味でお疲れね」
音も気配もなく登場したのは、俺に次ぐ地位にいるリトゥレーという女魔族だ。腰まで伸ばした赤い髪に黒の瞳。少し厚めの唇に真っ赤な紅を塗ったその姿は、問題なく美しい。らしい。
俺の好みではないから、別にどうでもいいと思っていたのが伝わったのか、彼女らしくなく頬を膨らませた。可愛い仕草とのギャップがいいと言っている奴等を何人も知っているが、俺には正直わからない。このアンバランスがいいのかどうか。どちらかというと、女王様の容姿の方がこ……。
「キアース!」
「はいっ」
俺の心の声が伝わったのかどうか、魔王様が大声を上げた。
その瞬間、殆どの魔族が魔王様の魔力にやられ、ばたばたと倒れていく。
リトゥレーは踏ん張るが、多少苦しそうな表情を浮かべた。完全に無事なのは俺だけか。だから魔王様の側近は俺しか出来ないんだよな、なんて事を考えながら魔王様の前で膝を着く。
「今……いや、アリアは俺の対だ。わかっているな?」
「勿論でございます」
「わかっていればいい」
ふいっと視線を俺から外す魔王様。
だから何故頬を赤く染めているんですか。つっこみませんよ。後々きっと後悔するだろうから。そして悟りの能力に長けた事が判明したからには、魔王様の近くでは不用意な事を考えるのはやめておこう。
心の奥底から刻み込み、俺は顔を上げ──た瞬間後悔した。
嬉しそうに瞳を細め、何故か手の中の箒に熱い視線を向けている。どうして、掃除道具にそんな熱い眼差しを向けているんでしょうか……。
「実際手で持ってみるとわかるが、随分と年季が入ったものだな。この辺りを一斉に買い換えたい。アリアに連絡をとるぞ!」
何故声を弾ませているのでしょうか魔王様。
そんなに直ぐに会いたくなるものなのですか。
300年もの間、余程孤独だったのだろう。
俺達がいても、対がいないという焦燥感は俺達には理解出来ない感情だ。リトゥレーもそんな魔王様を見て、顔を伏せている。俺からは嬉しげな表情を浮かべているのがよくわかるけど。
つまり、魔王様の喜びは俺達の喜びでもある。
魔王様を喜ばせる女王様への嫉妬等は存在していないのだ。
それが、対であるという事。
「それとも女王領に行った方が早いか。キアース、行くぞ!!」
「……ま……魔王様。女王様は卵石から孵ったばかりの生まれたてです。今回だけは文でその旨を伝え、会合の約束を取り付ける方が良いかと」
脳裏に浮かぶのは、文句を言うアスターニェの姿。
今日だけは、かなり疲れているだろう。生まれた直後に少しとはいえ、魔王様と互角の勝負を繰り広げたのだから。そんな俺の言葉に魔王様は少しだけ悩む素振りを見せた後、素直に頷いてくれた。
こんな魔王様は見た事はないが、先ほどの乙女のような表情よりは比べ物にならない程マシだ。
俺はリトゥレーに文の準備を頼むと、証拠となる掃除用具の撮影に入る。実際見てもらったほうがいいだろうが、一枚ぐらいは写真をつけておこう。
「わかった。今回だけだがな」
厳格な表情を浮かべて言葉を紡ぐ魔王様の迫力は相変わらずだったが、今日ばかりは素直に畏怖の感情を持つ事は難しい。
それから暫く、乙女の魔王様が夢に出てきて最悪だった事を、俺は誰にやつあたればいいんだろうか。
そんな事を真面目に、真剣に考えていたのはいうまでもない。