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私が契約書を挟んだ銀のフレームを見ながら満足気に頷いていると、アスターニェもにっこりと笑顔になる。性格さえ知らなかったら、爽やかなイケメンなのにね。残念。
「女王様。今日は初めての魔法を使って疲れませんでしたか? 今はそうでないのかもしれませんが、後で辛くなる可能性もあります。今日はもう休んだ方がいいでしょう」
アスターニェからのまともな言葉に戸惑いながら、私はそうなんだ……と間抜けな声を漏らしてしまった。内容も吃驚だけど、真面目な表情のアスターニェも吃驚だ。
そういう事も言えるんだね。
「その前にお風呂に入りたいなぁ……なんて」
見た目は分からないかもしれないけど、キィラと戦ってから然程時間は経っていない。汗もかいたし、お風呂にははいりたい。
「一応確認させていただきますが、お一人で入りますか?」
アスターニェの質問に、勿論とばかりに首を縦にふる。
「当たり前でしょ。着替えとかも手伝ってもらわなくていいから。あ。私が1人で入る事によって仕事がなくなりましたって人がいても、解雇とかは禁止ね。新しい仕事を見つけるから」
キッパリと言い切る。
多分なんだけど、そういう人っているんじゃないかな。一般市民のいい年した大人の感覚の私としては、お風呂を人に手伝ってもらう事自体考えられない。
でも、それによって解雇される人がいても嫌だし。
「それは大丈夫ですよ。傍仕えは主に私がつきますが、メイドが1魔つく程度ですから。このメイドは女王様の休憩時間にお茶を用意したりとするメイドです。女王様はお茶の好みとかはありますか?」
「んー。異世界のも大丈夫なら、コーヒー紅茶甘い飲み物なんでも大好きだから、美味しく煎れてくれる魔族の人だったら嬉しい」
時間がかかってもいいから、手間をかけていれた紅茶を煎れてくれる人の方がいい。美味しいし。
「それでしたら大丈夫でしょう。彼女は万能ですから。ですが、彼女と顔を合わせるのは暫く後になります」
「え?」
想像していなかった言葉に、疑問の声がもれた。
「まだ、女王様にお会い出来るのは私だけになります」
「何で??」
疑問が浮かぶが、それもしかたないと思うのね。会えるのがアスターニェだけってなんでだろう。
疑問しか浮かばない。
「女王様の力がこちらに馴染むまでの不便になります。今の所、私しか直接の力には耐えられませんから」
「そうなんだ」
とりあえず、そういうものだと理解しながら、それじゃあ暫くはアスターニェ以外には顔を合わせられないんだと思いつつ頷く。
「そっか。それじゃあ結論が出た所で、タオルとか着替えとかはどうすればいい?」
顔を合わせられないけど、多分部屋の外とかに準備してくれるんだろうと思う。ちょっと不便だなぁ。後で自分で用意するって言おうかな。
「それも女王様自らが用意するつもりですか?」
「つもりだよ」
何を当たり前の事をと思ったけど、この世界だと違うのかもしれない。
アスターニェは眉間の皺に左手の平でなぞり、標準の顔で頷く。
「女王様。先程説明しましたが、こちらの扉から寝室にいけます。その奥は女王様の衣裳部屋になります。そこにご要望のものがあります。それと衣裳部屋と寝室を行き来出来るのは女王様だけなのでご安心下さい。
希望の浴室ですが、寝室の角に魔方陣をひいてあります。そこから女王様専用の浴室へと行けます」
寝室へ続く扉を開けてみると、奥に扉が見えた。ふむふむ。あそこが衣裳部屋ね。
「ここもそうですが、廊下側の扉からしか我々は出入り出来ません。それも不特定多数ではなく、女王様に許可をいただいたものだけです」
「そうなんだ。それじゃーメイドさんを紹介してもらって、許可を出せばいいんだね」
「はい。そうなります」
「うーん。そのメイドさんも後々でいいよ。着替えも飲み物の準備とかも。そういえば許可制なら、掃除はどうなってるの?」
疑問を口に出してみたら、アスターニェの表情が疑惑のものへと変わる。
「メイドも後々ですか?」
「うん。後々」
意外そうな一言、というより、疑惑かも。でも、私の当たり前でしょといわんばかりの態度に、言葉を続けてくれた。
「部屋の四隅に置かれている魔法具で自動的に掃除はしてくれます。それを作ったのは女王様なので、魔力さえ注げば半永久的に効果は持続します」
「それって便利。じゃー今日はありがとうね。アスターニェ。明日もよろしくお願いします」
有無を言わさない表情に、アスターニェが口を閉じた後、確認するかのような表情のまま答えてくれた。
「……いえ、こちらこそ。明日もよろしくお願いいたします」
アスターニェも頭を下げ、執務室から出て行く。私はというと、さっそく衣裳部屋に行き、必要なものを箪笥から取り出す。これって歴代の女王のものなのかなぁ。ふとそんな事を考えたら、それは違うと脳裏に響いた。語りかけてきたのは、部屋の四隅に置かれた魔法具からのような気がした。
「ん? つまり」
〈ここに置かれている魔法具は更に特殊で、女王が変わる度に全てを布から作り直します〉
「ふぅん。そうなんだ」
私はまだ分からないけど、布の専用置場の部屋とかもあるんだろうなぁ。でもそれなら安心して使えるね。
タオルでくるんだ着替えを持って、私は寝室の魔方陣を踏む。すると、視界は一瞬で切り替わった。ここも部屋の隅に魔法具が置いてある。
相当広い浴室に、私の気分は上がりっぱなしだ。何これ贅沢! 温泉旅館に泊まったと同じぐらい、色々な浴室があってテンションが上がる!
日替わりでお風呂を変えられるね。何か日本全国の温泉を一箇所に纏めた感じ。広さは東京ドーム何個分とかなんだろうと思う。
今日は無難なお風呂にしたけど、明日は泡ぶくぶくと浮かび上がる温泉入ろうかな。あ。サウナもある。マッサージ機もあるように見えるんだけど、きっと私の知っている物とは何かが違うんだろうなぁ。
「よし。今日は軽く入って、早くベッドに横になろっと。
流石に誰も居ない浴室で倒れるのは嫌だし。
そんな事を思いながらゆっくりとお風呂を堪能していた。