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黒魔女さんの舌は神の舌!

掲載日:2026/06/14

オリヴィアは鏡の前で橙色のサテンのリボンをポニーテールに器用に結んだ。小さな金木犀の小花柄で気に入っている。

叔母から貰った時から毎日こうやってつけている。

スキンケアルーティンは杜撰だが、この習慣は小さい頃から欠かしたことがない。

黒髪を揺らして階下に降りると朝食は油条と菜包、粥だった。

大きな木製の壁掛け時計がカチッ、カチッと時を刻んでいる。

「じゃ行ってくるよ」父さんがスーツのネクタイを締めて立ち上がる。

「行ってらっしゃい」

母さんはまだ幼い弟にかかりきりで忙しく、目を合わせずに答えた。

突然風が吹いた。オリヴィアの左の椅子が勝手に動いてリモコンが宙に浮かぶ。

いつものポルターガイストだ。


オリヴィアがノールックでリモコンを掴んで元に戻すと、後頭部にトランプカードが投げつけられた。

「なんなのよ」

昔からこんな調子なので反射神経は誇れるレベルなのだが、後ろからの不意打ちは卑怯だ。

よく見るとだいぶ前に無くしていたクローバーの女王だった。ラッキー。


その日学校に着くと新しい転校生が紹介された。「エミリー・ドーキンスです。ニューハンプシャーから来ました。エムと呼んでください。」

パラパラと拍手があった。

エムはまるで宇宙服を着ているみたいで、彼女の周りだけ空気が違った。

銀色の瞳のせいなのか、ボブカットのシルバーブロンドのせいなのか、はたまた本人が何か気後れして拒絶しているようでもあった。

移動教室の前にも何か思索に耽っていたらしく、ヴィッキーが声を掛けたのをきっかけに3人で友達になった。

私が直接声を掛けなかったのは勇気が出なかっただけで、エムの気持ちはよくわかる気がした。

知らない人達の喧騒のなかに佇むと、他愛のない雑談が無個性に溶け合って、海に沈むみたいに周りの音が聞こえなくなる。


因みにエムのニットカーディガンはおばあさんが編んだものらしい。あまりにレース編みの出来が良くて商品だと思っていた。ヴィッキーは服が好きなので、衝撃が強かったらしい。

5分くらいずっと「マジか」と呟いていた。

私の母も刺繍は得意だから家に色々飾ってあるけれど、編み物をしているのは見たことがない。


大理石の渡り廊下を通ると第四講義室に着いた。ここは結界が張りやすいサークル上にあるので、変身術か召喚術を行うとき、つまり出入りを封じたい状況が発生する時に主に使われる。


3時間目ともなるとだいぶ打ち解けて、エムも饒舌に話すようになった。

「私、降霊術が使えるんだけど、制御できないの。そもそも親が二人とも普通の人間で…」

発作が増えてきたせいで癲癇で誤魔化せなくなり、制御する為にここに入学したらしい。

泣き叫ぶ黒檀の扉を閉めて席に着くと、召喚術の教師が床に描かれた陣をなぞって安全確認をしていた。

「ご機嫌よう皆さん。それでは授業を始めます。今日は第五章をやっていきますよ。」

しゃがんでズレた丸メガネを直しながら生徒を見渡して呼びかける。


ヴィッキーはペン先をオオトカゲとモルフォ蝶の鱗粉の煎じ液に少し浸すと、あっという間に陣を描きあげた。床から光がじわりと湧き出るようにしてポータルが出来上がった。


手本の陣の、召喚対象を表す記号の部分は黒塗りにされているから、そのまま写して描けばポータルのみが開くという訳だ。


召喚術は彼女の得意分野だ。というか彼女はそれ専門、逆に他はポンコツだ。


「ほら、ここの部分は十字路でしょ、それで地の精霊の象徴がこの土台を作ってて、…こっちの角みたいな渦巻きはパン神みたいだと思わない?きっと自然の理を歪めることをここで彼らに断ってから、畏敬の念を表して、それで次元と次元を結ぶようにこのループがあって、惑星直列が重ねてあって…」嬉々としてヴィッキーが説明してくれるが、正直意味不明だ。

眩暈がしそうだ。なんかもっと楽なやり方はないんだろうか。


オリヴィアはうんざりしてため息をついた。私には大して秀でた分野がない。

教科書には訳のわからない複雑で凝った紋様が並んでいて、正確に写しとるどころか直前に何処を見ていたのかすらもよく分からなくなってくる。トランプの裏側みたいだ。


あなたは偉大な魔女になるわ、お前は最強になれるぞ、と日々愛情を注がれて生きてきたおかげで自己肯定感は普通に高い。

けど、よく考えてみればポンコツは私かもしれない。 


ヤモリは均一に茹でられないし、水晶はうまく磨けない。

おまけに厄介なポルターガイストに付き纏われているから、周りに飛び火したりする。


今日はなんだか鳴りを潜めているけど、通常運転なら棚から本が降ってきたり、食堂のトングが逃げて行ったりするのだ。


あの時ラスイチのヤンニョムチキンを食べ損ねたことはいまだに根に持っている。

自分で作るからいいけど、、あの絶妙に甘辛いソースとジューシーなお肉…あぁ、お腹空いてきた。

そうか、少なくとも一つ得意なことがあった。料理だ。


「…ほら、そう考えると全部理屈が通ってて描きやすいと思わない?」

「…ごめん。私ほんとに苦手だわこれ。」


エミリーはというと、テキストの方陣にピザカッターみたいに四等分の線をいれて、4分の一ずつ模写している。

賢い。その手があったか。


パン神の頭の半分を描いたところでそれは起きた。


エムがガクッと項垂れたかと思うと、見えない何かに頭部を掴まれたかのようにガバッと直立して天を仰ぎガクガクと震え始めた。


「エム!」

なす術もなく慌てていると、

「あら、ちょっと失礼」

先生が気づいて教室の端からいそいそと向かってくる。


震えがおさまり、こちらを向いたエムの眼は極限まで見開かれていた。

真っ黒な瞳孔を縁取った銀色の虹彩が、光の加減で青紫にチラチラと光る。

「神の頭部をかち割るとはなんて不躾な娘だね。あんたもぼーっと見ていないで教えてやるべきだよ、役立たずの小娘。全く己の血に相応しい振る舞いをして欲しいもんだね。」


そういうと方陣をトネリコとライムの練り消しでちまちまと消していくと、羽根ペンを取り上げてカリカリと地道に法陣を描き直し始めた。


先生も驚いて「まあ、」と呟いたままそこで突っ立っている。


法陣を描き上げると眩い光が空へ突き抜けた。陣の上の空間は、座標が定まらずに優柔不断に揺らいでいる。

「なんて強力なのかしら。これほど精度の高いものは初めて見たわ。」

これだったら相当な大物も召喚できそうね。と先生。


エムは満足したようにツンと顎を上げると急に意識を失って勢いよく倒れた。

近くの男子が咄嗟にカバンを滑り込ませたので、エムは無傷だった。


エムは次の時間保健室に行く事になり、オリヴィアとヴィッキーもついていく事にした。


それから一瞬にして学校中に噂は広まり良くも悪くもエムは有名人になった。次の授業時間も、本人が居ないのをいい事に生徒の間では謎の転校生の噂で持ちきりになった。

突然不真面目になった生徒達に、可哀想なヒューストン教授は何度も咳払いをして、ひどく困惑していた。


保健室はカラッとして清潔なリネンとマリーゴールドの匂いが漂っていた。

窓からは穏やかな春の日差しが差し込んで、芋虫を加えたブルージェイが窓枠から飛び去って行った。

使い魔避けのウィンドチャイムが時折美しい音色を奏でている。

「とりあえず問題は無さそうね。1時間くらいは休んで行きなさい。お水取ってくるわね。」

そういうと先生は何処かに行ってしまった。


エムはさっきから黙り込んでいる。

初日から派手に憑依されて倒れたのだから無理もない。

エムは神妙な面持ちで指先を見つめたまま

ぽつりと言った。

「…オリヴィアは自分の先祖に会ったことある?」


「ううん。」

ヴィッキーは興味深そうに、出されたカモミールティーを啜っている。

ティースプーンが何処からともなく浮かんで来て、オリヴィアの肩をつついた。

「ポルターガイストがいるって言ってたよね。」

エムはオリヴィアの左の空間を見つめながら言った。

「多分オリーのご先祖様だと思う。」


「ご…え、何⁈」

「それ本当?ずっと小さな子供の幽霊が何かだと思ってたのに。」

聴診器が浮いてきてオリヴィアの脳天をコツンと叩いた。

「どんな姿なの?」

ちぢれた栗色の髪を弄りながらヴィッキーが聞いた。


「朧げだけど、ロードオブザリングのガラドリエルを紫っぽいグレーにした感じ。」

「話してみたい?」

話してみたい気持ちはやまやまだが、2回も憑依されたらエムが心配だ。


ヴィッキーがブレスレットを触りながら呟いた。

「マルクスの店に霊が映る鏡があるって聞いたけど」

顔を上げると、銀色とヘーゼルの興味津々な瞳と目が合う。

「何よ。不気味だから行かないわよ。」

オリヴィアが眉を上げて意味深な目つきをする。エムもにやにやして嬉しそうだ。


「17時?」

「4番地の緑ポストの前。」

「あんたたち正気じゃないわ」


5:10PM

マルクスの骨董屋と彫られた看板は、噴水広場の銅像と同じくらい変色している。


店内は外から見た時と全く印象が違った。薄暗く埃っぽかったが、質のいい絨毯が敷いてあり、間接照明は凝った装飾で郊外のお屋敷の一室のようだった。


古そうなシャンソンが流れているが、店主の趣味だろうか。

何人か年老いた魔法使いらしき人たちが商品の前でかがみ込んだり値踏みしたりしている。

その中でも特に裕福そうな、シルクハットを被った古風な紳士に、店主はかかりきりだった。多少ぼけはじめているらしく、中々購入する品が決まりそうになかった。


小柄な老婦人とすれ違い、「おやまぁ!」と言われながらも店の奥まで入っていくと、そこに噂の鏡らしきものが鎮座していた。

姿鏡にしては大き過ぎるし、バレエの練習には小さすぎる、使いづらそうな鏡だ。

立ち入り禁止のポールすら高級感が漂っている。

「ぱっと見はただの鏡ね、」

ヴィッキーがそう言った瞬間、鏡が粉々に割れるかのように見えた。無数のダイヤモンドみたいで美しい。霜や氷のような音を立てながら繊細な万華鏡のように組み変わると、オリヴィアの背後に壮麗なドレスを着た女性がふわっと現れた。


現れたと言っても鏡の中ではなく、こちら側に顕現したのだ。空間に投影されているようにも見える。

オリヴィアの父方の先祖なのだろう。瞳は青く、髪は薄い亜麻色だ。鋭い眼光を湛えた顔の周りを、細かなウェーブのかかった髪がゆらゆらと靡いている。


「やれやれ。これでやっと私の姿が見えるのね。」

何やらしわがれた声でぶつぶつと呟いている。

「全く私の子孫だというのに情けな……」

「あの、貴女は」

「なんてこと!私の声が聞こえるの?!」


「あの…」

「待って、私この人見たことある!」


「まあ良かった、どうしたことかと思っていたわ!いいからよくお聞き!私の力が封じられた黒曜石のリングが10番目の鐘楼の隠し扉の中に入っているのよ!さっさと取り戻して私を復活させておくれなさいな!そうすれば私たちはこの世界を我が物にできる!」


「あなたはビアンカ・ブルジンスキーね。かの有名な人喰い魔女だわ!でもあなたはセイレムで処刑されたんじゃ」


「うるさいねぇ小娘。私だってカヴンに見捨てられさえしなければあんなしけたピルグリムども瞬殺だったわよ。」


「待って…人を食べるの?」


「失礼な。私がやっていたのは人助けだよ!あほどもめ。よくお聞き。私たちは特殊な舌を持っているのさ。

味わうことでその組成を理解し、咀嚼することで再生する。」


「あたしだって他人の身体やペットの耳なんて食べたきゃなかったね!だが頼み込まれて欠けた足やら眼球やら蘇生してやってたのさ!そうしたら村八分に遭ってこのザマだよ!全く馬鹿らしいったらありゃしない」


ものすごい剣幕で怒鳴りつけるとすぅっと消えかけ、思い出したように戻ってきた。


「だからオリヴィアよ、私の指輪を必ず取り戻すんだ。異論は受け付けないよ。」

オリヴィアは口をぱくぱくさせている。


その時レジに戻ってきた店主に目をつけられてしまった。「おい!君たち何を勝手にやっているんだ?」


3人は口々に「お遣いで」とか「猫が迷い込んで」、とか「光ってて気になって」とか意味不明な言い訳をしながら逃げるように店から退散した。


空き地まで駆けてくると息を切らしたままヴィッキーが興奮した様子でまくし立てた。「オリー!今までなんで教えててくれなかったの!あの人喰い魔女の子孫だなんて!歴史の参考資料集に載るくらいの有名人だよ!凄く魔力が強くて、セイレムの中でも最強クラスだったんだから!…捕まるのは一瞬だったけど。」


「そんな…私だって知らなかったし…人喰い魔女っていうのやめてよ」

あの魔女が先祖で良かったのかイマイチよくわからない。厄介ごとを吹っ掛けられただけのような気がする。


「でもじゃ何であっさり捕まったんだろ」とあっけらかんとエミリーがきいた。

突風が吹いて巻き上げられた葉っぱがショートヘアに絡みついた。

「蘇生魔法って時間かかるし、術式が複雑だからじゃない?攻撃魔法は苦手なのかも」


「カヴンに見捨てられたなんて一体何をしたんだろう」オリヴィアは呟いた。

「単純にばっちいからじゃない?」

なんだか可哀想だ。世界を支配したい気持ちは理解できないけど。

いや、本当にそう思っているんだろうか。単純に行き場のない恨みを晴らして大きなことをしでかしたいだけじゃないのか。


二人と別れて暖かな光の灯る家に辿り着いた頃には、空が美しい青紫に染まっていた。庭の桃の木には柔らかな薄紅のベルベットなような実がなっていた。

食べ頃の香しい実を幾つか採ると、オリヴィアは膝でドアを開けた。


夕方の澄んだ東風が、頬に涼しかった。


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