第8話:纏めたいので
※本作は連作短編です。
どの話から読んでも成立します。
思考整理を行う際、頭の中で全てを完結するよりも、外部へ書き出しながら考える方が、後々役に立つものだ。
しかし、後程読み返すと考えた場合、紙がバラバラになっていては困ることも多くあるだろう。紐で縛ったとしても、何かの拍子に一枚だけ紛失してしまうという可能性は捨てきれない。
前世では一般的な学生と同じく、勉学において紙が綴られたもの──ノートブックと呼ばれる、罫線つきの薄い冊子を常用していた彼女は、スライムに転生した現在、それがないことに不満を抱いていた。
思いついたものをメモするだけならば、綴じられていない紙でも問題はない。
しかし、好奇心の赴くまま、そして己が欲しいからと、前世の記憶の中にある便利な道具の作成に勤しむ彼女にとって、膨大な数の実験記録を紐で束ねるというのは、最も厭う〝紙の紛失〟が付き纏う行為でもある。
成形に失敗した半液体状のゼリーが落ちた時のように床へ広がりながら、一本だけ伸びた細い触手が、器用に紐で束ねられた紙を捲った。
時折スライムの表面が波打つように揺れている様子が、顔がないながらも、何かを考えているように見える。
地下工房の床に広がっていた彼女は、書類棚に持っていた実験記録用紙の束を戻してから、部屋の中央にある作業台へずるずると這って行った。
到着すると同時に半液体状からぷるんとした丸い形状に変わり、次にみょん、と円柱のような形へと上に伸びる。
「何だかんだ後回しにしてきたけど、やっぱりノートは欲しいのよね。ルーズリーフでも良いけど、あれは専用のバインダーが要るから、後でにしましょう。イメージとしては大学ノートかしら。罫線があるものとないもの、ああ、方眼ノートなんてものもあったわね」
口も声帯もないスライムは、周囲の空気を震わせることで独り言をこぼす。
既に触手に鉛筆と消しゴムが握られており、実験記録用の紙には思考段階から記録を取っているのだろう、忙しなく動いている。
筆記を続ける触手とはまた別の触手が器具棚と素材棚に伸び、戸を開いたところで迷うようにうろ、と揺れた。
「……ノートの材料って、紙以外だとなんだったっけ。真ん中が縫われてたり、ホッチキスで止められてたり? でもあれって、真ん中浮いて書きにくいのよね。……あ、確か、開いたら水平になるノートもあったはず。それ、作れないかな」
言葉が途切れるのと同時に、いくつかの触手が器具と素材を取り出す。
紙は彼女が定期的に大量生産しているものを使い、罫線や方眼を引くインクには、作ったものの使い道がなかった薄い青灰色のものを選んだ。
作業台の上には、紙、インク、そして長細くまっすぐな薄い板が乗せられた。次に、彼女が自作した糊がいくつか置かれる。
触手がペーパーナイフを操り、紙を同じ幅になるように切ってから、表面に糊を塗り、紙を重ねて貼りつけた。そうすると、擬似的な厚紙となり、背表紙として使用することができるようになる。
次に、端を揃えて持った紙束の側面へ糊を触手を刷毛のように使い塗って、水平に置いた背表紙に対し、直角に乗せて乾燥させた。
使用する糊を変えながら、試作品を八冊作り、糊が乾いたら開いてみる、ということを繰り返していく。
しかし、どれも接着面がガタガタになって綺麗に開けなかったり、すぐに紙が剥がれてしまったり、逆に強くくっつきすぎて開きにくかったりと、部分的にすら成功と呼べるものはできなかった。
それらの結果を書き留めながら、スライムは小さく左右に揺れる。
その後も糊自体の配合を変えたり、紙を二つ折りにしてから糊付けしたりと試行錯誤を繰り返すが、いずれもノートブック擬きにしかならず、彼女が満足するような結果は得られていない。
そのことに苛立っているような様子は感じられないものの、淀みなく動いていた触手がピタリと静止し、暫くの間、地下工房から音が消えた。
「……ノートっぽい形になっているから、間違った方向に進んでいるわけではなさそう。糸で綴じると穴の部分から破けないか気になっちゃうのよね」
小さな音で独りごちた彼女は、書類棚の中から現在使用している紙を作った時の記録──今から三十年ほど前の実験記録を取り出して、それをぱらぱらと捲る。
最後の紙を捲り終わったところで、「あ」と平坦ながら気の抜けた音を出す。
「別に、綴じるのは糊でも糸でもなくて良いじゃない。そもそも、綴るってところにこだわる必要がない……要はノートして使えれば良いんだから、最初からその形に作れば良いのよ」
彼女が自作した紙は、和紙に近い材料と製法で作られている。
本来なら気候条件や職人の経験、勘がものを言う作業を、スライムの体を利用することで、大きく短縮したり、そもそもの製法とは異なる工程で行っていた。
紙製作時の実験記録を纏めた紙束の中、和紙で言えば流し漉き──簀桁で繊維と水を掬い、揺らし、流してまた掬う──の工程から、乾燥の工程までを何度も読み込むかのように捲る。
体から伸びた触手が、作業台の上を一度片づけてから、紙の素材を取り出して加工作業を始めた。
慣れたように作業を進めること暫く、流し漉きの工程になったところで、スライムの体の中の動きが慎重なものへと変わる。
長い繊維をランダムに絡ませながら、同時にノートブックの形へ、その時点で整えてしまう。一見すると、スライムの体の中に、一ページずつ綺麗に開かれたノートブックが浮いている。
記憶の中にあるノートブックの形を思い出すように、いくつも試作品を作っていく。
作っては作業台に乗せ、開閉のしやすさと耐久性チェックを行い、それをクリアしたものは次に完全に開いた時、水平に近くなるかを確認する。
単純な作業ではあるものの、筆記面と綴じの部分の繊維の数や絡め方を変えて、納得できるものができるまで、淡々と繰り返した。
「……うん、五十七番と七十四番が、開閉しやすさと開いた時の平らさは合格。閉じた時も変に開いたりしないし、これをベースに整えていこう。五十七番の方は紙質が鉛筆向きで、七十四番の方はつけペン向きっていう、思わぬ発見もあったし。こういうとこが楽しいのよね」
作業台に置かれた二冊のノートブックを前に、スライムは人間が頷く時のように上部を縦に振る。どちらも見た目に大きな差はないが、適した筆記具は分かれることとなった。
彼女にとっては意図しないことではあったものの、そういった偶発的な発見について、否定的な感情はその声と動きからは見て取れない。
サイジングという、紙面の毛羽立ちやインクの滲みなどを抑える加工を施した場合の書き心地を確認しつつ、五十七番と七十四番の配合をベースにして、更なる質の向上を目指し、試作を重ねて行った。
作っては書き、それを基に乾燥具合やサイジングに使用する素材の変更を行い、また書く。その後は、開いては閉じてを百回繰り返し、一ページ目を持って軽くノートブックを振ってみたり、丸めて持った時にどれくらい跡が残るかを確かめたり、ひたすらチェックを続けた。
満足の行くものが二冊できた頃には、実験内容を書き留めた紙は床を埋めるだけでは足りずに山を形成し、スライムはその隙間を縫うように広がっていた。
半液体状にもなれる体は、そんな狭い場所でも問題なく立てるようで、彼女はひたすらに作業台へ向かう。
「中身はこれでいいとして、あとは表紙かな。背表紙のところも、ちょっと補強したいし……あ、罫線と方眼も書かなきゃ。機械化できたら楽だけど、機械の構造なんて知らないし。一先ず、手書きでなんとかしよう。先に罫線と方眼やっちゃおうっと」
スライムの触手が二本伸びて、薄い青灰色のインクが入った瓶と細い絹糸を一本、作業台に乗せた。
彼女の記憶の中には、朧げながらも墨のついた糸をピンと張り、木材に弾いて線を引いていた小柄な男性の姿がある。それをなぞるように、インク瓶の中へ絹糸を浸して、ゆっくりと取り出した。
ノートを水平に開き、製本過程で先につけていた紙の両端にある小さな点を目印に、真っ直ぐ張った糸を静かに当て、罫線を引く。方眼ノートブックの分は、縦でも同じように行った。
機械で行うよりも速度自体は劣るものの、疲れを感じることのないスライムは、黙々と触手を動かしながら、同時に実験記録も取っていく。
均等な幅で罫線や方眼を引いたあと、余分な水分をスライムの体で吸収することにより、即時にインクが定着する。それを全ページで行えば、ノートブックの中身が完成となった。
スライムはインク瓶と絹糸を片づけつつ、次の工程──表紙と裏表紙、そして背表紙作製に移る。
「同じ表紙だと、罫線ノートか方眼ノートかパッと見分けるのが難しいのよね。うん、色は別々にしましょう。あ、無地の分も入れたら、三色になるわね。折角だし、ロゴを入れてみるとか、模様つけるとか、ちょっと高級感ある感じにしようかな。その方が使う時もテンション上がるし」
ノートブックを開いた時と同じ大きさの厚紙を三色作りながら、彼女は体の端をふるふると揺らした。
できあがった表紙に、タイトルを書けるようにと中央よりいくらか上に短い線を引いたあと、ゆらゆらとスライムの中を動かしながら、ロゴと模様を書き込んでいく。
──しかし、折角の金色のインクで書き込まれた模様は、この時代にはまだまだ早すぎた〝芸術〟であったので、彼女も「……やっぱりシンプルなのが良いわよね」と、ロゴとタイトル部分の罫線だけのものへと、静かに作り替えた。
翌日、地下工房の上に建つ立派な屋敷の貴賓室で、人間の女性に擬態した彼女が、屋敷の主である王国交易監査伯とその息子へ、ノートブック三冊とその取扱説明書を差し出した。
伯爵は嬉しそうに、息子は物珍しそうにそれぞれ受け取ると、暫く眺めたあと、伯爵が口を開く。
「スライム様、これは? 本にしては、薄く、線しか書かれておりませんね」
「ノートよ。一枚紙だと、紐で束ねたとしてもなくしてしまうかもしれないでしょ? でも、本にするほどのものでもない……そういう時に使うと便利なの」
「なるほど……しかし、公文書に使うには、空白ページができてしまいそうですね。あとで書き足されてしまいそうです」
「公文書用じゃないわ。どちらかというと、私的なメモや日記、勉強用よ。公文書は、今まで通り本として綴った方が良いもの。ノートは無地のもの、罫線を引いたもの、方眼をひいたものがあるから、気が向いたら使って頂戴。坊やは、勉強用がおすすめ」
「坊やって、僕はもう十三ですよ」
「坊やじゃない。ねえ、四代目くん」
「はは、まさに。まだまだ子供です。それでは、スライム様。今日から使わせていただきましょう。勿論、この、説明書を読んでから」
「ええ。あとで使い心地とか、感想を教えて頂戴。坊やは、字の練習も兼ねて使うと良いわよ」
「……はあい」
その後、スライムお手製ノートブックは、〝私用冊子〟──通称ノートという名で、王国交易監査伯愛用の品として、少しずつ王族や高位貴族の間で広まっていく。
ノートブックが王国全体に広がったのは、それから百二十年後のことだった。
魔導機械による大量生産が可能になるまでは、職人の手で一つ一つ作られることとなったため、長らく贅沢品として扱われた。




