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便利だから作っているだけです。──説明書の通りにお使いください  作者: 白瀬 いお


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6/11

第6話:書き直したいので

※本作は連作短編です。

どの話から読んでも成立します。

 誤字というものは、細心の注意を払っていても、一つや二つ、してしまうものだ。

 インクを使って書いた文字は、簡単に消すことができないため、偽造防止力はとても高い。

一方で、書いたり消したりを繰り返す──例えば、製図の下書きや、気軽に絵を描きたい時などには、一度書いたら容易に消せない性質は、不利に働くことがある。


 前世では一般的な児童と同様に、鉛筆と消しゴムを使い、書いたり消したりしながら勉強をしていた彼女にとって、スライムに転生した今、それらに近しい筆記用具がないということに、違和感を感じずにはいられなかった。

 床の上に水溜まりのように広がりながら、一本だけ伸ばされた触手が、一枚の紙を掴む。


 丸の上に三角が二つ、ぐるぐると描かれた黒い目のようなものが二つ、足が五本──正しくは足が四本と尻尾が一本だが──生えた、じっと見ていると言い知れぬ不安感を呼び起こす謎の生物。

 もとい、彼女作〝猫〟と〝犬〟が、大小様々に描かれている。その中には、失敗したのか黒く塗り潰されているものもあり、それが一層不気味さを引き立てていた。


「プロのイラストレーター……じゃなくて、画家ならともかく、素人にペンで一発描きは、例え落書きだとしてもハードルが高いのよね」


 地下工房の部屋の隅にある木箱には、現在彼女が持っている紙と同じように、何らかの生物や植物と思われる絵が描かれた紙が、取扱説明書の書き損じ分と共に入れられている。

 口と声帯がないながら、周囲の空気を震わせることで独り言をこぼし、波打つように揺れるスライム。暫くするとその動きも止まり、しんとした空気だけが部屋の中を満たす。


 沈黙から少しすると、ほぼ液体のように広がっていたスライムの体を玉のように変え、ぽよんと飛び跳ねながら作業台へと向かった。

 目の前まで辿り着くと、玉の形から円柱へとみよん、と伸びる。掴んでいた紙は木箱へと収められ、触手は伸びたまま器具棚と素材棚へ移動した。


「鉛筆の芯って、炭素でできてるんだっけ? 濃さも色々あったけど、詳しい作り方なんて覚えてないのよね。煤ではないはず……木炭も多分違う、と思うけど、一応やってみましょう。あ、インク作った時の実験記録があるから、そこから鉱石系の候補を絞って……」


 思考の整理を兼ねているのか、ぶつぶつと呟きながら、書類棚の中に収められていたインク作成時の実験記録を引っ張り出し、作業台の上に乗せる。

 紙を捲る動きはゆっくりだが、別な触手が読み込みと並行して、棚から取り出した素材の加工を始めた。


 王国に自生する様々な木から作られた木炭を砕き、乳鉢に入れてゴリゴリと粉末状へと変えていく。同時に、インク作成時の実験記録を基に、鉛筆の芯へ転用できそうな鉱石を同じように粉にしていった。

 作業台の上には、白い乳鉢に入った様々な濃度の黒い粉末が次々と置かれていく。一つ一つに素材名を書いた付箋を貼りながら、スライムの触手は動き続ける。


 広かった作業台の四分の三が乳鉢で埋まった頃、次の工程へ進むことを決めたのだろう、新たに触手が二本、体からにゅう、と伸びた。

 再び素材棚へと向かったそれは、しかし、戸に触れたところで動きを止める。スライムの体の中で、ぐるぐると粘度の高い液体が動く。それは、何かを考えているようにも見えた。


「鉛筆の芯って、炭素と何かを混ぜるんだったかしら。単体で固めたら、粉にした意味がないし……。ダメね、思い出せそうもない。細い棒状に固められて、紙に当てれば書ける……削れる? 削れて定着する、かしら? それができて、消しゴムで消せれば、それは鉛筆ってことで良いわよね」


 誰に聞かせるでもなく独りごちたあと、止まっていた触手が再び動き出す。

 素材棚の中からは、複数種類の粘土と、彼女が自作した糊がいつくか、粘性のある液体を何種類か取り出し、作業台へと乗せた。

 それらを少量ずつ、それぞれの粉末と混ぜ合わせて、スライムの体の中に取り込む。細長い円柱になるように、圧力を倍加する魔術を併用しつつ、成形していった。


 気の遠くなるような地道な作業を、スライムの疲労を感じない体を使い、ひたすらに続けていく。

 成形が完了したものから、紙の上で試し書きを行い、その製作過程と結果、書き心地の記録をとる。紙の両面が埋まれば次の紙へペン先が移り、やがて地下工房の床には、びっしりと書き込まれた紙の束が積まれていく。

 だが、試作の数が八十を超えても、彼女の動きから、満足している様子は窺えなかった。


 ミリグラム単位で比率の調整を行い、成形時の圧力も変えていくが、実験記録にはバツばかりが増える。

 ──彼女の動きが、ゆっくりと止まる。円柱だった姿が、床に積まれた紙の隙間を縫うように広がった。


「……ダメ。どれもすぐ折れるか、硬すぎて書けない。書けたとしても、薄すぎて話にならない。素材の問題? それとも粉末状にするのがダメだった? いや、炭素の粉を固めたものってのは覚えてる。となると、他に考えられるのは、……あ。圧力で固めるんじゃなくて、水分を抜いたり、焼いたりする、とか?」


 半液体状に広がりながら、積み上がった実験記録を捲って呟く。

 暫くの間、地下工房には紙の擦れる微かな音だけが満ちた。

 やがて、彼女が「あ」と空気を震わせる。続けて、「鉱石のほとんど、炭素含んでなくない?」人間ならば、少し気が抜けたようなトーンでこぼす。


「そりゃあ、鉛筆の芯ができないわけだ。前提ミスってた……あー、もう。ま、これも経験。仕事じゃないんだから、ミスして怒られるわけじゃないし」


 ずるずると広がった体が一つの玉の形へと纏まり、また上部が伸びて円柱らしき姿へと戻った。

 その後も、炭素が含まれていそうな素材を、持ちうる限り試す。その数は、百を突破した──それでも、満足のいくものはできなかった。

 だが、数え切れないほどの試行錯誤を経て、少しずつ候補となる素材を絞っていくことはできる。


 失敗作は実験記録を残しつつ、スライムの体の中で融解させながら、試作を続けていく。

 そのうちに、作業台の上に残ったのは、七本の試作芯だった。


「百二番と、百二十四番……こっちが、うん? へえ、百七十五番から百八十番までか。黒鉛単体に珊瑚粘土(さんごねんど)を混ぜたやつと、黒鉛と艶樹(えんじゅ)モドキと瑠璃液(るりえき)を混ぜたやつが有力ね」


 珊瑚粘土は、魔力を含有したまま白化した珊瑚が、海底の泥と混じり合いできた粘土だ。採取するには海に潜らなければならないので、あまり流通してはいない。

 艶樹モドキは、艶樹という宝石のような低木に見た目だけは似ている樹木だ。本物の艶樹とは異なり、枝を切り落とすと、その切り落とされた枝が真っ黒に変わるので、モドキと呼ばれている。

 瑠璃液は、瑠璃草(るりそう)という薬草の煮汁だ。それ自体に使い道はないと廃棄されてきたが、この液を混ぜると、芯に艶が出ることが判明した。


 残った試作芯をペースに、更に素材の比率を変えたり、焼く際の温度を一度ずつ調整したり、水分を抜く時の量とスピードを少しずつ変化させながら、納得ができるものを作れるまで、彼女の動きは止まらない。

 そして、最後に作業台の上に並んだのは、黒鉛と艶樹モドキを同量均等に混ぜ、その後に三回に分けて瑠璃液を加えたものだった。


 紙の上を滑らかに滑り、軽く擦るだけではぼやけないだけの定着力がある。

 スライムの体の中で、木材を六角柱に加工してから半分に切り、中央に作った窪みへと芯を乗せた。芯以外の部分に木工用の糊を塗り、その上に残りの半分を被せて折れない程度に圧力をかける。

 すると、彼女が慣れ親しんでいた鉛筆の姿が出来上がった。


 いそいそとスライムの表面を波打たせながら、触手をカッターの刃のように変え、鉛筆の先端を削っていく。

 芯が円錐型になるように、周りの木材と芯の一部を削り終わると、触手が鉛筆を持って、紙の上へと豚と牛を混ぜたような生物を描き出した。

 ふるん、ふるん、とゆっくり揺れている姿からは、楽しんでいるような印象を受ける。


「……あ。鉛筆はできたけど、消しゴム作るの忘れちゃった。消しゴムができる前は、カチコチのパンで消してたんだっけ?」


 実験記録を纏めている触手とはまた別の触手が、新しくつけペンを握った。

 目次から始まり、使い方や使用の際の注意事項、処分方法、非推奨の使い方まで事細かに取扱説明書として書き込んだあと、まるで背伸びをするかのように、スライムはみょん、と縦に伸びる。


「鉛筆は成功ね。消しゴムは、ゴムの樹液を探すか、代替品探しをしてからやりましょう」


 鉛筆で描いた花らしき絵を、ゴムのように硬くした体で擦って消しながら、平坦な声を僅かに弾ませて呟いた。


 三日後、スライムは人間の女性の姿へと擬態し、地下工房を訪れた顔馴染みの男に向けて、鉛筆とその取扱説明書を差し出した。

 二十代後半から三十代前半くらいに見える男は、暫しの沈黙のあと、それを受け取る。


「……スライム様、これは? 木の棒の先端が、黒くなっていますが……新しいつけペンでしょうか?」

「鉛筆。摩擦……擦ると書いた文字が消える筆記具よ。とは言っても、まだ消すための専用の用具は作れてないから、そうね。試したい時は古くてカチコチになったパンで擦ってみて」

「パン……? パンで、文字が消えるのですか?」

「ええ。監査くん、絵は好き? ちょっとした落書きするにはおすすめよ。でも、消せるから仕事で扱う書類を書くには向かないわ」

「私はニヴェル・フェディナです。……この取扱説明書、目次だけで一ページありますけど」

「知ってるわよ。そりゃあ、取扱説明書だからね」

「……分かりました。内容を確認してから、絵心のある同僚へ渡してみます」

「あら、監査くんは描かないの?」

「生憎、そちらの才はありませんので。使用感については、後日聞き取りをしておきます」

「ええ、お願いね」


 その後、スライムお手製鉛筆は、〝消字絵画ペン〟──通称エンピツという名で、王国交易監査伯の領地内の、画家や製図家たちを中心に広まって行く。

 エンピツが王国全体に広がったのは、それから七年後のことだった。

 後に、画家や製図家のみならず、教育現場で使用されていくことになる。それは、十八年後の話。

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