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便利だから作っているだけです。──説明書の通りにお使いください  作者: 白瀬 いお


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5/11

第5話:暗算は大変なので

※本作は連作短編です。

どの話から読んでも成立します。

 四則演算というものは、幼い頃から学ぶものの中で、言語に次いで人生における使用回数が多いものだ。

 電卓やエクセルという文明の利器を使って計算することに慣れ切っていた彼女は、スライムへ転生してから、それらが手に入らないため、全て筆算を用いて計算してきた。

 しかし、筆算というものは、インクも紙も継続的に消費してしまう。紙面が埋まれば、他に再利用のしようもない。


 地下工房の石床の上で、熟れたトマトを落とした時のように、半液状で広がるスライムは、一本だけ伸ばした触手に筆算がびっしりと書き込まれた紙を持ち、不規則に波打つ。

 顔のパーツというものが存在しないながらも、どこか満足には遠い感情を抱いているように感じる。

 暫くその紙を持ったまま、ぐにゅん、と揺れていたスライムは、まるで体を起こすかのように球体へと形状を変えたあと、飛び跳ねながら部屋の中央にある作業台に向かった。


 球体から上部がみょん、と伸びて、円柱へ変わる。作業台の上には何も書かれていない紙束、彼女が作ったつけペンとインクがそれぞれ置かれていた。それらを三本の触手が掴み、筆記体勢を整える。

 スライムの体から別な触手が伸びて、器具棚と素材棚の戸を開けた。中から必要となるだろう器具と素材の木材を取り出し、しっかりと戸を閉めてから作業台の上にそれらを乗せ、一度引っ込む。


「本当はエクセルが欲しいんだけど……それか、せめて電卓。でもないし、作ろうにも仕組みが分からないし。現実的に今作れるとすれば、そろばんよね。小学生の時、算数の授業でやったくらいだけど」


 一定の速度でつけペンをくるくると回していた触手の動きが止まり、ペン先をインクへと沈める。いつもは素材名から書き出す彼女だが、今回はそろばんの形状を思い出すためか、簡素な絵を書き出した。

 横向きの長方形を描き、下に玉を四つ、上に玉を一つ描いてから、それを仕切るように横一本の線を足す。

 そろばんは縦一列が一桁になるので、桁数を増やしたり減らしたりと、いくつか図案を紙へと描きながら、思考を整理しているように見える。


 つけペンの先が、縦列二十個の図案の横へ丸を描く。

 何かを納得するように揺れてから、スライムの体から伸ばした触手が木材の加工へと移った。

 本来ならばノコギリなどを使用して切り出すのだが、地下工房にはそういった大工道具は置かれていない。しかし、それを取りに外へ行くのではなく、スライムの体の中へ木材を取り込むと、ウォーターカッターを擬似的に再現した魔術で、彼女が思う通りの形へと切り出していった。


 外側の枠となる板が四枚、仕切り部分となる板が一枚、珠の形に整えたものが百個。

 瞬く間とは行かないものの、人力で行うよりもかなり早く切り出したそれを組み立てようと動き出して、しかしピタリと止まった。

 口も声帯もないスライムは、周囲の空気を震わせて「釘、ないわね」と小さく呟く。

 材料となる金属はあるものの、釘自体は地下工房には在庫がない。暫しふるふると揺れながら思考する素振りを見せたあと、開き直ったようにスライムの上部が縦に振られる。


「金属製の釘を使うと、錆びちゃうし。折角だから、釘を使わないで組み立てるやり方……組木? あ、木組み。そう、木組みを試そうかな」


 前世の生まれ育った国で伝統的に使われてきた手法を思い出したからか、それとも釘を作る気分ではなかったのか、彼女は独りごちた。

 一度作業台に置かれたパーツを再びスライムの体の中へ取り込み、組み合わせるための部分──継ぎを整えていく。

 作業ペースは、木材からの切り出しの時よりずっとゆっくりで、その動きにも迷いが多いように感じる。彼女の持つ知識には、木組みに対する深い理解が不足しているからだろう。


 いくつもの板を用意し、継ぎを整え、実際に嵌める作業を繰り返す。ノコギリを使っていた場合、刃が使い物にならなくなったかもしれないほど、何度も。

 ──しかし、そう易々と、長い年月をかけて培われてきた技術を再現できはしなかった。

 それでも彼女は、疲れ知らずのスライムという体を駆使して、愚直に作業を繰り返していく。一ミリメートル以内の微調整を行い、それらを別な触手が紙へと記録を認め続ける。


 やがて、スライムの動きがぴたりと止まる。時間が停止したかのように硬直していたが、突如としてぶるぶる震えだし、一度床に広がってから、勢いよく飛び上がった。

 天井にびしょん、とスライムが張りつき、その後重力に従って剥がれるように床へと落ちる。その体の中には、綺麗に嵌められた木枠があった。


「……あ。珠とそれを通す棒、つけ忘れた。これじゃあ、ただの枠ね」


 機嫌良さそうに揺れながら、木枠を作業台に乗せてから、彼女は呟く。

 その声は、落胆を含むものではなく、どこか喜びが混じった可笑しそうなものだった。

 一度組み上げた木枠は、外そうとしても容易に外れるものではなかったため、早々に諦めたのだろう。新しく板の切り出しを行い、細い棒を作って先に嵌め、珠を通してから木枠を組み立てた。


 スライムの体は、隙間があればそれがどんなに細くとも入ることが可能だ。その特性を使い、そろばんを組み立てたあとから、丁寧に磨いていく。

 やすりを使って整えるよりも、自ら作り上げた研磨の魔術を使って行う方が、彼女にとってはやりやすく、作業スピードも増す。


 一ミリメートル単位違いのそろばんを十個作り、その中で最も使用感の良かったものを二本の触手で掴むと、コップの中で回る水のようにくるくる動く。

 満足したように動きを止めてから、作業台に置いたそろばんに向かい、ぱちぱちと珠を弾いていく。


「えーっと……たしか、あ、一の位になるとこに点をつけておきましょう。そろばんには必要なのよね。一つだけじゃなくて、何ヶ所かあったはず。それで……上の珠が五の数だから……」


 独り言をぶつぶつと言いながら、記憶の中を探るように、触手はゆっくりと動いていく。

 何度も唸り、大きく震え、ひたすらに計算方法を思い出すためにそろばんに向き合う彼女は、その思考経過も全て実験記録として紙に記している。

 文字の上から線を引かれたものが紙面上にどんどん増えていき、表面だけでなく裏面も埋まればすぐに次の紙へとペン先が移っていく。


 前世で使われていた計算方法と同じかは、彼女にとって重要ではない。自分が理解できた上で、再現性のあるやり方であれば良いと、試行錯誤を重ねた。

 実験記録用の紙に走っていたペン先が止まる。別な触手が新しい紙を引き寄せ、今度はそちらへと文字を綴り始めた。

 それは、そろばんの取扱説明書。事細かに、計算方法についても全て記載したその紙の束を、誤字脱字がないかのチェックを終えてから、紐で纏めた。


 翌日、スライムは人間の女性の姿へ擬態し、地下工房を訪れた顔馴染みの男へ、そろばんとその取扱説明書を差し出す。

 男は、どこか遠い目をしていたものの、その二つを受け取ったあと、そろばんをシャカシャカと振りながら首を傾げた。


「スライム様、これはなんですか? 赤ん坊をあやす道具でしょうか?」

「違うわよ。それはそろばん、計算機。慣れるまでが大変だけど、一度使い慣れたら暗算も早くなるし、便利よ。検算にも使えるしね」

「はあ、計算をするための道具、ですか……これが?」

「監査くん、よく計算するでしょ? 興味が湧いたら使ってみて頂戴。慣れるまで、不便に感じるかもしれないけどね」

「私はニヴェル・フェディナです。……この取扱説明書、目次だけで五ページありますけど」

「知ってるわよ。そりゃあ、取扱説明書だもの。使い方もそこに書いてあるわ」

「……分かりました、内容を確認してから、一度使ってみます。不明点は、聞きに伺っても?」

「勿論。使い始めと、慣れたあとの使用感について、纏めて頂戴」

「はい、いつも通りに」


 その後、スライムお手製そろばんは、〝高度計算用器具〟──通称そろばんという名で、王国交易監査伯の領地内で、書類仕事をする者たちを中心に広まって行く。

 そろばんが王国全体に広がったのは、それから十三年後、教育に取り入れられたのは、二十年後のことだった。

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