第3話:まだ、未完成
※本作は連作短編です。
どの話から読んでも成立します。
文字を書くという行為は、想像よりもずっと指と腕を疲弊させるものだ。
羽根ペンのような、持ち手となる軸が細いペンは、より指へと大きな負荷をかける。そして、インクが切れるスピードも早い。
書きやすいペンの存在を、いくつも前世の記憶として持っているスライムは、作業台に広げた自作魔導具の取扱説明書を捲りながら、ふるりと震えた。
「うーん……。相変わらず、羽根ペンは使いにくいし、インクは滲むわね。羽根ペンはあのぴらぴらしたとこ、毟っちゃうから見栄えも悪いし。そうねえ、ボールペン……いえ、万年筆を作りましょう。万年筆の見た目、好きだし」
口も声帯もないスライムは、周囲の空気を震わせて独りごちる。作業台を伝って床に流れ落ち、とろみのついた液体がこぼれた時のように広がってから、丸い形へ姿を整えた。
みょん、と円柱のように体を伸ばした彼女は、取扱説明書を全て纏めてから所定の棚へと触手を使って仕舞い、代わりに白い紙の束を取り出す。実験記録を書き留めるための用紙だ。
器具棚と素材棚に伸びた触手が数本、必要となるだろう器具と素材を掴んで作業台の上へ置いた。棚の戸をしっかりと閉めてから、一度全ての触手が体の中へと戻る。
暫く、彼女は沈黙した。体の中で液体がゆっくりと動いている様子から、何かを思い出しているのか、考えているのか、そう感じられる。
「万年筆のペン先って、確か純金からできていたのよね。でも、金は単体だと柔らかいから、合金にするっていうのは覚えてる。あとは、先端に丸がついてて、穴が空いてて、そこまで切れ目が入っていたはず」
独り言と共に金へと伸びた触手が、気負いなくそれを持ち上げる。彼女にとって、金は財産的な価値を持つものではなく、素材の一つなのだろうと窺える気軽さだった。
細い触手が掴んだのは、金、銀、銅。それぞれの延べ棒を引き寄せて、また別の触手が件の羽根ペンを握る。どのような形にも変化できるスライムは、細い軸も安定して持っているように見えるが、彼女は不服そうにその触手を揺らした。
金属には、各々固有の融点がある。焚き火に放り込んでも溶けない金属を溶かすには、相応の設備と火力が必要となるのだが、スライムが一体だけで作った手製の地下工房に、そのような設備はない。
だが、彼女にはスライムの体があった。とにかく熱にも強く、そうと意識しなければ温度をほぼ感じ取れないその体は、使い方次第で即席の炉として運用することも可能だ。
触手が金の延べ棒を持つ。そのまま体内へと取り込んだ彼女は、躊躇いなく自身の内側の温度を上昇させていく──徐々に形を崩し液状へと変わっていく金が、そのことを雄弁に語っていた。
やがて完全に溶けきった金を体の中に保持したまま、スライムは二つ目の金属、銀を溶かす作業へと移る。同時に、触手に握られた羽根ペンも忙しなくインク瓶と紙面を往復しながら、実験記録を取り続けた。
「うん、一度刻みで温度上げて良かった。金も銀も、記憶にあるより低い温度で溶けたし……地球とは、こういうところでも細かい違いがあって面白いわね。体内での魔術発動も、理論通り問題なく動いてる」
魔導具作成と並行して、彼女は魔術研究も行っている。それが度々、今回のように実験中役立つことがあった。
金、銀、銅を溶かしたあとは、万年筆のペン先に適した合金の比率を探るため、ひたすらに配合を変えながら混ぜ合わせていく。同時並行で、出来上がった合金を冷却し、ペン先の形へと引き伸ばしながら成形する。
本来ならば専用の設備を用いる工程を、彼女はスライムの体といくつもの魔術を使って、ある種力技で進めて行った。
現状、彼女以外には再現できるものではないが、それを気にする素振りもなく、淡々と合金板金を作り続ける──作業台の上には、配合比率と識別用の番号が書かれた付箋付きのペン先が、所狭しと並んだ。
「よし、形にはなったわね。次は書き心地、耐久性……ああ、丸みの角度ごとの違いもチェックしなきゃ。先端の丸と、穴の大きさの違いも。えーっと、ペン先自体の大きさでもどんな違いがあるのか確かめる必要があるわね」
一番と番号がふられたペン先を持った触手が、インク瓶の中に穴のある位置までペン先を沈めた。次に、ゆっくりと触手が上へ上がっていく。
インクの中から出てきたペン先の先端からは、すぐにボタボタと青黒い液がこぼれたので、彼女はそのまま静止し、垂れがなくなるまでじっと待った。
一つ目のペン先が、白い紙の上に線を引いていく。滲み、掠れ、インク溜まりがあちこちにできたそれは、どう見ても失敗品だった。だが、彼女は動揺する素振りもなく、結果とそうなった要因の考察だけをただ書き記す。
二つ目、三つ目と試し書きをしていくが、どれも羽根ペンの足元にも及ばないような有様だった。
失敗だったものは、再びスライムの体の中で溶かされ、合金から元の金属へと分解される。そして、また異なる比率で混ぜ合わせた合金になり、万年筆のペン先に適しているかのテストへと進んで行った。
「……うん、悪くはないわね。でも、物足りない。何かしら、粘り気? どれも書き心地は悪くはない程度止まりだし、耐久性も低い。育てられるペン先じゃないわ」
作業台の上を埋め尽くしていたペン先の群れは、二つへと数を減らしている。その二つも、試し書きを重ねた結果、ペン先の先端が僅かに歪んでしまい、彼女の望むような耐久性がないことを示していた。
既に試作したペン先の数は、七十を越えている──それでもまだ、試しきれていない配合比率があることが、取り消し線が引かれていない数字の羅列から見て取れる。
ふるふると揺れたスライムは、天井近くまで伸びてから、まるでテーブルに突っ伏す人間のように作業台へ垂れたあと、暫しの沈黙ののち、円柱へと戻った。
細い触手が素材棚へと伸びて、棚の中からいくつかの素材を取り出し、再び戸を閉める。
それからは、またひたすらに溶かし、混ぜ合わせ、成形し、試し書きと耐久テストを行う──疲れ知らずのスライムは、延々とその作業を繰り返した。
「あ、これ良いわね。彩金と狼銅の相性が良いのは新しい発見──ん? ああ、違うわね、これ。間に穹銀があるからだわ。こっちは完全に反発しているもの、まるで水と油ね」
彩金は、太陽の光と魔力を同量溜め込んだ金を指す。比較的硬く、純金よりも希少性が高い。主に王族や上位貴族が箔付け用のアクセサリーに加工し、少量持っている程度だ。
一方の狼銅は、銅を主食にする狼種の糞の中から採れる銅で、柔軟性はあるが、その分単体での成形は難しい。
その二つを繋ぐ穹銀は、晴天下という条件つきでしか採れない銀だが、生産量自体は多い。しかし、通常の銀よりも融点が高く、扱いにくいことでも有名だった。中には、銀より使えない銀──『劣銀』と呼ぶ者さえいる。
その三つの金属を使い、彼女は一から混合比率を探っていく。ゆらゆらと小さく揺れる体の端っこが、実験を楽しんでいることを窺わせた。
やがて、スライムの動きが止まる。忙しなく紙の上を走り、インク瓶を一つ空にした羽根ペンは、すっかり使い物にならなくなっていた。
インクが乾いた順に積み上げられた実験記録と、一つだけ残ったペン先を作業台の上に乗せて、スライムの上部が頷くように縦に動いた──満足したような、そんな動きだ。
暫くして、また触手が紙の上を走る。今度は、出来上がったばかりのペン先で、取扱説明書の目次を書き出し──ぴた、と動きが止まる。
「……これ、万年筆じゃなくて、万年筆のペン先をしたつけペンじゃない?」
ぽつりとこぼされた言葉は、平坦だったが、どこか愉快そうな揺らぎを含んでいた。
書きかけの取扱説明書には、付箋が一枚貼られている。
──万年筆、未完成。




