第11話:分かりやすくしたいので
※本作は連作短編です。
どの話から読んでも成立します。
普段何気なく使用している物体に関わる単位というものは、その基準が統一されているからこそ、後の再現性の担保や他者への説明に使える。
逆に言えば、統一されていない場合、製作者が同一だとしてもほぼ必ず差異が発生し、同じものを作ることができないだろう。
更に、他者へ説明する際に双方が認識する物体の単位が異なれば、より困難を極めるだろう──かの悪名高きヤード・ポンド法と、メートル法では、同じ一に対する長さの感覚が異なるように。
前世では、長さの統一単位であるメートル法を当たり前のように使用していた彼女にとって、同じ国どころか同じ領地の中ですら長さの単位が統一されていないことは、困惑と共に不便を齎していた。
しかし、同じものを量産したいという考えのなかった彼女は、不便ではあるものの「まあ良いか」で流していたのだが、段々と不満が溜まってきたのだろう。
スライムに転生後、初めて地団駄を踏んだ──丸になったスライムの体で、天井と床をびょんびょんとボールのように跳ねただけではあるのだが。
「あー、もう無理! なんっで領地ですら長さの単位が統一されてないの!? 同じ工房に発注した釘の寸法ですら、全部微妙にズレてるし! いや分かるけどね、利権とか色々あるんだろうけど! すっごい不便! もう良い、ないなら作る! 統一単位ができるの待ってたら、この体でもシワッシワになりそう!」
かなりの速度で天井と床を往復していたスライムが、体の表面を次第に柔らかく変えていったことで、びょん、ぽよん、とその弾性が変化し、やがて卵の殻の中から落とされた卵黄と卵白のように、床へびしゃん、と広がる。
転生を経て人間ではなくなった彼女は、呼吸を必要としていないが故に息を吐くことはできないが、まるで深々と溜息をつくかのように体を震わせた。
その後、粘度のある液体のような姿で部屋の中央へ這うと、作業台の前で円柱のように伸びる。
慣れた触手使いで素材棚を漁り、金属と木材をいくつか取り出すと、それらを作業台の上へ並べた。他には、羽根ペンとインク瓶も置かれている。
複数伸びる触手のうち一本が羽根ペンを握り、先日苦労の末作ったばかりの植物紙へと、インクのついたペン先を近づけた。
「相変わらず使いにくいわね、羽根ペン。そのうち使いやすい筆記用具を作りましょう、今はとにかく……うん、長さを測るといえば定規よね。メジャーとかは後回し、まずは目盛りつきの定規が先」
羽根ペンに対する不満を述べつつ、彼女が最初に触手を伸ばしたのは、木材だ。
伐採後にしっかりと水分を抜いて板状に切り出した木々は、彼女の持つ前世の記憶の中にある種類もあれば、転生後初めて知ったものもある。
色味や年輪模様の異なる木材を持ちながら、スライムは体を小さく波打たせながら沈黙した。
暫く黙り込んだあと、「……木って、空中の湿気を吸って膨張したりするのよね?」と、疑問をこぼす。その後、「でも木でできてる三十センチ定規もあるし、気にしなくていいのかな」と続けた。
前世から工作が得意だったわけでもなく、スライムになってからものづくりに手を出した彼女にとって、かつての一般常識以上のことはあまり知らないため、製作においてひたすら試行回数を増やす総当たり戦をするしかない。
「そもそも一メートルって、どうやって決まったのかしら。うーん、単位の成り立ちなんて考えたこともなかったし……もう、大体で良いわよね。別に厳密なメートル法を普及させたいわけじゃないし、基準が決まればオーケーにしましょう。料理の適量みたいなものよ、多分」
かすりもしない比較対象を挙げつつ、体の一部を床から上へと真っ直ぐに伸ばす。彼女にとっての「おおよそ一メートル」に達したのち、素材棚から追加で出した糸をその長さに合わせて切る。
それを二本用意すると、一本を蛇腹のように折ってから切ることで、きっちり百等分にした。
これを「おおよそ一センチメートル」として扱い、更に十等分したものを「おおよそ一ミリメートル」にする。
長さの基準単位作成はこれでお終いだが、糸のままでは何を測るにも不便だ。
糸は一度置き、持ったままだった木材を床に薄く広げた体の上へ乗せ、触手の一本を糸鋸の刃のように変形させる。
己の体の一部を道具の代わりとして扱い、板材を切りながら「もっと楽に加工できる魔術とか魔導具とか、考えてみようかな」と平坦な声で愚痴のようなものをこぼした。
自在に形を変えられるスライムは、器具の代替としても使えるのだが、体の一部が不規則に蠢いているので、不満があるのだろうと感じられる。
黙々と五種類の木材を大体同じ長さで切り出して、余った分は棚へと仕舞う。
木板を一旦作業台の端へ重ねて置くと、次に三種類の金属へと触手を伸ばした。
錆を嫌った彼女が用意したのは、白金、穹銀、緑鉄。いずれも安価で入手できるものだ。
特に白金と穹銀は、銀よりも融点が高いため、加工ができない厄介物──「劣銀」という蔑称がある。
緑鉄は錆びにくいものの通常の鉄より柔らかいため、武器にも防具にも採用しにくい。なにより普通の鉄の方が採掘量が多いので、ただただ使われる機会が少ない。
「普通の金と銀は高いのよねー、白金──プラチナの価値はまだ知られてないみたいだから、安く買えてラッキー」
体の中に白金を取り込み、熱の魔術を使って体内温度をゆっくりと上げながら、彼女はふるん、と揺れた。
地下工房に溶鉱炉設備があるはずもなく、また炉の仕組みなど知らない彼女は、スライムが持つ高い耐熱特性を利用して、自身の体を即席の溶鉱炉として扱っている。
スライムの中で融点を超えた白金が液体状になると、それを同じく自らの体で作った型に移動させ、冷却した。
決して慣れているとは言えないながらも、慎重に溶かしては定規の形に固めてという工程を三回繰り返し、金属板が完全に冷めてから作業台に並べる。
木板が五枚、金属板が三枚の、計八枚。
どれも全く同じ長さにはならず、差異は出てしまったものの、彼女にはそれを気にしているような素振りは見受けられない。
「……で、目盛りってどうやってつけるの? 木は焼印みたいなことができるけど、金属は……あ、彫金? うーん、まずは木に目盛りつけてから、それを目印に彫金するしかないかな」
ぷるんぷるんと左右に揺れながら、頭の中を整理するように音を紡ぐ。
結論が出たのだろう、動きをぴたりと止めてから、先んじて用意していたおおよそ一センチメートルの糸をピンと張った。
そこへ一枚目の木板をそっと添わせると、糸の両端に人間の髪の毛ほどの太さの触手を伸ばして、着火しない程度に抑えた火の魔術を使う。
木が焦げる匂いが僅かに立ち上り、静かに外された触手の下には綺麗な線が焼きついている。
この工程を三十回繰り返し、三十センチメートル分の目盛りをつけたあと、更におおよそ一ミリメートルの焼印を入れた。
残り四種類の木板にも同様に目盛りを焼きつけると、スライムは床へどろん、と溶けたように広がる。
疲労をほとんど感じない体ではあるものの、集中力と気力が無尽蔵というわけではないのだろう。
誰に聞かせるでもなく、「ちょっと休憩」と呟いたあと、地下工房は暫くの間沈黙で満たされた。
顔などないスライムは、当然ながら表情を読むことはできない。しかし、僅かにでも動かない姿から、疲れを感じているのだろうということが見て取れる。
物音一つしない地下工房で、水溜まりのように広がっていたスライムが、ゆっくりと円柱のような形へと変わっていく。
床に積んでいた実験記録用紙を纏めて、木製の定規を一本残し、残りを作業台の端へと寄せる。
木板が終わったので、金属板への彫金へと移るのだろう。しかし、彼女は器具棚へ触手を伸ばすことはせずに、体の傍でぐにぐにと形を変えた。
「彫金に使うのって、彫刻刀ではないわよね。たがね? だったかしら、職人密着スペシャルみたいな番組で観た気がするんだけど……カッター先端みたいな感じだったかな?」
暫く形を作ってはすぐに崩してを繰り返していたものの、結局鏨の形を思い出すことができなかったのか、諦めたように釘の先端に近い形へと変形させる。
木製の定規を白金板に添え、動かないように別な触手で固定してから、釘もどきの先端で熱の魔術を発動させる。
彫金というよりは、溶かして溝を作るというやり方ではあるものの、概ね望むように目盛りをつけることに成功した──木製定規が一部燃えてしまったという点に目を瞑れば、ではあるが。
同様に穹銀と緑鉄にも目盛りをつけてから、燃やしてしまった木製定規を改めて作成したスライムが、作業台の上へ八枚の定規を並べた。
「うーん……パッと見じゃあ、どれも違いが分からないのよね。強いていうなら色の違いくらい? ああでも、緑鉄は紙みたいに曲がるから、線を引くより丸みのあるものの長さを測る方に向いてるのかな」
実験工程を紙に書き込んでいた触手の動きも止めて、考え込むように黙る。
木製定規については、湿度や熱による収縮や膨張がどのように影響を及ぼすのか、条件を一つずつ潰していかなければならない。基準を作ったのに、その目盛りがズレてしまっては元も子もないからだ。
しかし、金属定規があるので、木製定規にこだわる必要性は薄い。
生産するための手間はかかるが、スライムの体を即席の溶鉱炉として使える彼女にとって、白金や穹銀の融点の高さは障害にならない。
普通の鉄とほぼ同じ融点の緑鉄もまた同様に、溶かして固めるという工程がネックになることはないだろう。
むしろ、気候条件によって目盛りが僅かにでも変わる可能性のある木製定規の方が、彼女にとっては使いにくい代物とも言える。
スライムの表面を波打たせながら沈黙した後、彼女が触手で持ったのは、金属定規だった。
「使うなら金属の方が良いかな。見た目も綺麗だから、眺めてるだけでも楽しいし」
白金が白い光沢のある銀色、穹銀が青い光沢のある銀色、緑鉄が光沢は控えめな薄緑色だ。
定規が普及していないうちなら、インテリアとして飾られていても、変わった小物くらいにしか思わないくらいには美しい見た目をしている。
定規として使うのは金属定規と決めた彼女だが、木製定規を捨てることはせず、経過観察用の棚へと仕舞った。
ふるん、ふるん、と左右に揺れる姿は、楽しそうに見える──金属定規の取扱説明書を書き上げてから、何かを思い出したように「あ」と呟く。
「三十センチ定規って、木製じゃなくて竹製じゃない? ……まあ、良いか。そもそも、この国に竹ってないみたいだし」
前提条件を一つ間違えていたことに気づいたようだが、その声から落胆は感じ取れなかった。
ないものはどうしようもない、とスライムは小さく揺れる。
彼女が作り出した定規の存在を、地下工房のある領地の領主である王国交易監査伯が知ったのは、製作から三ヶ月が経過した頃だった。
雑談の中で二番目の子供の身長の伸びが、一番目の子供より心做しか早い気がする、と伯爵が言ったことに、「じゃあ、今何センチか測ってみる?」と人間の女性に擬態したスライムが提案したからだ。
「せんち、とは何でしょうか?」
「え? ……ああ、長さの単位の一種よ。えーっと……、基準の長さを百等分した時に、単位の前にセンチってつけるの」
「基準の長さ……。スライム様、差し支えなければ、どのように測るかと、その長さの単位について、詳しく教えて頂けませんか?」
「良いけど……欲しいならあげるわよ、定規。二代目くんにもお世話になっているしね。その代わり、取扱説明書はちゃんと読んでね」
「はい、それは勿論。では、まずは長さの単位について教えてください。例えば、呼称など」
「ええ。単位の呼称はメー……ああ、ううん。そうねえ、スラートルとか? 決まってないから好きにして構わないわ」
「分かりました、スラートルと呼びます」
「ええ……、採用なの?」
「勿論ですとも!」
メートル、と言いかけて、止めた。彼女がおおよそで決めた長さのため、前世のこととはいえ、既存の単位名を使用するのが憚られたためだ。
それを誤魔化すために、スラートルと適当に名づけた結果、それが正式名称として扱われることになる──初めは領都の工房から、やがて領地中へと六十年ほどかけて浸透していく。
やがて王国交易監査伯発祥の長さの共通単位、スラートル法として正式に王国法に採用され、彼女が知らぬ間に王国全土へと広がったのは、定規誕生から約百七十年後のことであった。




