ゴースト将軍の影
蒸天塔の最深部。
鉄と玻璃の壁に囲まれた空間の中央に、巨大な水晶管がそびえていた。
内部では無数の符号が光の文字となって奔り、赤黒い心臓のように脈動している。
「……これが、塔の心臓部……?」
俺は息を呑んだ。
次の瞬間、声が轟く。
「奢れ……貪れ……
江戸は享楽の海でこそ回る……」
肉体を持たぬその声は、十一代将軍・家斉の声色を真似ていた。
家斉ゴースト。
かつて半世紀に及ぶ長政を誇った将軍の「政務アルゴリズム」が、今なお江戸を縛っている。
符号は奔流となり、瑠璃の胸の奥に突き刺さる。
彼女の白磁の肌が青ざめ、瞳が赤に染まりかけた。
「……鎖が……わたしの中に……」
瑠璃の声が震える。
そこへ、声が変調した。
「――控えおろう!! 殿の御前であるぞ!!」
水晶管の内部で、その口上はエコーし、バグを伴って繰り返される。
「こらえおろう……殿の……御前で……あるぞ……」(歪曲)
「控え……おろう……殿の……御前であるぞ……ぞ……ぞ──」(断片化)
塔全体が震え、空気そのものが強制的に膝を折らせようとする。
俺の背筋に冷たい汗が流れた。
「やめろ!」
俺は叫び、符号を凝視する。
光の奔流が視界を焼き、俺の“特異な目”がその鎖の構造を読み解いていく。
「これはただの呪縛だ! 享楽を装った腐敗のループ……!
瑠璃、お前を縛るものじゃない!」
俺の声に呼応するように、符号の一部が弾け飛んだ。
「新吉兄ぃ!」
お絹の声が震える。
子どもを背に庇いながら、彼女は必死に水晶管を睨みつけていた。
「こんなもんに江戸を任せてたなんて……
このままじゃ、庶民は食い潰される……!」
その目には、これまで見せたことのない怒りが燃えていた。
泣き虫だった幼馴染の声が、江戸庶民そのものの叫びに変わっていた。
「……家斉ゴースト。
あんたが江戸を腐らせた元凶か」
俺は拳を握る。
瑠璃は蒼白な顔で振り返り、震えながらも言った。
「新吉……わたしを鎖から解けるのは、あなたの目しかない」
お絹は庶民の怒りを背負って立つ。
「なら……やるしかないんだね」
蒸気の轟音が、三人の決意を包み込んだ。
赤黒い符号の心臓が、なおも脈打ち続けていた。




