[001]
所変わって村の近くにある森の中。
鬱蒼と生い茂る木々を切り開いて出来た小さな道を、リムーブは歩いていた。
背中には彼の身長の倍はありそうな樽を背負っている。
「あ~あ……疲れる……」
気だるげな表情を浮かべながらリムーブは呟いた。その割りに、汗はまったく掻いていない。
とある田舎の村から往復約一時間のところにある『魔狼の森』と呼ばれる森。
そこに昔からある井戸まで水を汲みに行くことが最近のリムーブの日課だった。
「ハア……空気がおいしい」
暢気なことを言っているリムーブだが、この森はそんなに優しいところではない。
名前のとおり、此処には『魔狼』と恐れられている魔物が棲みついている。
もし何も知らない人間が魔狼たちの住処に近づいてしまったら、おそらくその人間は一分もかからない内に骨も残らない状態にされてしまうだろう。
今はまだ朝方なので魔狼たちは出てこないため比較的穏やかだが、夜になればこの森は完全な魔境と化す。
したがって、朝の早い安全な時にいそいそと水を汲みに行かなければならないのだ。
ちなみに、水を汲みに行くのは宿屋の女将さんのためである(なんでも料理には井戸の水が一番だとか)。住んでいる小屋代の家賃と言ってしまえばそれまでだが、リムーブ自身、この女将さんには恩を感じているので、こういう危険な作業は進んで引き受けているものだった。
さすがにアリスにやらせるわけにもいかないし。
「――アリスかあ……」
ふと、あのおてんば娘を思い出す。
日ごろの言動がスサマジイ彼女だが、最近なんと言うか、変だ、と思えることがあったりする。
たとえば、妙に女らしくなったりとか。
見た目、というより内面のほうが、だ。
アリスは年齢とは裏腹に成長の乏しい女の子だ(まあこんなことを本人に言えば、ボコボコにされるだろうが)。しかし、どうにもそのことが気になるらしく、毎日二リットルは牛乳を飲むようにしているらしい。
そのせいでバターやチーズなどの乳製品が減ってきている。いい迷惑だ。
他にも、仕草にも女らしさが垣間見えることが多々あったりする。
服装にも気を使ったり、美容にも力を入れたり、昔はパンツがたまたま見えても気にも留めなかった彼女が、最近では見えてるのを指摘しただけで殴ってきたり。
年齢を考慮すれば当然の成長だが、どうも不自然に思えてしまう。
あと、時たま不可解な行動をとったりする。
なにやらもじもじしたり、急に照れたり、体を寄せてきたり、言動がスサマジクなってきたのも最近だ。
「もしかして……」
リムーブは思う。
もしかしてアリスは、無理をしているんじゃないのだろうか?
将来的に王都に行きたいとしている彼女が、頑張って自分を変えようとしている節がある。でも無理やり自分を変えようなんて、無理にもほどがある。
そんなこと、どうでもいいのに。
朝ではあんなことを言ったが、今でもアリスは十分立派だ。
言いたいことははっきり言えるし、宿屋の仕事だって文句を言いながらも手伝ってるし、なにより、他人のことをちゃんと思いやれる人間だ。
少なくとも――自分よりは立派だとリムーブは思う。
こんな自分より。
彼女の方が、何倍も立派だ。
「ったく……世話の焼ける……」
そう言うリムーブは、自然と笑みがこぼれていた。
結局、彼も自分の妹みたいなアリスの世話を焼きたがるような人間、だということだ。
――ただ、その『妹扱い』がアリスにとって嫌だったことに気づくのは、まだ先になるのかもしれなかった。
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森に入って約十分。
ようやく目的地に着いたリムーブは、そこで大きく深呼吸した。
「くああ……空気が上手い……幸せだ」
たどり着いたそこは、大きな空間だった。
おそらくは大昔の村人がこの空間を作ったのだろう。何年何十年何百年たっても此処が崩れることがないというのは、何かしらの『魔法』が働いているのかもしれない。
そこは円形切り開かれていて、広場と呼べるくらいの大きさだった。ついでその周りに生える木々がその空間の中央に向かってしなだれているので、上はまるでドーム型の天井のようになっていた。
そしてその中央に、ぽつんと井戸が存在していた。寂しげに、しかし確かな存在感を持って、それは在る。
いつ来ても神秘的な場所だな、とリムーブは思った
生い茂る木々から漏れてくる陽光や、聞こえてくる森のさざなみの音、それを引き立てるような周りの静けさが、此処にある神秘性を引き立てているのかも知れない。
だが、この内側に染み渡ってくるようなこの感覚は一体なんなのだろう?
視覚や聴覚ではなく――もっと自分の内の内、さらに深遠まで伝わってくるこの言い知れぬ感覚。
これも、やはり『魔法』のような『奇蹟の力』がかかわっているのかも知れない。
「とと……さっさと仕事は済まさなきゃな」
いつまでも突っ立っているわけにもいかないな。
そう思い、リムーブは井戸の方へ近づいていった。