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第一章 平穏なんてまるで

 


 

   とある辺境の田舎の村   ――早朝




 

 「リムーブさん、リムーブさん!起きて下さい、朝ですよー!」


 六畳一間の小さな部屋に、ドンドンと扉をたたく音とともに幼げな少女の声が響く。

 

 その部屋の主である青年はその声で目を覚ましたが、布団から出ようともしない。

 「どうしたんですかリムーブさん、死んでるんですか?それとも、今部屋に女の人とか連れ込んでてとっても気まずい状況だったり……きゃー!」

 まだ寝ぼけているというのに、まるで小さい子が友達の恋愛事情を引っ掻き回してからかってるようなテンションで、まくし立ててくる。

 ――……一体俺を何だと思っているんだ? 

 扉の向こうの良く知る少女に文句を言ってやりたくなり、とうとう青年は布団から起き上がった。

 起き上がった青年はすらりとした長身で、女以上に艶々とした黒髪の、眉目秀麗といった言葉が良く似合う、そんな男だった。

 「待てって。今開けるー」

 年齢にそぐわない、まるで亀のような足取りで扉まで向かうと、まずは扉の鍵を開ける。こんなみみっちい部屋でも、一応鍵は付いていた。 

 カチャリ。

 青年が、鍵を開けた。

 その瞬間――

 「――――ぐあっ!」

 不意を突くように開かれる扉。結果、青年は壁に挟み込まれるような形で激突した。

 「あれれ、何しているんですかリムーブさん。こんな朝っぱらから」

 もう完全に狙い済ましてやったとしか思えない台詞を言いながら、扉の向こうから少女が現れた。

 長い髪の毛を左右に二つ結いにし、可愛らしいワンピースを着た、まだ幼さが残る少女だった。

 「……お前、明らかに狙ってただろ!」

 思い切りぶつけた鼻を押さえながら、青年は怒鳴った。

 「扉の前でボケーっと突っ立ってる貴方が悪いのです」

 そう言うと、少女は何も悪びれることもなく、ずかずかと部屋に入り込んできた。

 

 青年が毎晩寝泊りしているこの部屋――正確に言えば、この村に一軒しかない宿屋の所有する使われていない小屋の一つなのだが、内装は非常に質素である。あるものといえば、先ほど青年が寝ていた布団、年季のはいったちゃぶ台、こじんまりとした、これまた古びた机、あとは壁に立てかけてある一本の剣だけだ。

 およそ人が住むには少々不便なこの小屋に、青年――リムーブ・ノアロークは日々暮らしていた。

 

 

#####  

  

  

 「ほら、ちゃんと朝飯持ってきたんですから、そんなにかりかりしないで下さい」

 言いつつ、少女は持っていた紙袋を前に出す。

 この少女――アリス・ラインフィールドは、先述した通り、この村に一軒しかない宿屋の一人娘だ。

 背がリムーブの胸元あたりの、少し小さめの女の子で、いつも母親――つまりは宿屋の女将さんが毎日毎日セッティングしてくれているというその髪型が特徴的である。

 その性格は活発と言うよりお転婆と言った方がいい。言葉遣いは丁寧なのだが、どうもその言葉の中身は失礼極まりない。  

 慇懃無礼、という言葉がぴったりだ。 

 そんな彼女だが、こうやって毎朝リムーブに朝食を持ってきてくれるのが日課となっている。しかしその厚意はアリスのものではなく、彼女の母のものである。 

 「はっは、便利な小間使いだなー、アリスは」 

 「小間使い?いえいえリムーブさん。私はそんなものでなく、むしろ毎朝早起きしてペットに餌をあげている偉い女の子、だと思うのですが」

 「……相手を貶めると同時に自分を褒めるなんて、恐ろしいやつだよお前」

 こんな口の減らない彼女も今年で15になるのだが、落ち着く様子は一向に見られない。アリスの両親も苦心しているらしいのだが――今のところ改善された様子はない。

 「てゆーか感謝してください。『毎朝美少女が起こしに来る。さらには朝食まで用意してくれる』という素敵極まりないイベントを起こしてあげてる私に」

 手前のことを美少女と言うのはともかく、朝食についてはアリスじゃなく女将さんが用意してくれたものだ。それをまるで自分の手柄みたいに……。 

 そんな思いを噛み潰したリムーブの横で、アリスは向かい合うようにちゃぶ台の前に座り、持ってきた紙袋から朝食を次々と広げていく。

 だが。

 紙袋から出てくるのは、焼きたてのパン。焼きたてのパン。焼きたてのパン。焼きたてのパン。焼きたての……。

 「何でパンばっかなんだよ!」

 耐え切れなかったリムーブは身を乗り出してつっこんだ。いつもはもっとレパートリーがあるのに。

 「ああ、私が食べちゃいました。てへ☆」

 と可愛らしく小首をかしげるアリス。

 「てへ☆じゃねえよ、何で食っちゃうのよ!?」

 「いやだってお腹すいてましたし…」

 「返せ!俺の朝食を返してくれ!」

 なかなか切実な懇願だった。

 「むう。この時代、食べられるだけでもありがたいんですよ?」

 そう言われて、リムーブはうっとなった。癪だが、確かに彼女の言っていることは正しい。

 世界全体を巻き込んだ大戦が終結してからまだ2年。世界のあちこちに戦いの傷跡はまだ残ったままで、貧困にあえぐ人々も多く、国の支給がまだ行き届いていないのが現状なのだ。

 大きい都市ならともかく、支援が受けれない町などに住む人々は食糧難に陥っている。

 この村も、例外ではない。 

 なので、渋々パンに口をつけた。

 文句を言っていたが、やはり焼きたては美味かった。

 「ふふーん。リムーブさん、何か言うことは?」

 「ふぁいふぁい。ふぉーふぉふぁひふぁほうふぉふぁいまふ」

 「食べながら言われてもうれしくありません!何を言ってるのかわからないのでもう一回、今度は丁寧に言ってください!」

 「んー、今日も小ぢんまりとしてて可愛らしい胸だね。どうもありがとう」

 「なっ!?せ、セクハラです!リムーブさんは女の敵です!」

 「はっはー」

 笑いながら、リムーブは早くも二個目のパンに手をつけている。

 その横で、アリスはリムーブをジロリと睨みながら、 

 「いつかナイスバデーになって、リムーブさんを見返して差し上げます」

 と、怨念のこもった声をぼそりと呟いた。自分の胸が、年齢のわりに小さいことは多少自覚しているアリスだったが、目の前にいるこんなだらけた男に言われては、さすがにむかっ腹が立つ。

 「その前にまず、そのくそ生意気な態度を直さないとなー」

 「うっ、それは……」

 急に口ごもるアリス。それを、リムーブは見逃さなかった。

 「だいたいさー、何その年上に対する態度。だめだね、そんなんじゃ王都なんて夢のまた夢だね!」

 「うっ…ううー……」

 「はっはっは、王都までの道のりは、この様子じゃまだまだ遠いなー」

 「くううー……」

 ここぞとばかりに攻めるリムーブ。

 日ごろの恨み(主に暴言失言)を晴らすチャンスだった。

 ちなみに、アリスの夢は将来王都に移り住むことである。こんな田舎に住むアリスにとっては、王都はまさに夢にみるような羨望の街なのだった。

 しかし、彼女の性格が性格だ。

 普段から『今のままじゃ王都なんて行けないぞ』なんてことを言われているため、非常にそのことを気にしている。

 言うなれば、それが彼女の弱点だった。

 「わ、私はともかくリムーブさんはどうなんですか?まだお若いのに、いつまでこんな田舎にいるつもりなんですか」 

 無理やりな話題の切り替えに笑いそうになったが、これ以上いじめるのも可哀想になったので、リムーブは話をあわせることにした。

 「別に、村から出るつもりもないなー俺は。てか、別にいたっていいだろ?」

 「いえ、そうではなくてですね」

 「じゃあなんだよ」

 「いやだって、珍しいじゃないですか。リムーブさんくらいの歳だったら、皆都市部の方に出て行きますよ」

 「あーまあなぁ」

 最近の若者の都市部進出。それに連なって浮き彫りになってくる過疎化。

 それは、どこの村でも例外なく問題になっている。

 もちろん、この村も。

 「こんなとこで隠居みたいな生活送ってないで、王都あたりでも言ってみてはどうです?リムーブさん、剣の腕は立つんですし。それなりに」

 「それなりには余計だ!……ってもなあ、どうもこの生活俺の性にあってんだよなあ。なんというか、俺はこの抜けきったような平和が大好きだ」

 気の抜けた台詞を言うと、リムーブは残っていた最後のパンを口の中にほうりこんだ。

 「だからさ、俺は村から出る気はないよ」

 そんなリムーブの言葉を聞いて、アリスは呆れた様子で、

 「本当、欲のない人間ですねぇ」

 と言った。


 

 

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