第6話 戦場に咲いた剣
この第6話。
普段の執筆より時間がかかりました。
それだけこのエピソードは重要だと思っています。
グレアム・ウェクスラーの登場です。
蒼井レイモンドの呼吸が、静かに整えられていく。
正面に立つ男――父であり、ノア連邦元帥であるグレゴール・ヴァルデンベルクは確かな実力を持っている。
その構えは一分の隙もない。
その剣は、魔導石を芯に組み込まれた最新の魔導剣。
装甲もまた、国家が誇る魔導技術の結晶だった。重力制御、衝撃吸収、魔力増幅――戦場を制するために設計された“兵器”である。
「来い、レイモンド!」
低く響く声に、蒼井は剣を構える。
アマツ古流剣術。
その構えは静かで、筋、呼吸、骨の身体全体を連動させることを要とする。
「参る!」
剣と剣が火花を散らし、第一撃が交錯した。
グレゴールの剣が唸る。
魔導装置によって加速された斬撃は、空気を裂き、地を震わせる。
蒼井はその斬撃を避けると背後の大岩がバラバラに砕かれる。
その斬撃は盾ごと相手を叩き斬る威力である。
それに対し、蒼井はしなやかに足を動かし、関節の連動で軌道を滑らせて受け流す。
「その程度か。まさか本気ではあるまいな。」
「……父上の剣は、速く重い。だが――剣は、力だけじゃない!」
蒼井は母の教えを思い出す。
「剣は心を通すもの。力に頼っては駄目だ。骨や筋、身体の全てを使って流す!」
深く息を吐き、低く踏み、斬撃を滑らせる。
グレゴールの猛攻を、まるで波を受け流すかのように捌いていく。
戦いの中で、蒼井の感覚からあらゆる音が、消えていた。
蒼井レイモンドの視界には、ただ剣と剣の交錯だけがあった。
父、グレゴール・ヴァルデンベルクの剣は、まさに“戦うために設計された剣”だ。
魔導石の反動加速と魔力増幅で、斬撃ごとに地が裂ける。それは“斬る”のではなく、“叩き潰す”剣だった。
剣術というよりも、兵器――まさに国家が作り出した「圧倒的な力」そのものだ。
その暴風のような連撃を、蒼井はすべて流していた。
軸足を一歩ごとに変え、肩をずらし、剣の芯の力を殺し、外側に弾く。
呼吸と体幹を合わせ、腰から伝う力で、剣と体を一つに動かす。
「……あの女の流派か。」
グレゴールが低く唸る。
「未熟で、非合理的で、騎士には不要なものよ……!」
剣が一閃。
風が泣き、地面に斬撃痕が穿たれる。
蒼井はその刃の縁に触れかけながらも、ほんの半歩だけ退き、斜めに流す。
次の瞬間、父が踏み込んだ。
左肩を狙った殺意の一撃――魔力を噴出した反動を全開にした真正面からの突き。
避けられない。避ける暇もない。
だが蒼井は、わずかに右足をずらし、肘を絞り、刃の角度を変えた。
「これも受けられるか!!」
ガァアッ――!!
蒼井の剣が父の斬撃を斜めに受け、芯の反動を吸収したまま、わずかに軌道を滑らせた。
瞬間――
「ガキィイイイイィィン!!」
グレゴールの剣に走る、鋭い音。
亀裂が、中心から走る。
「……なっ!?」
続く刹那、蒼井が腰を沈め、流した衝撃の終端で一撃の“返し”を放つ。
回転軸をずらされたグレゴールの剣は、内側から砕けるように――
「バギィイッ!!」
グレゴールの剣が折れた。
青黒く光っていた魔導剣が、中心から折れ、剣先が砂地に突き刺さる。
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グレゴールが一歩下がる。
周囲の空気が一変する。
かつての戦場でも見せたことのない“動揺”が、彼の装甲の奥に揺れていた。
それでも、父は口を開いた。
「……見事だ。技で兵器を断つか。
だがな――剣を一本折られた程度でお前はまだ勝ってはおらん!
戦いとはどちらかが死ぬまで終わらぬ。」
そして手を上げる。
「予備をよこせ!」
即座に部下が差し出した新たな剣――
黒鉄の刃に、蒼い魔導刻印が浮かび上がる。
勝負は、まだ終わらない。
――だがその時、別の方向から爆発のような轟音が響き渡った。
爆風が砂を巻き上げ、振動が地を揺らす。
「なっ……!? どこからだ!?」
グレゴールが咄嗟に振り返る。
部下たちが慌ただしく通信機器を操作し、次々と叫び声が飛ぶ。
「地下収容区画が……! 独房の封鎖が破られました!」
「爆破です、内部からの爆破! 捕虜が逃走した模様!」
蒼井は反射的に剣を下げ、視線を巡らせた。
この混乱――間違いない。
エリックだ。
内心、わずかに安堵が走る。だが次の判断は即断だった。
(合流地点へ、今すぐ――)
そして、蒼井は剣を握り直し、背を向け走り出す。
その姿をグレゴールは黙って見ていた。
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少し時間は戻り。
エリックは壁にもたれながら、ピアスの小さな緑色の魔導石に触れていた。
目を閉じ、わずかに口元を歪める。
「レイの奴、そろそろかな…。」
この独房に入れられるのを見越して昨夜、壁に刻まれた魔導封印の“接地式”を書き換えていた。
アルザフル騎士団の粗雑な術式なら、魔導石の共鳴パターンだけで誤作動を引き起こせる。
エリックの左耳のピアスには、そのための魔力が練り込まれている。
静かに指を添え、低く囁く。
「さあ!いっちょ行くぞぉ。
皆さん!耳と鼻と目を塞いでくださいな!!」
ピアスの中で魔力が閃く。
途端に、独房の封印陣が軋む音を立てた。
次の瞬間――
「ドガァァァァン!!!」
爆発が発生。
扉に刻まれた魔導陣が暴走し、過剰反応によって封印が内側から炸裂。
衝撃で壁が崩れ、埃と煙が充満する。
兵士の叫び声、警報の音が遠ざかる中、エリックは煙の中から立ち上がった。
爆破で壊れた通気口の奥に伸びる古い排水通路が露出している。
かつて戦時中に使われていた地下下水経路。
地図に記されることすらない忘れられた道。
「…良かった…良かった…何とかなったな…。術者には爆発は効かない噂は本当だった…!」
エリックは躊躇なく地下下水道に潜り込む。
瓦礫を跨ぎ、鉄格子を蹴破り、狭い排水路を進んでいく。
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ノア連邦 首都管理区・中央騎士団本部。
会議室の空気は、重く、濁っていた。
石造りの壁に記録装置が浮かび、戦況を投影する中、長机を囲む重役たちの表情は揃って偉そうだった。
「グレゴール元帥が、アル=ザフルへ“特例コード”を使って直接指揮を執っている件――
承認されたのは軍令第42号、対象は“国家敵性武装組織。」
「灰狼旅団か。傭兵団というよりテロ支援組織に近い、存在自体が危険だ。
アルザフル政府との連携は我が国の外交的にも都合がいい。」
「英雄の出撃に民衆は喝采する。……完璧な作戦だ!」
高圧的な言葉が飛び交う会議室。
その末席、壁際に背を預けて静かに座っていた男――グレアム・ウェクスラー。
かつて「悪魔を屠った英雄」として名を馳せ、今は象徴的存在として会議に出席しているに過ぎない。
誰もがこの無口な英雄を「過去の人」として扱っていた。
だが、その瞳にはかつて戦火を制した者だけが持つ“深く、研ぎ澄まされた静寂”が宿っていた。
「……グレゴール元帥は、ご子息である蒼井レイモンドが所属する戦闘部隊をアルザフルに連れて行ったという報告は?
私はその話など聞いていないが?」
沈黙。
誰も、すぐには答えない。
すると、会議室の隅に立っていた情報局の男が気まずそうに声を絞り出した。
「それに関しては何かの手違いがあったかと…。」
「……君に聞いているのではない。
ここにふんぞり返っている傲慢な者どもに聞いているのだ!」
会議の時にグレアムは滅多に口を開かなかったが、その声、雰囲気、見た目の圧倒的な威圧と覇気にこの会議室全員が凍りつく。
すると重役の一人が口を開く。
「これはグレゴール元帥が独断で勝手に決め、行ったこと。
わしらもこの話を聞いたのはついさっきでな…。」
それを聞いたグレアムは更に激昂した。
「最重要セキュリティを担う我々が、そんな大事な事を知らずに通るわけがない。
私だけを抜きにしてお前達がグレゴールと決議したのだろう!」
グレアムがゆっくりと立ち上がった。
その一動作だけで、空気が変わった。
重役たちが、顔を伏せ口を閉じる。
「聞こえているか? 貴様らの会議は、
“正義”の名を借りて、あの悪名高い国家、騎士団のアルザフルと密約を交わしたのだろう。」
「おい、ウェクスラー。口を慎め。
貴様に今の国政がわかるのか。
これはノア連邦政府と我々騎士団が一丸となって決めた作戦だぞ!」
別の軍幹部が嘲るように言う。
「今動けば、君の立場は崩れるぞ。名声も、指揮権も……何もかも終わるのだ。」
その言葉に、グレアムは静かに応じた。
「私がかつて剣を振るっていた時、それは名声のためだったか?」
沈黙。
誰も、返せない。
「私は民を守るためと戦った。
だが、それによって得られたのは、このノア連邦が権威を高め、豊かになり、その豊かさは今お前達のような汚い権力者だけにしか行き届いていない。
かつての私の戦いは無意味だった…。」
グレアムがコートを直し、会議室の出口へ向かう。
「グレゴールの暴走を黙認したこの場こそが、
私が剣を握るに足る“敵”だと判断するに十分だ。」
幹部たちの顔から血の気が引く。
一人が声を上げようとした瞬間、グレアムはすっと一言だけ放つ。
「私は、アル=ザフルへ向かう。」
その言葉は、もはや提案ではなく、決定だった。
誰一人止めることはできない。
最後に、扉を開けながら振り返る。
その瞳には、火ではなく、氷のような静けさが宿っていた。
「騎士としてではない。
人として、今の貴様らを見過ごすわけにはいかん!」
そして、扉が静かに閉じる音だけが、会議室に響いた。
ご拝読ありがとうございました。
ついに本格的にグレアムを登場させることが出来ました。
グレアムは蒼井レイモンドの父であるグレゴールと同期です。
戦争時代、訓練時代、英雄になるまでの時など共に戦っている時が多かったのです。