第5話 罪を抱いて、剣を振るう
蒼井レイモンドはグレゴールと蒼井静の間の子で、イメージでは欧米の白人と日本人の血が入っています。
魔導砲の轟音が、空を裂いた。
陽はまだ昇りきっていない。砂漠の大地は冷たいはずなのに、漂う空気は焼け焦げた血と灰の臭いで満ちている。
灰狼旅団のエース――カイル・マクレガーは、ただ一人で敵陣へ向かっていた。
背には旅団から支給された大剣。片手では持てぬほどの巨剣を、まるで延長された腕のように自然に背負っている。
その歩みは重く、しかし迷いがなかった。
「ったく……めちゃくちゃな作戦だぜ。何が“名誉ある殲滅戦”だよ。」
口の中で唾を吐き捨てるように呟く。
彼の前方に広がるのは、アル=ザフル騎士団の包囲部隊の一角。
丘陵地帯を中心に、魔導障壁を形成した拠点。
そこから四方に広がるように、斥候部隊、重装槍兵、砲撃支援部隊が陣取っている。
数はおおよそ五十。
しかも、全員が騎士階級の装備と魔導技術で武装していた。
「さぁて、やってやるか。」
カイルは大剣の柄に手を添え、ゆっくりと引き抜いた。
乾いた空気が、剣の重みに引かれるように揺れる。
その瞬間、彼の中にある感覚が研ぎ澄まされていく。
昔からそうだった。
戦いの場に立つと、全ての音が消え、動きだけが鮮明になる。
「これは……逃がすための道なんだよ。
だったら、俺の“道”はただひとつ。
ぶち壊すだけだ!
ほほー!!シンプルでいいぜ!!」
深く息を吸い込む。
脳裏には、かつて拾われた少年時代の記憶がよぎった。
あの日。
親父にボコボコにされて死にかけてたあの時、手を差し伸べてくれた男――レオン。
「お前が助かりたいなら、生きろ。戦え。
でもいつか、お前の剣を“誰かを守るため”に振れるようになれ。」
今、その言葉が鮮やかに甦る。
「……今が、その“いつか”ってやつか!?」
そのまま、彼は走り出した。
砂を蹴り、体を低く構え、騎士団の第一陣の前に現れる。
「敵襲ッ!! 一人、確認――」
「止めろ、こいつ……ただの奴じゃねえぞ!」
最前列の騎士が叫ぶ暇もなく、大剣が地を擦りながら振り上げられる。
「“灰狼”を舐めんじゃねぇよッ!」
風が裂けた。
剣がうねり、前衛の三名が盾ごと吹き飛んだ。
敵の結界術師が詠唱を始めるよりも早く、カイルは側面から滑り込む。
「動きが鈍ぇんだよ、クソが!!」
二撃目は盾の上から強引に叩きつける。結界が弾け、術師が吹き飛ぶ。
騎士団員たちが動揺の色を浮かべ始める。
「なんだこいつ、一人で……ッ!?」
「下がれ、後衛を守れ!」
「砲台を後ろに! 魔導弾、構え――ッ!」
命令が飛び交うが、カイルの勢いは止まらない。
まるで暴風のように、敵陣の中を縦横無尽に駆け回る。
砲撃の準備中だった魔導装置の陣を見つけると、そこへ一直線に突っ込んだ。
「悪ぃな、火力はお預けだ!」
大剣を振り下ろす。
爆音と共に、砲台が爆発した。魔導石が砕け、閃光と煙が視界を覆う。
その一撃で、敵の士気が一気に崩れる。
「こいつ、こいつを止めろォォ!!」
「もうダメだ、持たない!」
敵の後衛が退き始める。
脱出路が、確かに開きつつある。
カイルは剣を地に突き立て、一息ついた。
鼻の奥に、血の臭いと焦げた魔導石の臭いが混じる。
「こっちは、お前らみてぇにマヌケな戦争なんかしてねぇんだよ!!」
彼は顔を上げた。
遠く、村の中央で雷光が走る。
きっと、レオンが戦っている。
きっと、蒼井が命をかけて立ち向かっている。
「なら、俺もやるさ。
――灰狼旅団の誇りに懸けてな!」
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村の空が赤く染まっていた。
燃える家々から立ち上る煙が、朝焼けと混ざり、まるでこの地が“咎”に焼かれているかのような景色を描いていた。
「右側の家屋が崩れる! 急げ、あの子どもたちを先に!」
雷のような声が飛ぶ。
叫んだのは――レオン・ヴァルグレイ。灰狼旅団の首領にして、雷撃の大剣を振るう男。
その姿は、傷だらけの戦場に立つ指揮官というより、今や“防火壁”そのものだった。
火の海と化した村で、旅団員たちは散り散りになりながらも、命を守ることだけに集中していた。
「レオンさん、こっちはもう避難済みです!」
「よし、次だ! 崩れる前に中央通りを確保しろ!」
雷撃剣を手に、レオンは自ら先陣を切って焼け落ちそうな木造家屋へ突っ込んだ。
中には怯えた表情の老人と、手を引かれた孫娘。煙に包まれ、視界はほとんどなかった。
「しっかり掴まってろ、すぐ出る!」
その一言で、少女がレオンの腰にしがみつき、老人も無言でうなずいた。
片手で少女を抱え、もう片方で老人の手を引き、壁を蹴破って外へ飛び出す。
「こっちだ! 早く!」
旅団員の一人が手を伸ばし、すぐに引き継いで後方へ誘導する。
レオンは煙の中で咳をしながらも、構えを崩さない。
背後では魔導砲が再起動し、第二波の着弾が迫っていた。
そのとき――
「敵、南西の路地に魔導槍部隊が接近中!」
「時間稼ぎが必要です、レオンさん!」
レオンは眉をひそめ、そして口元をわずかに上げた。
「だったら――雷で道を切り裂くしかねぇな!」
剣を振るう。
雷光が一閃、村の土壁と石造りの塀を貫き、炎と衝撃波で敵の進軍ルートを断ち切った。
立ち上る煙の向こう、敵の兵が狼狽しながら引き下がっていくのが見える。
「俺たちは“騎士”じゃねぇ、行儀の良い戦いなんかしねえぞ!」
その言葉に、周囲の旅団員たちの顔にも、微かに誇りの色が灯る。
「俺たちは法の下に生きちゃいねぇ。
だが――罪のねえ命を守るって誓いだけは、本物だ。
それすら守れねぇ剣なんざ、折れてしまえ……。」
レオンは、遠くの空を見上げた。
蒼井。
あの若き騎士が、今、どんな剣を振るっているのかは分からない。
だがもし――
もしも、あの青年の剣が誰かを守るために振るわれているのなら。
「……いい目をしてたな。
あいつはもう、立派な“同志”だ。」
レオンの眼光に、雷のような鋭さが戻る。
ここは俺たちが守る。
命の重さを知る者だけが、斬る資格を持つ。
その想いを胸に、彼は再び剣を構え、咆哮と共に火の中へ駆けた。
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砂漠の空に、剣閃が走った。
鋭い光と共に、連邦騎士の一人が盾ごと地面に叩き伏せられる。
その姿は、かつて彼らと同じ鎧を纏っていたはずの男――
蒼井レイモンドだった。
「っ……蒼井!? 何を――!」
「貴様、裏切ったのか……!」
彼は何も答えなかった。
ただ静かに、剣を払う。
飛び散った血が、装甲に斑点を描く。
この本陣には、砲陣や結界制御、通信塔といった司令機構が集中している。
蒼井はその要点を寸分違わず把握していた。
元々、この騎士団に属していたのだから当然だ。
「デラート……お前を始末する。」
口にした名は、国家騎士団の現地指揮官。
反乱掃討の指揮を執っている張本人。
蒼井の目は、戦場ではなく、その“中心”だけを見据えていた。
斬る、払う、躱す――
剣筋は研ぎ澄まされ、すべての動きに無駄がなかった。
「正義のため咎を背負う…。」
叫びはなかった。
彼の剣は静かで、美しく、そして迷いがなかった。
本陣の幕舎まで、あと十メートル。
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「なに!? 蒼井レイモンドが本陣に斬り込んできただと!?」
幕舎の奥、デラート・グレンシュタインは、通信端末を握りしめたまま声を荒げた。
「早く止めろ! 衛兵隊は何をしている!? どうしてこの距離まで来させた!!」
周囲の部下たちは狼狽して動けない。
その様子を、すぐ背後から冷ややかに見ていた男がいた。
黒と金の魔導装甲――
連邦元帥、グレゴール・ヴァルデンベルク。
「落ち着け。無様だぞ、デラート。」
「元帥……!そなたの息子の所業…許すわけには行きませんな。」
グレゴールはデラートの話に耳を貸さず、静かに腕を組み、部下の報告を聞きながら目を細める。
「やはり、奴はこの地で“剣を選んだ”か。
――反逆者として、な。
あの女に似たな…。」
そして、部下に命じる。
「蒼井レイモンドの仲間、エリック・モーガンを処分しろ。
地下独房ごと爆破でいい。無駄な手間をかけるな!」
「はっ……!」
グレゴールの威光と冷徹な雰囲気に空気が凍る。
デラートでさえ、息をのんで言葉を失った。
だが、グレゴールはためらわない。
「蒼井は、もはや私の子ではない。
命令に背き、アルカセラフィムの教えに背き、国に刃を向けた。……国家に敵対する“罪人”だ。」
魔導装甲を起動させながら、低く呟く。
「ならば、父としてではなく、元帥として処刑する。」
テントの裾を翻し、グレゴールが外へと歩き出す。
足元の砂が、音もなく崩れた。
「…デラート…貴様に蒼井は止められん。
……これは、私が始末をつける。」
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砂塵の向こう、重たい足音が近づいてくる。
ただの兵の歩調ではない。鉄と魔力の重みを帯びた、それは“戦場の主”の登場を知らせる音だった。
剣を構えていた蒼井が、静かに息を吐いた。
視界に現れたのは――魔導装甲をまとい、全身を黒金の気配に包んだ男。
「……父上…やはり、あなたが来たか。」
「貴様のような反逆者を、部下に任せておけるものか。
私がこの手で始末をつける。それが“父としての最後の責務”だ!」
グレゴール・ヴァルデンベルク――蒼井の父にして、ノア連邦の最高指揮官。
その剣は既に鞘から抜かれ、魔導陣の淡い光が刃の表面を走っていた。
「命令に背いた者に未来はない。
国家に逆らった者は、例外なく“裁かれる”。貴様も、エリックも同様だ。」
「エリック……!」
その言葉に蒼井が一歩踏み出しかけるが、グレゴールの一声で止められる。
「無駄だ。お前が刃を交える頃には、あの男はこの世にいない。
貴様の甘さが、仲間を殺すのだ。」
蒼井は、唇を噛みしめ、視線を外さなかった。
「それでも、俺は――剣を捨てない。
命令に背いたことで、救うべき命が救えるなら、俺はそれを選ぶ。」
「馬鹿な。騎士とは従う者だ。国を支え、命を預け、秩序を保つ。
貴様のような“独りよがりの正義”が蔓延すれば、世界は崩れる。」
グレゴールは一歩、前に出る。
「そしてやはり、貴様の歪みは“あの女の血”によるものだった。」
砂風が、ぴたりと止まった気がした。
「貴様の母、あの東の小国の女。
最初は良い血統になると選んだが、間違いだった。
情に流され、潔癖で、まるで子供のような正義感を振りかざす、未熟な民族性。
その劣った血を、貴様は正しく受け継いだようだな。」
静かだった蒼井の気配が、微かに変わった。
呼吸が、わずかに深くなる。
剣の切っ先が、少しだけ下を向いた。
それは素早く敵を斬る剣の型。
「母は、弱くなんかない。
弱きを助ける強くて優しい人だった。
今の俺がここにいるのは、母や師匠が正しく導き、教えてくれたからだ。」
一歩、踏み出す。
「その血を誇りに思う。
その教えを、あなたに汚されるいわれはない!」
二歩、踏み出す。
「あなたがどんなに強くても、どれだけ偉かろうと、
“人の尊厳”を踏みにじるなら――俺は、お前をを斬る!」
最後の一歩で、二人の剣が向かい合う。
鋼のように冷たい意志と、静かに燃える覚悟がぶつかる。
その瞬間、風が止まった。
雷のように、火花のように。
今にも剣が交わる寸前、すべてが止まったような静寂。
レオンはカイルを救っていますが、レオン自身はその時のある行動にトラウマを抱えています。
それは後々ストーリーで明らかになります。