第2話 交錯する刃
母である蒼井静は息子のレイモンドを強く賢く育てるため夫であるヴァルデンベルクから離し、母の母国で教えを受け、この騎士団という世界に入りました。
賊を全滅させてから数十キロ砂漠を移動した夜。
洞窟の中は、ひんやりとしていた。
砂漠の夜は日中とは打って変わって冷え込み、岩肌に触れる空気さえ重く感じられる。
その中心、焚き火の火がぱちぱちと音を立て、オレンジ色の光を揺らしていた。
炎の周囲には、灰狼旅団の面々が散らばるように座り、誰もが黙々とそれぞれの夜を過ごしていた。
一人は、剣に砥石を滑らせていた。乾いた金属音が、洞窟の天井に反響する。
その刃には、昼間の戦闘でついた血と砂がまだ残っており、丁寧に拭い取られていく。
「……この音が好きだ。」
刃を手入れしていた若い団員が呟く。
「生きてるって気がする。」
その隣では、別の団員が片手を包帯で巻きながら、乾いたパンをかじっていた。
ボロボロと崩れる小麦の塊が焚き火の前に落ちていく。
「またパンか……。たまには肉が食いてぇな。干し肉じゃなくて、焼いたやつ」
「それを言うなら、酒だろ。昼間の血の味を、火酒で流し込めたら最高だ」
「それでまた酔っ払って、カイルに殴られるんだろ?」
静かな笑いが、焚き火の火とともに漏れる。
重たい夜の空気の中で、それはわずかな安堵のひとときだった。
奥の方では、背中を焚き火に向けて座る大柄な団員が、腕に巻いた包帯を外していた。
火傷のような傷が浮かび上がる。
その隣にいた小柄な女団員が薬草を煎じ、布に染み込ませて手当てしていた。
「じっとして。あんた、痛みに強いけど……無理しすぎ。」
「戦ってる間はな、不思議と痛みなんか感じねえもんだ。」
「でも、終わった後にちゃんと痛がらないと、体は壊れるんだよ。」
焚き火の反対側、石に背を預けてカイル・マクレガーが座っていた。
剣の手入れは終わっており、ただ静かに仲間たちを見回していた。
レオンの姿はなかった。
だが、炎の揺れが、まるで彼の存在を示しているかのように、心を揺らす。
するとレオン・ヴァルグレイが歩み寄ってきた。
魔導大剣を背負い、無言で隣に立つ。
「……レオン。あのテロリストども、なんであんな小さな村を襲ったんだろうな。
言っちゃ悪いが襲ってもなんの得にもならないようなとこだったぜ。
他に良いとこはあるはずなんだけどな…。」
「……お前にしちゃ勘がいいな。俺もそう思ってた。」
「ま!テロリストだろうが国家だろうが貴族だろうが、悪党は俺が全部ぶっ殺す。」
レオンは黙っていた。カイルの目はまっすぐだった。汚れを恐れぬ目。
それが未熟ゆえか、純粋すぎるがゆえか――
「どうせ“正義”なんて都合のいい看板だ。だったら、俺は俺の正義を通す。目の前のクソを潰す。それだけだ。」
「……強いな、お前は。」
「違ぇよ。ただ考えるのが面倒くせぇだけだ。迷ってるような奴見るとムカつくんだよ。今のあんたみたいにさ。」
レオンはわずかに肩を揺らして笑った。
だが、その目に浮かぶ影は拭えなかった。
「迷わない剣は強い。でもな、カイル。迷いもまた、誰かを救う“力”になる時があるもんだ。
悩んで遠回りして、立ち止まって…。
何してんだって殴られても、後になってそれが大切な時間だったって気づくときがくる。」
「 でも、迷ってる間に誰かが死ぬなら、それは正義じゃねぇ。違うか、レオン?」
その言葉に、レオンは答えなかった。
代わりに、遠くを見た。そこには、まだ見ぬ“敵”の気配を感じているようであった。
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翌朝。
砂漠の朝は、ただ白く眩しい。空の色さえも焦げたように薄く、地平線の彼方が揺らめいて見える。
合流したアル=ザフル騎士団の戦闘部隊は、拠点を出発する直前だった。
魔導装甲に身を包んだ兵士たちが整列し、馬や輸送車が唸りを上げている。
その中で、蒼井レイモンドは一人、岩陰に佇んでいた。
風が吹くたび、外套の裾が砂を巻き上げる。剣の柄に置いた指は、いつもより冷たかった。
「……よく眠れた?」
その声に振り返ると、エリック・モーガンがいつもの笑顔で立っていた。
だが、その目は笑っていなかった。
「俺は一度もまぶたは落ちなかったよ。あんたも同じだろ、レイモンド。」
「……ああ。」
沈黙。
それは互いが何を考えているかを、もう知っている者同士の、沈黙だった。
「確認するけど――今回の作戦、完全に“排除”が目的だ。捕縛じゃない。村の一帯を包囲して、灰狼旅団の動きを絶つ。下手すりゃ、民間人も巻き込む。」
「……命令には、“必要であれば”とあったな。」
「つまり、“やる気があればやってもいい”ってことだよ。あのデラートって奴なら、喜んでやるだろうさ。」
レイモンドは小さく息を吐き、地面を見つめた。
その目には、少年時代に母から教わった言葉が揺らいでいた。
「誇りとは、自分で選ぶもの。他人の名や命令ではなく、己の信念で歩け。
……民が巻き込まれれば、俺は“命令違反”に近い判断をするかもしれない。」
エリックが肩をすくめた。
「そん時はそん時だ。俺はそれでも構わない。
。振るう剣に責任を持てるなら、どこまでもついてく。」
「だが、これは“国家の命令”だ。俺たちの祖国、“ノア連邦”の。
それを拒むということは、俺たち自身の立場が揺らぐ。場合によっては処刑かもな。」
「そうだろうさ。
だが、俺たちは腹を括ったんだ。」
エリックの言葉に、レイモンドはわずかに口元を引き締めた。
砂塵の向こうで、出発の合図が鳴る。
「行くか、レイモンド。命令に従うなら、手を汚す覚悟もいる。」
「――ああ。」
それが“正義”でないと知っていても。
それでもなお剣を抜くと決めたのは、他でもない、自分自身だった。
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砂漠の陽光が斜めに差し込み始めた午前。
アル=ザフル騎士団の先遣部隊が、東の丘陵を越えた地点で異常を報告した。
「報告!東側移動経路にて、灰狼旅団の紋章を確認!狼の腕章をつけた男、一名が斥候と思われます!」
「ほう……ようやく尻尾を見せたか。」
デラート・グレンシュタインが口の端を歪めた。
金の装飾が施された肩章が、朝日を反射していやにまぶしい。
「囲め。あの連中がどこへ向かっているかは知らんが、逃がすな。民ごと焼けても構わん。片っ端から始末しろ。」
その言葉に、蒼井レイモンドとエリック・モーガンの背筋が微かに揺れた。
だが、もはや言葉はなかった。覚悟はすでに交わしたばかりだった。
「行くぞ、レイモンド。」
「……ああ。」
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アル=ザフル騎士団の本営には、出撃を前にした緊張と騒然が漂っていた。
砂漠の太陽が昇りはじめた、朝のブリーフィング。
将校たちが揃った中で、国家騎士団元帥――グレゴール・ヴァルデンベルクが声を上げた。
「――灰狼旅団の先遣隊は南の峡谷を通過中と報告を受けた。よって、“蒼井レイモンド、貴様一人でそれを制圧しろ”。」
一瞬、空気が凍る。
「……は?」
誰かが漏らした声が、異様な静寂に溶けた。
騎士たちの間にざわめきが広がる。
「ちょ、ちょっと待ってください元帥殿! あいつらは灰狼旅団ですよ? しかも“その中には一人でテロリストを壊滅させた男”カイル・マクレガーが……。」
「おいおい、正気かよ……たった一人で“反乱勢力”止めろって……。」
その騒ぎの中、沈黙を貫いていたのは当の本人――蒼井レイモンドだった。
「理由は……あるんですか、元帥?」
父であり上官である男は、感情のない声で答える。
「貴様は“ヴァルデンベルク家”の名を軽んじ、“蒼井”などという名を使っている。
ならば、その名で名乗る以上、それにふさわしい実力を見せよ。」
「……。」
「貴様が一人で敵を止めれば、我が家の威信も、命令の威厳も保たれる。
“愚息”の汚名返上には、これ以上ない任務だろう?」
レイモンドの拳が静かに震える。
隣にいたエリック・モーガンが思わず前に出た。
「お言葉ですが元帥。これは嫌がらせどころじゃない、いくら蒼井といえど死にに行かせるようなもんです!」
「静まれ、副隊長。これは命令だ。」
「だったら俺が行きます!少なくとも蒼井を一人では――。」
「大丈夫だ、エリック。」
レイモンドが短く言った。
その声に、誰よりも苦悩が滲んでいた。
「……あんた、本気で行く気かよ。」
「命令は命令だ。」
沈黙の中、レイモンドは剣を手に取り、ゆっくりと背負う。
誰もがその背中に声をかけられなかった。
その姿は、騎士というより“処刑台に向かう者”のように見えてしまう。
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砂漠を切り裂くように、蹄の音が響く。
乾いた風を追い越して、一頭の馬が荒野を駆ける。
現れたのは、たった一人の騎士。
蒼銀の鎧に身を包み、陽光を反射させながら進み出るその姿は、まるで異物のようだった。
灰狼旅団の一団が警戒の色を強める中、騎士は高らかに言った。
「俺の名は蒼井レイモンド!!灰狼旅団!その中に、カイル・マクレガーはいるか!」
声が響いた。風に流されることなく、まっすぐに届く強さだった。
旅団の数名が一瞬、ぽかんとした表情を浮かべる。
「……なにあれ、たった一人?」
「まさか、決闘とか言い出す気か?」
「暑さで頭やられたんじゃねぇの?」
嘲る声が上がる中、当のカイルは剣を背に、面倒そうに前へ出た。
その眼には、わずかな驚きと……興味が宿っていた。
「俺がカイルだ。なんだテメェ…この国の騎士団じゃねえな。
国家の犬にしちゃ、なかなかの根性じゃねぇか。気に入ったぞ、蒼井殿とやらよ。」
馬を下りた蒼井レイモンドが、剣の鞘に手をかけたまま、地面に立つ。
彼の声は冷静だったが、決意の熱がにじむ。
「灰狼旅団は、反政府活動に加担し、幾つもの村で略奪と破壊を繰り返した……
――そう、記録されている。
それは本当か!?」
その言葉に、旅団の空気が一瞬で変わった。
だが、カイルだけは肩をすくめて笑った。
「ほぉ、そいつはおもしれぇな。
どこの馬鹿が書いた“お偉いさん向けの絵本”だ?
なぁ教えてくれよ、焚き火の燃料にしてやる。」
レイモンドの表情がわずかに揺れる。
だが、剣に添えた手は離れない。
「事実がどうであれ、俺には確かめる術がない。
だから――まずは、剣で語る。俺が信じるべきものが、どちらにあるかを。」
カイルは満足そうに鼻を鳴らし、背中の剣に手をかけた。
刃渡りが蒼井の身の丈ほどもある鉄塊が、ズルリと抜き取られ、砂を蹴った。
「なんだよ、腑抜け揃いの公僕にしちゃあ、面白いこと言ってくれるな!
よぉし、“国家の正義”とやら。その剣で語ってみせろよ。」
次の瞬間。
砂が爆ぜた。
カイルが踏み込む。重量級の剣とは思えない速度で、一直線に蒼井へと迫る。
「速い……!」
蒼井は魔導剣を抜き放ち、反射的に構えを取った。
ギリギリで受け止めた一撃は、雷鳴のような衝撃を伴って彼の腕を痺れさせた。
「おいおい、手加減してる暇なんざねぇぞ――!」
「……なら、遠慮はしない!」
剣が火花を散らす。
砂漠の中央、二人の男が交差した瞬間、物語は加速する。
自分で言うのもなんですが、カイルと蒼井のこの対決は凄く熱い展開です。
最強の人間同士の対決を描く機会があまりないため、書く側としても描きがいがあります。