第5話 『クレーマー』
仕事を終え、いつものコンビニに立ち寄った。冷えた夜の空気が喧噪と静寂を行き交い、人々の疲れを反映するように店内もどこか薄暗く感じられた。
レジ付近に近づくと、突然耳をつんざくような声が飛び込んできた。中年の女性が、カウンター越しの若い店員に向かって怒声を浴びせている。
「こんなこともできないの?教育がなってないわね!」
言葉は鋭く、周囲の空気を凍らせていた。
その場にいた誰もが目をそらし、気配を消そうとしている。だが、私はその場を離れられなかった。これが噂に聞く「クレーマー」かと、興味が勝ったのだ。
女性の言い分は、商品が予想と違ったことへの不満らしい。店員は申し訳なさそうに頭を下げ続けているが、女性の怒りは収まらない。商品の代金を超えるほどの価値を感じさせる怒りっぷりだ。
「たったこれだけのことで、どうしてこんなに怒れるんだろう」と思わず考えてしまう。彼女がこんな風に感情を剥き出しにする理由は何だろうか。満たされない何かが心に巣食っているのだろうか。
ふと、周囲を見回すと、店内の客たちは皆、彼女を避けるように視線を落としている。自分もその一人であることに気づき、胸がざわついた。この光景は彼女だけの問題ではない。私たち全員が、この場で彼女を許し、無関心を装うことで、彼女の怒りを助長しているように思えた。
ふいに、自分の中にも彼女のような一面があるのではないかという不安が胸をよぎる。些細なことでイライラし、心の中で他人を責めることはなかっただろうか。言葉にしないだけで、心の中では自分もまた「クレーマー」になりかけていたのかもしれない。
結局、その場で何も言えず、私は商品を手に取りレジへ向かった。怒声はまだ続いていたが、足早にその場を後にした。
帰り道、夜空を見上げると、月が曇りの隙間からぼんやりと顔を覗かせていた。思わずため息がこぼれる。この社会はいつからこんな風になってしまったのだろう。怒りの声が大きくなり、優しさが隅に追いやられていく。けれど、気づいてしまった以上、私にもできることがあるはずだ。
そんなことを思いながら、家路を急いだ。
(完)