337年後のプロポーズ
「ちょっと遠かっただろうけど、よく来てくれたね。多田君」
顔艶からすると30代くらいに見える白衣を着た男は、科学者らしくない戯けた所作で、若干覇気のない笑顔を見せている友人を出迎えた。2人がいる広大な敷地に造られた研究施設の周囲は、その敷地よりさらに広い森林でひっそりと覆い隠されている。多田と呼ばれた覇気のない男は、明るい調子の青年科学者と研究施設のだだっ広いエントランスロビーを見比べていたが、
「ここが国立科学研究所か。科学者のお前が機密だらけの自分の職場に、まさか招待してくれるとは思わなかったよ。土本」
そう気の置けない調子で白衣を着た土本の肩を叩き、フランクな感謝を示した。
多田が言葉にしているように国立科学研究所は、技術開発面において最高ランクの国家機密を保有する施設だ。科学者となった土本とは中学生の頃から付き合いがあるとはいえ、なぜそんな重要施設に自分を招待したのか、多田は訝しんでいた。昔なじみの青年科学者は、笑いながら少し覇気のない友人の肩に手をかけ、意外な招待理由を語り始める。
「多田君。君の最新作は非常に興味深く、面白かったよ。安定して素晴らしいSF小説を書いてるね。それで事後承諾という形になるんだが、作品内に書いてあった突飛ながらとても面白い着眼点のアイデアを拝借させてもらった。多田君をこの研究所に招待したのはアイデア借用の許しを得るのと、そのアイデアから作られた驚くべきものを君に見せたかったからだよ」
今の今まで覇気がない様子だった多田は、淡々と土本が話す思いも寄らない自分の招待理由を聞き、ようやくそこで目が覚めた。土本が話した通り、多田の職業はSF作家であり、書いた作品の売上で何とか食っていけるほどの知名度もある。そういった背景はあるのだが、まさか科学者の友人が自分の小説作品を読み、作中のアイデアを現実的に膨らませていたとは考えもしなかったのだろう。
土本が話した想像もしていなかった招待理由は、多田の目を覚まさせるのに十分だったが、表情はなぜかまだ冴えないままだ。そんな多田の様子に構わず、土本は研究所内を移動しながら未だ怪訝な顔の友人に、自分がいったい何を作ったのか、無邪気な子どものような明るさで説明した。
作った発明品の内容を聞いてしまっては、冴えない顔の多田も吹き出して笑うしかない。なんと土本は、タイムワープ装置を作ってしまったらしい。
「笑うことはないぞ、多田君。それだけ君のアイデアが素晴らしかったということだよ。言ってみれば、多田君もタイムワープ装置の開発に一枚噛んだ人物なんだ。タイムワープの生みの親の一人とも言える」
歩きながら大真面目に話す土本の顔を見て、多田は更におかしさが込み上げてきたが、件のタイムワープ装置が設置してある実験室に入ると、その重厚な存在感を示す威容にぐうの音も出ず、押し黙った。
「本当かよ……。俺がパソコンで打ち出した適当な考えがこんな物に?」
多田は自分の発想を過小評価しているようだが、土本は友人としても科学者としても、昔から全くそう思っていない。現に多田がSF小説に書き表したアイデアは、こうして具体化された発明品として形になっている。
書いた本人は所詮空想の域と考えているが、SF作家として多田は、次のようなアイデアを最新作で提唱している。
現在の時代で複数の先進技術が開発される動きが出たとして、その継続可能性が全て100%に近い場合、研究員や資金などのリソースを注ぎ込む可能性との掛け合わせで、未来世界へのタイムワープを仮定したとき、それらの先進技術がどの程度の経過年数で完成しているかが決まってくる。
土本は多田が考案した、この突飛な空想的アイデアを絵空事と思わず、ベースとして研究を進めた。その結果、
統計学における確率論などを用いれば、実際世界における多数の事象が絡み合ったときの、バタフライエフェクト的なゆらぎによる時空の変化は、量子論とも結びつけることによって高精度で予測可能となる。
そういった内容の新理論を、完成させることができたというのだ。
「タイムワープ装置とワイヤレスで通信がつながっている大きな機械群があるだろう? 実を言うと、多田君が提唱したアイデアを読んで僕が閃いたのは、実験室いっぱいに設置されている、この大きな機械群の作成方法でね。タイムワープ装置の方はついでみたいなもんさ。僕はこの機械群を、先進未来技術予測管理システム・ヘパイストスと名付けた」
「ヘパイストス……ギリシャ神話に登場する鍛冶と職人の神の名だな」
土本はヘパイストスと呼んだ機械群とタイムワープ装置を、多田によく観察させた後、続けて現代世界において、工学、理学、医学など多種多様な自然科学的分野、人文科学的分野に配分されている研究資源の内訳を説明した。それらの正確なリソース配分情報と、多田のアイデアをベースにして土本が完成させた新理論が、ヘパイストスには組み込まれているのだという。
「ヘパイストスのデバイス構造だが、従来型のスーパーコンピュータと最先端の量子コンピュータを組み合わせて作られている。量子コンピュータの計算能力をメインにして、スパコンが細かいエラーを修正しながら動くシステムってわけさ。さっき少しだけ言ったが、ヘパイストスとタイムワープ装置はワイヤレスで通信がつながっていて、連動させることができる」
説明を受けていた当初、多田はまだ半信半疑だったのだが、複雑なパラメータを多数のモニターに映し出している、強い説得力を持った実物を見せられては、目の前の現実を信じる他はない。
「ところで多田君は、職業柄、パラレルワールドって知ってるよね?」
「ああ、よく知ってるよ。並行世界ってやつだな。今いる世界と非常によく似ているが、決して交わることがない世界。時間軸と世界の歴史などを絡めて、パラレルワールドについて書いてみたSF小説もある」
多田の回答を楽しそうに聞いている土本は、ゆっくり2度うなずくと、タイムワープとパラレルワールドの関係性について説明を始めた。その内容は下記の通りだ、
タイムワープした未来世界で、今いる現代世界との整合性が大きく崩れる可能性があるが、未来のタイムワープ装置を使えば、装置同士の干渉性により、今の世界に戻ることができる。
つまるところタイムワープ後、未来世界で何かがあっても、今いる現代世界へ必ず戻れるから安心しろと、土本は説明したわけだが、はっきり言えば多田にとって、そんなことはどうでもよかった。
(あの時からずっと投げやりに生きてきた身だ。たとえタイムワープが失敗したとしても大した問題じゃない)
「ふっ……何を考えてるか顔を見れば大体分かるが、行ってみようか、多田君」
土本は多田の意思を確認すると、タイムワープ装置のタッチパネルを鮮やかに操作し、ヘパイストスがシステム的に示した327年後の未来へ、共に向かった!
とてつもない電力を消費し、タイムワープ装置が起動した次の瞬間、多田と土本の眼前には極めて明るい未来が広がっていた。
「ここが未来……。モニターに映し出されたような情報画面が、空間に沢山浮かんでいる。それに、考えていたより空気がずっと澄んでいて、呼吸がしやすい」
未来世界の先進的な空間に圧倒され、多田は唖然と佇んでいる。屋外にあるタイムワープ装置から多田と土本は現れたのだが、周囲を見回しただけでも、小型補聴器のような装具を着け、動物と言葉でコミュニケーションを取っている人、目的地へ行くため、ターミナルゲートからターミナルゲートへ瞬間移動する人々、更には、ある屋内施設を覗いてみると、ロボット工学の進歩により、調理から配膳まで完全に自動化されたレストランで食事を楽しむ人々といった、多様な先進未来技術を利用する未来人の様子が目に入ってきた。
なおかつ、先ほど多田が清浄な空気を吸い込んでいたように、今いる未来世界では、自然環境と人の快適な暮らしがバランス良く調和しており、市民の暮らしの様子を見る限り、少なくともこの都市は、理想郷に極めて近いと言える。
「多田君、ボーっと周りを見てるのもいいが、未来でも日が暮れてしまうぞ。こっちへ来てくれ」
未来に来ても冷静な土本は、多田を呼び寄せると、近くの屋外ターミナルゲートを通り、未来世界の公立総合病院へ瞬間移動した。
優れた耐蝕性と耐熱性を持つ建材で造られた公立総合病院では、人間の医師たちの指示を受け、アンドロイドの医師や看護師たちが、治療用メディカルカプセルなど、未来の先進医療装置を手分けして使い、患者を献身的に治していた。土本は受付の端末を使いタッチパネルに来院用件を入力すると、程なくして人間の看護師が現れ、入院病棟の一室に多田と土本を案内した。
(なぜこんなにスムーズなんだ!? まるで俺たちが来るのを分かっていたみたいじゃないか?)
そんな疑問が多田の頭を巡り続けているのだが、土本は妙な笑い顔を浮かべるだけで、彼の先を行くばかりだ。
案内された入院病棟の一室には、一人の若い女性がいた。その女性がこちらに顔を向けたとき、多田は自分の目を疑った。ライトブルーの清潔な服に身を包み、嬉しそうな笑顔で自分を見つめる女性は、早逝した多田の妻、美幸だったからだ。
「びっくりするしかないよな。混乱しているようだから、ちょっと説明しよう。僕がヘパイストスの機能を使って、未来政府と話をつけておいたんだ。その結果、現代世界でSF小説を創作し、画期的なアイデアを生み出した多田君の功績を讃える意味で、特例として美幸さんの完全な蘇生を許可してくれたんだよ」
未来政府は土本の交渉を受け、タイムワープと他の時空制御的超先進技術を使い、この時代から337年前に起こった事象を改変した。当時、火葬が行われる直前だった美幸の遺体を、極めて精巧な人形と知らぬ間にすり替え、未来の医療技術で当時の姿のまま復活させたことで、今の出会いに至っているのだ。
美幸は自分を見つめ、まだ戸惑っている多田に近づくと、そっと手を握り、
「あなたは少し歳を取っちゃったね。今度は長生きするから、また私を愛してくれる?」
と、あのときのままの微笑みを浮かべ、優しい声で問いかけた。嬉しさのあまり感情がかき乱れた多田は言葉にならず、ポロポロと涙を流して無言でうなずき、美幸を抱きしめる。
「よかったな、多田君。君は美幸さんと未来世界のこの病院で、今、出会った。その事象によって、未来と現代の整合性が崩れ、今いる未来世界はパラレルワールドとなり、タイムワープで二度と来ることはできなくなった。まあ、それはいいんだ。美幸さんを連れて、3人で僕たちの世界に帰ろう。帰りのタイムワープ装置を使う許可は、既に得ている」
土本は、もう放すまいとばかりに美幸を抱きしめ続けている多田が、落ち着くのを見計らい、世界同士に生じた整合性のずれを説明すると同時に、『帰ろう』と呼びかけた。
多田と美幸はうなずくと、土本と一緒に病院内のタイムワープ装置に入った。タッチパネルを操作し、淡い光りに包まれた3人は、元の現代世界へ音もなく帰って行く……。
美幸と共に現代世界に戻った多田は、作家業を辞めて編集者に転職し、なるべく世間的に目立たぬよう、暮らし始めた。未来世界で蘇生した妻の美幸を守るため、国立科学研究所で体験した出来事もほとんど語ることはなく、夫婦で慎ましく長生きをし、天寿を全うしたのだという。