第9話 夢のお告げ(天保4年(1833年))
銭屋五兵衛との商談がまとまった後、奥村丹後守によって御殿に連れ戻された俺に待っていたのは、女中頭による手厳しい折檻だった。
女中頭からはお尻を叩かれるわ、母上には泣かれるわで、それはもう散々な目にあった。
それもこれも、全てあの奥村丹後守の所為だ。許すまじ。
あと、監督不行届ってことで、勝千代君も俺と一緒に折檻されていた。
いわゆる連帯責任ってやつなのかな。俺も一緒になって女中頭からお尻を叩かれたことで、それはそれで連帯感のようなものが感じられるようになったのだから、人間の心理って不思議だね。勝千代君、次はもっと上手くやるから安心してね。
それと、何故かは分からないが、その日以降の間食にさつまいもが上がるようになった。——しかも調理法をその都度変えて、何か試行錯誤するように、である。
もしかして、藩主の嫡子を実験台にしている者がいる? まさか、そんな。
不穏な考えが頭をよぎるが、まさか銭屋五兵衛といえども藩主家の厨房に入り込めるはずはない。どれほどチートな逸話があろうとも。……ないよね?
さつまいもは好きだから、毎日のように食べること自体は別に苦でない。ないのだが、間食を食べている時に奥村丹後守の視線が俺に向いているような気がする。
最初は気のせいだと考えたのだが、どうも間食の時間を狙って俺の側に付いているらしい。勝千代君が言っていたのだから間違いない。そんなに警戒しなくても、しばらくは大人しくしているつもりなんだけどな。(大人しくするとは言ってない)
だから一応、感想というかアドバイス的なものを、独り言のように言うようにしている。あれがダメだとか、これがダメだとかって感じじゃなくて、できるだけ具体的に。それが五兵衛に伝わるかは分からないけれど、正史での関係を考えると伝わっていると考える方が自然だろう。
唯一の懸念事項といえば、間食を毎日食べていると、運動をしなければ当然のように太ってしまうことだ。
勝千代君監視の元で運動をし始めているのだけれど、江戸時代の鍛錬は泳法や武芸がメインで、有酸素運動というものが少ない。
庭を走ったりするだけでもマシかと思って走っているんだけど、なんだか勝千代君の視線が厳しいんだよね。心当たりがないな、何でだろう。
さて、閑話休題。そんなこんなで国許に帰っていた父上が、江戸に参勤してくる季節になりました。
年も変わって現在は天保4年(1833年)。
母上のお腹もしっかりと膨らんで、おそらく夏には俺の弟か妹が生まれることだろう。
父上が到着したことを知らせる太鼓の音が屋敷の中に響き渡ると同時に、俺は算用方の武士達が詰めている部屋の襖を開ける。
俺が今日の為に考えた策を実行する時が来たのだ。
新たに思い出した、金策の方法。それを父上に伝えることができれば、多少なりとも加賀藩の財政を立て直すことができるかもしれない。
俺はまず、算用方の部屋に忍び込み、こっそりとそろばんを弾いている武士の後ろに近寄った。
算盤を叩いているこの武士が、計算に集中している時にかなり無防備になることはすでにリサーチ済みだ。
「……えいっ」
「あっ!」
俺は背後からその男の算盤を奪い取り、部屋から駆け出した。
「お待ちあれ!」
廊下を走り、ドタドタと音を立てて部屋から部屋を抜け、また廊下を走り抜ける。
算盤を奪われた武士がすごい形相で追いかけてくる。今なら藩主の息子であろうとも切り捨てんばかりの形相だ。
「お待ちあれ! お待ちあれ!」
3歳児の脚力でも追いつかせないために、屋敷の内部構造はすでに把握済み。
人という障害物を縫って進むのに、三歳児の体は小さく都合が良い。
大書院から「二の御間」「三の御間」と呼ばれる区画を通り抜け、本来であれば使者と面接する客間である「竹の御間」を通り抜ける。
屋敷の中はちょっとした騒ぎになりつつある。大の大人が三歳児を追いかけ回しているのだから当然だろう。
そして大御門に面した玄関で人垣を見つけ、俺はその人垣の中心にいた人物へと駆け寄った。
「ちちうえ!」
「犬千代か。わざわざの出迎え、大義である」
父上は、ぶつかるように駆け寄った三歳児の俺をヒョイと軽々と抱え上げた。
「犬千代、どうしたのだ? 算盤なんて物を持って」
「お、おまちあれ……ぜぇぜぇ」
父上が俺に問いかけるとともに、算盤を奪われた武士が息を切らして駆け寄ってきた。
算盤を奪われた武士は父上に気付くと、呼吸の整わぬうちに平伏した。
「ちちうえ。いぬちよはゆめのなかで、みしらぬあまにしかられたのです」
はい、ここまで来れば俺の勝ち。何故負けたのか、明日までに考えておくように。
「ほぅ、どうして叱られたのじゃ?」
父上は俺の言葉に耳を傾け、問いを発する。
——いいぞいいぞ。ここまでは予定通りだ。
「わかりませぬ! ですが、これがだいじであるといわれたのです!」
俺は手に持った算盤を、父上に見せつけるようにして掲げた。
「算盤が、か。そのようなものは算用方でしか使わぬであろうに」
——その言い方は事務方に失礼じゃありませんかね。確かに藩主であれば、下から上がってくる報告に目を通すだけでも良いのかもしれないが、それだけじゃダメなんだよと、とある逸話を披露する。
「ちちうえ! あまのはなしでは、わがはんそ、としいえこうは、しゅつじんのおり、よろいびつにこれをしのばせていったそうなのです! いくさばにあっても、みずからがせんぴのけいさんをしておったと」
「ほう。何故そのような話を知っておる? いや、夢の中で尼から聞いたのだったか……それで、その尼は他に何か言うておったか?」
「はい! これを!」
俺は懐から一枚の紙切れを取り出した。その紙には拙い字で「富来生神」と書かれ、その文字を見た父上は不思議そうな表情を浮かべる。
「これは何じゃ?」
「あまさまのわたしてくださった、きんちゃくのなかにあったかみにかいてあったもじを、いぬちよがおもいおこしてかいたのです。どこのことかは、ちちうえにきくように、と」
「これは……おそらく地名じゃな。能登国に富来という地がある。しかし、その後ろに書いてある何と読むのだ? うぶかみか? という地は、流石に聞いたことがないが……」
父上は文字の書かれた紙をしげしげと見て、困惑したように言葉を漏らした。
流石に、小村である地までは把握していなかったのだろう。しかし、富来を知っているのなら話は早い。
富来に知行のある者か、その地に縁のある代官に聞いて貰えば良いのだから。
「殿、その紙に書かれた文字は生神と申すかと」
すると突然、俺と父上の会話に参戦する者がいた。
「知っておるのか? 丹後」
俺と父上のやり取りを見守るように立っていた奥村丹後守は、文字に書かれた地名の読み方を一発で当ててみせる。
「は、富来の一地域にそのような地名があったかと。富来往還に位置し、福浦の奥の村にて。しかし、小村にござりますれば……」
——そう、何もない。
付近には、日本海から吹き付ける強い波風によって作り出された「能登金剛」という景勝地もあるが、主要な産業は漁業と農業。
福浦は良港ではあるのだが、いかんせん都市とのアクセスが悪すぎて、あくまで中継点でしかない。
流石、奥村丹後守。長年にわたって藩の政務と財務をやっていただけあって、小村の名前も把握しているなんて、もしかしてこの人優秀? 絶賛干されてるけど。
「……それで犬千代……そこには何があると? 尼は何か言うておったのじゃろう?」
父上が怪訝そうな表情で奥村丹後守を見て、次いで俺に視線を移した。
疑問に思うだろう。たかだか三歳児——しかも、加賀藩に行った事もない人間が、藩主さえ知らなかった小村の名を紙に書いて持ってきたのだから。
誰かが入れ知恵をしたか、良からぬものが取り憑いたか。
そう考えるのが自然だ。
「ちちうえ、おみみをはいしゃく」
そして俺は、父上の耳元に口を近づけ「金策」の答えを口にした。
「きんとぎんがとれるそうにござりまする」