第8話 お芋(天保3年(1832年))
五兵衛のハンドジェスチャーを見た俺は、さも何も知らない子供のように演じて疑問の声を上げる。
「それそうおうのもの? たとえばなんじゃ」
——このジェスチャーはあれだろ? オッケーの意味だよな?
まさかこんなか弱い子供相手に、汚いお金の話を大の大人がするわけない。これ常識の話。こんな幼い子供にお金の話をしたって分からない、と考えるのが常識だろう。
「それは、どの程度の利を生むか次第にて。お忘れかも知れませぬが手前も商人の端くれですので、金子を用立てよと申されればそう致しまする」
しかし五兵衛は、俺の願い虚しく淡々と汚い話をおっ始めやがった。俺まだ三歳児なんだけど。
「もちろん、案というものはすぐに模倣されましょう。なれば、手前が案に対して値段をつけ、買い切りという形に致したく存じます」
五兵衛の提案は、俗に言えば著作権譲渡に近い形かもしれない。それも金銭の形で買い取ってくれるというのであれば、俺にとってもメリットしかない提案だった。
だが——。
「もしも、わたしがきんすいがいをのぞめば、なんとする?」
「……ほう。猫千代殿は金子以外をお望みか?」
これは意外だ、と五兵衛は臆面なく言い放つ。
「この世の中、銭があればなんとでもなりましょう。物事を始めるには何事も、銭を集めることから始め、そこから物を買い、物を売り、利鞘で稼ぐのが定石にございます」
——これは商人の考え方でしたかな、と五兵衛が自嘲気味に続ける。
「さにあろうな。だが、ぜによりもほしいものがあるときは、そのかぎりではあるまい」
俺の言葉でハッ、と表情を変えた五兵衛は、何かを思い出したかのように口を噤む。
数瞬の沈黙を経て、俺は再び言葉を発した。
「よかろう、ぜにやごへえ。そのはなしにのろう。しかしあくまでこれは、ななしのねこちよと、おぬしのあいだかぎりのことじゃ」
——断じて犬千代との約束じゃないから、そこは間違えないでよね。
「かしこまりました。では早速ですが、お聞かせ下さいませ」
「うむ」
そして俺は、五兵衛に「大学芋」の作り方と「さつまいもチップス」の作り方を教え始めた。もちろん、高価であろう砂糖と油を使う「大学芋」は富裕層向け。油しか使わない「さつまいもチップス」は中間層向けとして。
五兵衛はどこからか硯壺を取り出し、持っていた紙に俺の言葉を書き写した。
「……なるほど……となれば、油と砂糖が多く必要となりまするな」
「うむ……まぁ、わたしもげんかとしいれねがわからぬゆえ、どれほどのねだんでうりだすのがよいか、かいもくけんとうもつかぬ」
油は油座で、砂糖は薩摩藩で仕入れることができるはずだが、生産や販売元が独占されてしまっている現状、値段を吹っ掛けられてしまうリスクがある。
値段が高くなれば、さつまいもを広めるという目的から大きく外れてしまうことになる。
「まず、つくってみて、はんのうをみてみるのじゃな。それでうれそうだとはんだんすれば、わたしにほうしゅうをしはらってくれればよい」
俺から出た報酬の引き伸ばしの提案に、五兵衛は目を丸く見開いたが、すぐに顔を引き締めた。
「……分かりました。それほど難しい物なのでございますね……この五兵衛、竹取物語の宝物でなければ、喜んで取り揃えて見せましょう。で? 猫千代様は何を欲しておりますのでしょうか?」
「そう、みがまえるでない。ひねずみのかわごろもよりはたやすかろう」
俺の冗談めいた言葉で緊張が解れたのか、五兵衛はくつくつと小さく笑った。
——良かった。これだけ緊張が解れてくれれば無理難題を言っても卒倒はしないだろう。
「らんしょじゃ。とくに、えんぐれすのようせんについてのものとおおづつにかんするものがほしい。よくをいえばすちいむなるもののらんしょがあれば、なおのことよい」
俺の注文した物に、五兵衛は唖然として口を開いた。
「お、ま、ま、お待ちください。なんと」
「だかららんしょじゃ」
「それは分かりまする! しかしエングレス? ようせん? 手前には聞いたことのない……」
「それよ。おぬしがきいたことのないらんしょ。それをわたしはのぞむ」
五兵衛は持っていた紙と硯壺を畳の上に置き、腕を組んで瞠目し「うぅむ……」と唸ったまま黙り込んでしまった。
——それほど難しい物なのだろうか。出島に行けば、何かしら手に入りそうな物だけど、俺もどんな蘭書が手に入るのかなんて知らないしな。
「むずかしいのかの?」
「……いや、難しい事は難しゅうございますが、手に入らぬことはないかと」
ただ——、と五兵衛は重そうに口を開く。
「……時間がかかりまする。それでもよろしゅうございますか?」
「よい。それに、おしえたいものりょうりがうれるかもわからぬしな」
——でも、できれば早めにお願いしたいです。なるはやで。遅くても1850年代にはスクーナーくらいの大きさの船は作れるようになっておきたいので。——と、内心を隠して、俺は笑みを浮かべて五兵衛に「たのむぞ」と念を押した。
「かしこまりました。それでは、証文をお書き致しましょうか」
「いらぬ。おぬしをしんじるゆえ」
証文なんて物を残したら、改易される証拠が残ってしまうでしょうが! こンのバカチンが!
昔の偉い人は言いました。「バレなきゃ犯罪じゃないんですよ」——と。
五兵衛との商談がまとまり、俺は最後に残った芋を一口に頬張った。その時——。
——ピシャリ、と襖戸が開け放たれる無情な音が室内に響いた。
「銭屋殿、お待たせして申し訳……あ……」
「あ」
襖戸を開けた先にいた武士と目が合い、間の抜けた声が俺の口から漏れ出た。
今まで仕事をしていたのか、武士の正装である裃姿。白髪の入り始めた髪を髷に結った男——奥村丹後守栄実は、俺の姿を認めると、何かを言おうと口を開きかけた。
「あー! たんごだー! なんとちょうどよいところにー! まさかわたしが、おにわであそんでいたらまようてしまって、こんなところにたどりついてしまっていたなんてー! かえりみちもわからずこまっていたのじゃー! まっことちょうどよい! では、ぜにやどの! わたしはこれにて!」
しかし間髪を入れずに、俺は言葉を畳み掛ける。
何かを言われる前に、状況説明と今後の行動の把握。社会人ならできて当然のことだ。
そして、さりげなく「故意ではなく過失である」ことのアピールも欠かさない。
矢継ぎ早に言うだけの事を言って退室しようとした俺を、奥村丹後守は何か言いたげな目で見てくる。コッチミンナ。
「……」
未だに何かを言い寄ろうとした奥村丹後守の袖を引き、「はやくかえろうぞ」と催促すると、大きなため息を吐かれた。
——やめろよ。けっこう傷付くんだぞそういう態度。ソースは俺。
「この事は御前様にも告げさせていただきまするぞ」
ボソリ、と俺にだけ聞こえるように囁かれた言葉に、俺は身体を震え上がらせた。
——一体何を言うというんですか! こちとら被害者様だぞ!
なんて強気な態度をとる訳にもいかず、俺は不安そうに奥村丹後守を見上げる。
「た、たんご……?」
「では銭屋殿、また後程」
「はい、奥村様。猫千代殿、また機会があればお目どおり願いたく存じまする」
五兵衛は俺の弁護をする事なく、ただ頭を下げた。
——これにて閉廷。解散。そんな二文字が俺の脳裏を掠め、俺は奥村丹後守によって連れていかれるのだった。その様はまるでヒラー大尉がエイリアンを連行するかのようであった、とだけ言っておこう。
そして当然、御殿に連れ戻されたおれに待っていたのは、散々探して涙目になっていた勝千代君とお冠になった女中達だった。