第5話 欲しい物(天保2年(1831年))
参勤交代が、一年おきに国許と江戸を行き来する制度であることは、義務教育を受けた誰もが知っているだろう。
父上はあの後、時折俺の様子を見に来る半分、母上とヨロシク楽しんだ。そしてきっかり、一年の任期を終えてまた国許——加賀藩に帰って行った。
もちろん江戸滞在中にヤる事はヤっているので、現在母上の腹の中には俺の弟か妹がいるらしい。すごく早いペースだ。いや、こんなものだろうか。
父上が再び江戸にやってくるのはまた一年後。
子供の誕生や有事がない限り、おおむね5月か6月頃に交代してくるから、再び父上に会うのは3歳——数え年で4歳になる頃となるだろう。
そういえばいつの間にか改元がされていて、年号が天保に変わったことを最近俺は知った。
天保年間といえば、飢饉があった事くらいしか知らないぞ。あとは大塩平八郎の乱も天保年間だったか。
米相場を見ながら米を売れば、かなり良い稼ぎになると思ったんだが、それをやり過ぎると大塩平八郎の乱のように民衆が暴発しかねない。
五郎島金時が普及して、一般の食卓に上るようになれば、米の需要は落ち着いてくれると思うのだが、そこは試してみないとまだ分からないな。
そういったことを調べるためにも、早く俺の手足となって動いてくれる付き人か傅役が欲しいところだ。
さて、話を戻して、先般俺が一計を案じた計画によって父上と母上の仲は垣間見ることができた。
それにしても二人とも不器用にも程があるだろう。どうして年若いアベック(死語)の心配を、まだ赤ちゃん——前世含めて50数歳——の俺がしなければならないのだ。
だが二人の関係は不器用なだけで、別にお互い嫌い合っているとかではない事が分かっただけでも成果があった——、と思いたい。
俺が思うに問題なのは、おそらく二人を取り巻く家臣達。
それが分かったのは、父上が屋敷に滞在している間、ちょっとしたイザコザがあったからだ。
それは父上が加賀国からやってきて(天保2年、西暦1831年)数日が経ったある日のことだった。
加賀藩上屋敷には、大きく分けて二つの区画がある。
一つは俺や母上が生活している「御殿空間」。
そしてもう一つは、家臣などが生活している「詰人空間」と呼ばれる区画だ。
「御殿空間」と「詰人空間」との間には塀が巡らされており、行き来をするには御住居表御門か御住居裏御門を通らなければならない。
御殿空間には「長局」という区画があり、そこには母上の世話をする女中達が集団で生活をしている。
おそらく、今回の参勤交代が初めてだったのだろう。一人の若い藩士が、その長局に迷い込んでしまったのだ。
それを女中に見咎められ、もちろん藩士は謝罪した。
迷い込んでしまったとはいえ、入ってはいけない区画に立ち入ってしまったのだ。
そして事件は起こる。
怒り冷めやらぬ女中達は、平伏し謝罪する藩士を口々に非難し、罵倒した。
女中達は「田舎者」「臭いが移る」「早よ去ね」「愚か者」等々、ある種ヒステリックとも言える反応を示し、藩士を罵倒したのだ。
若い藩士も最初は耐えていた。落ち度は自分にあるのだ。只管平伏し、女中達に対して「お許しを」と首を垂れ、早くその場を立ち去ろうとした。だが、女中達の詰る声は止まらない。そしてとうとう若い藩士の我慢が限界を迎えたのか、若い藩士は唐突に立ち上がり、手近にあった物を壊し始めた。
女中達に対して怒りをぶつけなかったのは懸命だろう。
しかし、勘気を露わにし物を壊したことは良くなかった。
当然騒ぎになり、すぐに別の藩士が駆けつけ、件の若い藩士は取り押さえられた。
この騒動で困ったのは、加賀からやってきた藩士の上役だった。
もちろん、勘気を露わにした藩士は悪い。
しかし、一人の藩士をよってたかって罵倒し、詰った女中達にも問題があったのではないか。
若い藩士の禄高的にも処分することは容易ではあったが、何かしらの処分を行えば自分達にも累が及ぶかもしれない。こんなつまらぬ事で責任は取りたくない、という考えと、詰った方にも責任があったかもしれないという保身の考えが、更なる上役への報告という義務を怠った。
そして当然、人の口に戸は立てられない。
若い藩士が激昂して物を壊したことも、上役がなぁなぁで済ませようとしたことも全て父上の耳に入る事になったのだ。
そして結果から話せば、若い藩士とその上役は加賀藩に帰国させられ、遠慮の処分が下った。
正式に最終的な処分が決定したのは、父上が帰国の途についてすぐのことだった。
このイザコザから分かったのは、どうやら女中達は国許からやってきた藩士達を下に見ているらしい事。
女中達の多くは、母上が輿入れしてきた際に江戸城の大奥からやってきた者達。気位の高い女性達ばかり。
藩士達も藩士達で、幕府最大の藩に仕えている矜持がある。
御殿空間でそのような事態になったのだから、藩主やその一族の目が届かない所で、不用な諍いが絶えないのであろう事は火を見るよりも明らかだった。
おそらく母上は、このような事態になっている事に気付いてはいたのだろう。
だが何もしない。いや、何も出来ないのだと言っても良い。母上がどちらかの肩を持てば、どちらかの反感を買う。
そうなれば「徳川の姫」という看板に矛先が向くことになり、ひいては徳川家への反感に通じかねない。
母上は「徳川の姫」が外様最大の大名に嫁いだという、自身の政治的に微妙な立場を理解していたのだ。
その証拠に、母上と俺の目前で平伏する一人の男から、事の顛末の報告を聞いても眉一つ動かそうとはしなかった。
目の前で平伏している男の名前は、奥村丹後守栄実。
加賀八家と呼ばれる、前田家において1万石を超える人持組頭(侍大将、部将のこと)、年寄役の地位を占める家の一つ、奥村家(本家)の当主である。
歳の頃は40歳くらい。俺からしてみると、まだまだ現役バリバリの年齢に見えるが、藩財政の悪化を受けて現在進行形で干されている苦労の人だ。
「此度のこと、仔細わかりました。決まったことに、私から申し上げることはありませぬ」
「は、改めて申し訳なく存じまする」
再度謝罪の言葉を述べた奥村丹後守に、母上は頷いた。
「良い。して、此度の用向きはそれだけではないのであろう?」
予定調和かと思われたこの謝罪の場も、おそらく何某かの政治的な駆け引きの末なのだろう。母上は奥村に対してそう問いかける。
「は……恐れながら、犬千代君のことにございまする」
——俺のこと?
突然出てきた話題にびっくりする。何の事だろうか、見当もつかない。
「若君の周囲には、女人ばかりで同性の者がおりませぬ。それを快く思っておらぬ家臣どもが、此度の騒動で煩く騒ぎ立てておりまする」
「ほう、それで?」
「早いこととは存じておりまするが、近習を推挙いたしたいと思っておりまする」
——なるほど。今回の騒動で、女中達によって要らぬことを俺に吹き込まれたくない一派が騒いでいるわけか。
俺としても、早いうちから手勢が増えると思えば、なんのマイナスもない。むしろプラスでしかないんじゃないかな。
母上は瞠目し、何かを考えているようだった。
「推挙は良い。すでに殿もご承知のことなのじゃろう? だが、私の周りにも小雀がいることをお忘れなきよう」
「……承知しております。故に、松平大弐家から男子をと考えておりまする」
「……松平大弐家?」
聞いたことがない家の名前だったのだろう。母上がおうむ返しに問いかける。
「は、かの大権現様の異父弟の松平久松家を祖としておりますゆえ、家柄から見ても不足はなきかと」
「……なるほどの。大権現様の異父弟の家柄であれば、私の周囲も目くじらを立てることはあるまい」
母上は鷹揚に頷き、腕に抱いた俺を見る。
「……なんともいたわしや。こうして周りを宥めるしかできぬ。これも政の宿痾なのかの……」
独り言じみた母上の言葉に、奥村は黙って頭を下げた。
「松平大弐家の男子は、名を勝千代と申します。また後ほどお引き合わせいたします……それでは、それがしはこれにて」
「よしなにな」
奥村はそう言うと立ち上がり、部屋から出ていった。
何はともあれ、手足となって動いてくれる付き人候補ゲットだぜ。