第24話 安積艮斎(天保6年(1835年))
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安積艮斎に案内されて、俺は小栗家屋敷の敷地内に足を踏み入れた。
俺が通された場所は、屋敷の敷地の片隅にポツンと建てられた小屋だった。
天下に名を轟かせ、多くの門人を輩出した安積艮斎にしては、みすぼらしくも思える小屋である。
まだ手入れの手が行き届いているためか「ボロ屋」とまではいかないが、小屋の状態はそうなる一歩手前。「ちょいボロ屋」状態とでも言っておこうか。
「狭苦しいかと思いますが、これくらいが某の身の丈にあっているのでございますよ」
そう思った矢先、心中を察せられたのか安積艮斎は苦笑を浮かべて俺にそう言った。
「狭苦しいなどとは……ただ、安積艮斎先生とあろうお方が、誰かに教授するとなれば手狭なような気がしただけです」
少し言い訳が過ぎるだろうか。
でも実際に、狭い敷地にある小屋は物置のようにも見えてくる。
安積艮斎の頭はテカテカ、禿げてピカピカ。押し入れに住んでいないだけで、未来からやって来た青い猫型ロボット感を感じてしまうのは俺のせいじゃないと思いたい。(失礼)
「さ、こちらです」
そう言って、ガラリと安積艮斎が小屋の戸を開けると、そこには書物を手に持ち、難しい顔をしている奧村丹後守の姿があった。
部屋の中には多くの書物が山積みとなっており、奧村丹後守はその中で窮屈そうに座っている。
「お待たせいたしました奥村様。お連れ様をご案内いたしました」
「かたじけない」
書物から目を離し、依然顰めっ面をしている奧村丹後守の顔を見て、俺はどことなく安心感を覚えた。
やっぱり見知った顔がいるだけで安心するな。
「丹後、ここにはお主だけか?」
その気持ちを隠すように、批難めいた口調で俺がぼやくと、奧村丹後守は書物を置いて後頭部をポリポリと掻く。
「は。先生の門人は、国許におられるか、本日の教授は取りやめとなったとのことで……」
——何だよそれ! 俺がここに来たのは優秀な人材を加賀藩に仕官させることが目的だったのに! 目的も果たせないのに、奥村丹後守は本を読んでいただけか⁉︎
——いや、待てよ。冷静に考えてみれば、安積艮斎ほどの著名な人物ともなれば、そう言うこともあり得るのか?
門人が2000人を超えると言っても、その全員が一緒に学んでいたわけでも無いだろう。
それにたしか、安積艮斎は二本松藩の藩校や昌平黌でも教鞭を振るうことになったのだから、「2000人」と言う数字には、その時の人数も入れているんじゃ無いか?
ともすれば、小屋のサイズにも納得がいく。(小栗家の屋敷の総面積は970坪。現代では、明大通り近くの、楽器屋さんなどが入っているビルあたりの3軒全てがすっぽりと入る敷地の広さである。)
俺が奥村丹後守の隣に座り、それに対面するような形で安積艮斎は腰を下ろす。
「さて、揃ったところで用向きを済ませてしまいましょう」
安積艮斎はそう言うと、自身の文机から一通の紙を取り出した。
「こちらが、某の書いた紹介状になります」
「かたじけない。ありがたく頂戴致す」
奧村丹後守が安積艮斎から紹介状を受け取り、しずしずと俺に差し出す。
安積艮斎は、一体誰を紹介してくれるというのだろう。
安積艮斎の交友関係からすると、やはり儒学に通じた人だろうか。
内心期待を持って、受け取った紹介状を見てみる。
紹介状の表に宛名が書いてあるが、達筆な文字で「全楽堂殿」と号名と思われるもののみが書かれていた。
せめて氏名を書いてくれていたら、誰を紹介してくれたのかわかったと思うのに、この時代の手紙のやり取りはよく分からん。
「田原藩の渡辺崋山殿にはすでにこちらから文を出しておりますゆえ、近いうちにお会いになれるでしょう」
——渡辺崋山⁉︎ またビッグネームが出てきたぞ⁉︎
俺は驚きのあまりに大きな声が出そうになるのを必死に耐えた。
渡辺崋山は、三河国田原藩の家老である。
当時としては珍しい開国論者の一人であり、モリソン号事件が発生した後に「慎機論」を著している。結局、幕府批判も中途半端だったものであるが、世の人に与えた影響は大きい。
しかし、渡辺崋山はそれがきっかけで蛮社の獄で罪に問われることになる。
そのような人物とアポイントメントを取ろうとなると、少なくとも名の知れた人物でないと取ることはできない。
奥村丹後守も名の流石、名の知れた人物——であると思いたいのだが、いかんせんそれは加賀藩内部や国学者の中での話。
儒学だけではなく、朱子学などの幅広い知識人層と交流がある安積艮斎と比べれば、劣ってしまうのは仕方がないことだろう。
だから、安積艮斎がアポイントメントをとってくれたのか——。
「……何か、失礼なことを考えておられませぬか?」
「エー? ソンナコトナイヨ?」
危ない危ない。
ここで奥村丹後の機嫌を損ねては、これまでの努力が水の泡。折角、安積艮斎と顔馴染みになれたし、次に渡辺崋山とのアポイントメントも取ることができたのだ。
がんばれ、俺の表情筋。
ジトッ、と横目でこちらを見る視線を受け流し、俺は顔を背けた。
——ごめんって。
「何から何まで有り難く。しかし、良いのですか? 某の書いた書物でそこまでの労苦を……」
どうやら、奥村丹後守は安積艮斎に本を渡したらしい。
本と言っても、江戸時代のそれは千差万別。
安い貸し本から、高価な学術本まで様々だ。
庶民が楽しむ娯楽本であれば、見料(レンタル料)24文払えば読むことができたと言うが、奥村丹後守が渡したのはそういったものでは無いのだろう。
「いえいえ、奥村様。この程度のこと労苦とは思いませぬ。奥村様の古言に関する見識の深さ。この歳になっても、まだまだ知らぬことの多い事を気付かされました」
安積艮斎がそう言うと、奥村丹後守は居住まいを正す。
「それでも、でござる。こうして某の論をこの世に出すのは、安積殿のような方にもご一読されればと思ってこそ」
奥村丹後守は「改めて、御礼申し上げる」と、そう言って頭を下げた。
「何を仰いますやら奥村様。某は二本松の御家の禄こそ頂いておりまするが、その実、市井の者と何ら変わらない身。奥村様のような、大藩に仕える身とは違い、自由気儘な身分にござる。故に、頭をお上げくだされ」
二人揃って謙遜し合う。
国学者である奥村丹後守の書いた書物ともなれば、後世できっととんでもない値打ちがつくに違いない。
二人が謙遜し合うのは日本人の美徳だなぁ——と思うのだけれど、そろそろ話に戻ってきてもらいたい。
「丹後、その渡辺崋山なる御人を私は知らぬのだが、何故そのような人と会わねばならぬのだ?」
忘れてもらっては困るが、俺が外出した目的は「奥村丹後守のような、公正中平な人物を加賀藩にスカウトすること」である。
なのに、どうして安積艮斎からさらに紹介を受けなけなければならないのか。
俺が疑念の声を上げると、安積艮斎はにっこりと微笑んだ。
「某は恥ずかしながら、蘭学については素人。なれば、その道に通じた者から教えを受けるがよろしいかと」
「安積艮斎先生には儒学を教えていただける由にございます」
——つまり、今日ここに来たのは俺の勉強を教えてくれる先生をお願いしに来たってこと⁉︎ ただでさえオーバーワーク気味なのに、さらに勉強しないといけないってこと⁉︎
「聞いておらぬ!」
「……言っておりませなんだか? 猫千代様はまだまだ勉学に励んでもらわねばなりませぬ。国学は某が、儒学は安積先生が。蘭学はこれからお願いする手筈となっておりまする」
飄々と奧村丹後守はそう宣い、さらに小声で言葉を続けた。
「勉学に励んでいく内に、某のような者を見つけることが叶うかも知れませぬ。まずは、その下準備。様々なところへの顔つなぎにございます」
——謀られた……
納得はしていないが、逃げ道がないことを悟った俺は、ムスッとすることで抗議の姿勢を鮮明にすることしかできなかった。
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