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幕末の加賀藩藩主に転生しました。  作者: きんかんなまなま(死語)
飢饉対応編
22/29

第21話 一人での外出(未遂)(天保6年(1835年))

 翌日、朝になってから高野長英に向けて書いた手紙を勝千代君に預け、俺は勝千代君を麹町へと送り出した。


 俺が書いた高野長英への手紙の内容は、大きく分けて三つの要点にまとめられる。


 一つは、昨今の飢饉に対する諸対策について。

 加賀藩が実施しようとしている施策しさくである、焼成リン肥()()()についてはボカシながら、新しい肥料の効果と御救小屋の人員を使って量産しようとしているということ。


 次に、外国船に対する海防策について。

 フェートン号事件を代表に、近年ロシアやアメリカ、イギリスといった外国船が日本周辺に出没するようになっていることを憂慮しつつ、「統一国家」として立ち振る舞う重要性があること。


 そして最後に、高野長英をスカウトするための口説き文句。

 こういった不穏な世情であるから有識の士は得難く、ぜひ加賀藩においてその頭脳を役立ててくれはしないか——、という内容だ。


 熱烈なラブコールを俺の実名で送り付け、それを見た高野長英はどんな反応を見せてくれるだろうか。今から手紙の返事が少し楽しみではある。


 そんなこんなで高野長英への手紙を持った勝千代君を送り出してから、俺は部屋の隅に置かれた葛籠つづらを引っ張り出した。


 今日は庄兵衛も蔵人も下屋敷に行ってるし、勝千代君もしばらく帰ってこない。

 ——つまり、俺は自由だった。


「くふふ、我ながら策士。自分の才能に、恐れ入谷いりや鬼子母神きしもじんってね」


 鼻歌まじりに葛籠を開けて、その中からこっそりと手に入れた物を取り出した。


「ごめんよ勝千代君。洗って返すからね」


 俺が取り出した物はいわゆる古着。

 それも勝千代君が成長して着なくなった藍染の着物を、芋菓子で買収した洗濯女中から手に入れ、葛籠の中に隠していたものである。


 ——これは窃盗でも、横領でもない。家臣は主君のものであり、つまり家臣の物は主君の物だという、正当な法的主張の下にパク……ゲフンゲフン、収用したものなのである。文句があるなら父上に言うように。


 そして俺は勝千代君から()()()服に身を包み、正々堂々と表御門から外出しようとしていたのだった。


 ——今のところは順調極まりない。

 こういう時に、子供の身体というのは大人の視線から隠れるのにうってつけだった。

 草履を懐に入れ、大人の姿が見えるたびにいくつかの部屋に隠れ潜んだ。

 そして俺は玄関から外に出て、大御門に至る。


「ありゃ、兄様おあんさんに遣いを頼まれた()か?」


 俺が門番に外出するための割札を見せると、門番の足軽は国訛りが混じった言葉で俺に対して声をかけてくる。


「えぇ。お勤めご苦労様です」

なぁんも、これもお勤め()何処いずこまで行かれるのです()か?」


 お国訛りがキツすぎて聞き取りにくいが、初めて門を通ろうとしている俺に警戒感が滲んでいる。

 仕事熱心で感心するが、今はその熱心さが恨めしい。

 俺は足軽に対して、外出許可が書かれた紙を提示する。名目は「天神参り」。外出許可証に押された印鑑は、勝千代君の物を拝借したものである。何の問題もない。いいね?


「少し、湯島の()まで。天神様にお参りでもしようかと」

「やや、精が出ることだ(ごせっかくな)。しかし、今の時分()人が多かろうて」


 門番の足軽は許可証と台帳に載った印鑑届とを見比べて、特に問題がなかったのか「うむ」と短く声を漏らした。


「それでは()()様、お気をつけて行ってらっしゃいませ」

「ありがとうございます。お勤めご苦労様」


 ——よしっ! 最大の関門は突破したぞ!

 一応、俺も将来的に松平を名乗ることになるだろうし、名前も一文字だけ変えた「猫千代」にしてある。

 バレる要素なんてどこにも——。


「……」


 俺が門から一歩外に踏み出した瞬間、一対の視線が俺の小さな身体を射抜いた。

 その視線から逃れるように、反射的に回れ右をする。

 視線を向けてくる男が、どうしてこんな所にいるのか分からず、冷たい汗が背筋を伝った。


「一体どこに行こうとされているのですか? ()()様?」


 外出していたのか、着流きながしに羽織姿の奥村丹後守が、俺に対してそう声を掛けてきた。


 ——よし、まぁ待ちたまえ。話せば分かる。


「……まさかとは思いまするが、人目を盗んで外出をなさろうなどとはされるお方ではありますまい? しかも、供も付けずに市中に繰り出そうなどとは……」

「は、話せば分かる! 丹後、とりあえず話を聞いてはくれまいか?」

「何をお聞きすればよろしいか? その服、見るに勝千代の物では?」


 ——どう言い訳しようか。いや、下手に言い訳をしても逆効果になるだけだろう。


 俺の脳裏にはありし日の思い出が浮かぶ。

 泣く母上。鬼の如く怒る女中頭。痛みのあまり泣き喚く俺。

 ——もう、お尻ぺんぺん(あんな思い)は嫌だ!


「……丹後、先だって父上から『丹後のような者を見つけよ』と言われたことを覚えておるか?」

「覚えておりまするが、それとこれと何の関係がおありなので?」


 奧村丹後守の厳しい視線に耐えながら、俺は奧村丹後守に対して弁明の言葉を口に乗せる。


「此度の外出は、父上のお言葉を受けてのこと。加賀の者達が優秀なことに疑いはない。ないが、江戸市中にも優秀な学者がいることも事実」

にありましょう。ですが、なおのこと加賀の者の中から見出せばよろしいのでは?」


 おそらく、奧村丹後守も父上の言葉を受けて俺がどのようにしたいのか聞いておきたいのだろう。

 奧村丹後守はそう言いながら、俺に言葉を続けるように促した。


「加賀の者に限ってしまえば、いずれかの門閥の息がかかった者を重用してしまうことになろう。そうなれば、公平中正な立場でまつりごとを行えるか甚だ不安なのだ」

「そこは殿(斉泰)を見習えばよろしい。殿はよく我ら年寄としよりを使っておりまする」

「それは丹後のような者がいるからよ。故に、父上はどの門閥に対しても適当な距離をとっておられる」


 俺がそこまで言うと、奧村丹後守は顎に手を当て何か考えるような仕草を見せた。


「つまりは、それがしが公正中立であると」

「そのとおり。お主は政敵だった蔵人を江戸に呼び寄せ、私につけた。もしもお主が公正でなければ、蔵人は閑職に追いやったままで良かったではないか」


 俺がそう言い切ると、奧村丹後守はグワッ、と目を見開いた。


「某を……そのように見ておいででしたか……」

「うむ、私もお主のような公正中立な臣下……いや、父上にとっての良き相談相手となるような者を見出したいのだ!」


 アブラカラメ、面の皮固め、薄め。おべっかマシマシチョモランマ。


 奧村丹後守は俺の言葉を受けて、一瞬何かを考えるために目を閉じ、そして「分かり申した」と言葉を漏らした。


「そうか! ならば……!」

それがしが犬千代様の供となって行きましょう」


「……えっ」


 そこは俺を一人で活かせる流れだっただろうに、奥村丹後守は更に言葉を続けた。


「一人でお出かけなされ、道に迷われては大事となりまする。それに子供が突然、学者を訪ねたとしても門前払いになる事は必定。ならば、某が付いて行った方が、そのおそれは少なくなりましょう」


 「ふむ」と良き考えだと言わんばかりの表情を浮かべる奥村丹後守。

 ——イヤッ! イヤッ!

 俺の脳内で小さな生き物が駄々を捏ね、俺はそれを悟らせないように表情を作るが、どうしても口角がヒクヒクとしてしまう。


「た、丹後も忙しかろう? 私一人でも別に……」

「そうは行きませぬ。御身おんみに何かあったら、某の首だけでは済みませぬ」


 たしかに、奥村丹後守は「古言衣延弁(こげんええべん)※」の著者であるから、著名な人物と会うには有用だろう。

 だが、俺はこう、外出先でちょろっと寄った茶屋で団子を食べたりしたいのだ。

 奥村丹後守が付いてくるとなれば、そうした些細な寄り道ができなくなるのは確実。


 つまり、——俺の自由が無くなったということだった。



「古言衣延弁」

 「弁」の文字は、実際には「辨」だが、分かりやすいことを重視して「弁」とする。

 奥村栄実が文政12年に著述した。

 内容を簡単に言うと、日本語のあ行の「え」とや行の「え」の発音は、今ではそう別れていないけれども、昔は別けられていたんだよってことを解き明かした。

 言語学の世界かもしれないが、本居宣長が予見した理論を解明したものと評価されている。

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