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幕末の加賀藩藩主に転生しました。  作者: きんかんなまなま(死語)
飢饉対応編
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第19話 巣食う者(天保6年(1835年))

 父上の言葉で一瞬、沈黙が室内を支配した。


 父上が放った言葉は、まさに藩政に携わる誰かの言葉であったのだろう。言葉の持つ悪意によって、部屋の温度が一段と下がったような感覚を俺は覚えた。


 まだ幼い俺が藩政に携わることを良しとしない、頑迷固陋がんめいころうとした年寄が誰なのか——。加賀国に一度も行ったことがない俺に、それを知る術はない。

 しかし、父上と奥村丹後守はあえて俺にその存在を知らしめ、警句めいた言葉を口にした。


 ——何故だ? 父上達が、俺に警句を与える理由が何かあるはずだ。

 わざわざ父上と奥村丹後守が、俺の邪魔をしようとしてくる存在をしらしめる理由が。そして、俺をあえて藩内政治の表舞台に立たせようとする理由があるはず。

 これは政治だ。考えろ。考えろ。

 どちらかを立てれば、どちらかが沈む。父上がやろうとしているのは、そういうことだ。


「……とまぁ、このような感じでな。わしも丹後も、奴輩めにお主が賢いと言うても聞き入れぬ」


 父上が口を開き、言葉を紡ぎはじめた。


 現在の藩内政治では、少なくとも奥村丹後守が携われていない。その証拠に、毎度父上との参勤交代に付き従っている。


 もしかすると父上は、奥村丹後守を藩内政治に参画させようと目論んでいるのかもしれない。

 その出汁に、俺を利用しようとしているのだとしたら——。と考えれば、どこか辻褄が合うような気がしてくる。


「……では、わたしが連署するは、それらを黙らせるための布石である、と」


 俺が考えを口に出した時、父上は笑みを浮かべて頷いた。


「やはり、お主は賢いのう」


 現在、加賀藩お政治の中枢にいる年寄を排除し、父上にとっての「股肱之臣ここうのしん」である奥村丹後守を政治の中枢に据える。

 そこで初めて父上の目指した先代藩主の影響力が完全に排除される、と。


 父上が目指すところは、年寄を排した専制政治——藩主独裁といったところか。

 現状の藩内の政治状況が分からないと、確実なことは分からないままだが、おそらくそれに近いところを目指しているのだろう。


「お主の献策が成功すれば、お主を批難しておった者どもは面目を失う。振り上げた拳を、己の顔に当てるしかなくなるだろうな。のう丹後」

「はっ。さすれば一層、まつりごとを言路一致に近づけましょう」


 父上からの問いかけに、奥村丹後守は答える。


「現在の政には、無駄なところも多くございます。(公儀)の年寄が会合し、殿に裁可を求めることは平時において良きところもございまするが、非常時には悪きところが多うございまする」


 ——なるほど。二人の考えがなんとなく見えてきた気がするぞ。


 たしか、加賀藩の意思決定システムは、父上が意思決定者ではあるものの、政策を決定するのが人持組頭を頂点とした年寄達。


 分かりやすく言えば、その年寄たちは幕府における「大老」や「老中」と言ったような存在。それが加賀藩においても政策決定し、意思決定者である「将軍」の存在にあたる父上が裁可している。

 言うなれば加賀藩という組織は「ミニ幕府」的な統治機構だとも言い換えることができる。


 その「ミニ幕府」的な加賀藩の政治体制のメリットは、「大きな失敗」をしにくいこと。そして失敗した場合、その責任を藩主一族ではなく「年寄」に責任を負わせやすいことだ。よく考えられたシステムだな。


 そんなある種の官僚機構のようなものが機能して、現在まで加賀藩において運用されてきた。


 どこかの未来の本邦でも見たような構図だな。


 他にも、加賀藩の統治機構で特筆するべきは「十村(※)」の存在が挙げられる。


 「十村」は、加賀藩による間接統治の代表的なものだ。

 「十村役」に選ばれるのはその土地に根ざした豪農(元武士階級出身者が多い)で、複数の村を束ねてその徴税を任されていた。

 ただし、徴税とは別に一次裁判権を任されていたのだから、ただの豪農というわけではない。ここで「十村制度」について話し始めると長すぎるので、端折らせてもらおう。


 加賀藩の統治の基本は、武士階級たる官僚による政治と「十村」による間接統治。


 良いところづくめにも見える加賀藩の統治機構にも弱点があった。

 それは、藩内の議論を統一するにあたって、どうしても時間がかかりすぎてしまうことだ。


 平時においては、然程大きな問題になり得なかったその統治機構だが、昨今頻発している飢饉の対応をするにあたっては、その腰の重さが問題になりつつあった。


「犬千代、誤解があってはならぬが、何も丹後は頭が固いわけではないぞ」


 父上と奥村丹後守が、度重なる飢饉に対する藩の政治体制が取ろうとした対策に、忸怩とした思いを感じていたことは想像に難くない。


 どうすれば早い対策ができるか。

 それを考えた時に、真っ先に邪魔に思ったのが、年寄を中心に据えた合議体制だったに違いない。


 父上と奥村丹後守は、俺という餌を撒いて改革に反対する年寄を炙り出そうとしてるのだ。


 ——乗るかそるか。いや、俺の中で答えはもう決まっている。


「承知いたしました。父上の存念どおりに」

「そうか、よく分かってくれた。ならば、連署をする際には前田犬千代利住(としずみ)の名を用いるよう」

「はっ」


 父上と奥村丹後守に組せば他の年寄連中に反感を抱かせることになるかもしれないが、二人が目指す集権化は俺にとってもメリットが大きい。

 いずれ父上は隠居することになるだろうし、藩主の権力が強化された状況で当主交代する事ができれば言うことなしだ。


「ところで父上。父上の申された者達とは、一体誰のことなのでございましょう」


 ——となれば、まずは俺に敵対するかもしれない相手を知らなければならない。

 敵を知ること。それが勝利への道であることを孫子は説いている。


 そこで俺は思い切って、父上にその相手について聞くことにしたのだ。


「うぅむ……」


 ところが、父上はそこで言い淀んだ。

 何を躊躇う事があるのか、父上は厳しい顔をさらに顰め、助けを求めるように奥村丹後守の方へと視線を流す。


「……殿、いずれ分かる事にございます」

「……それもそうじゃな」


 奥村丹後守の言葉で、観念したように父上は一つため息を吐き、重苦しげに口を開いた。


「良いか、犬千代。お主はこれから、誰を信じるのか。誰が信じられるのかを見極めよ。年寄どもの中には、御先祖(前田利家)様の恩義を忘れておる者もいるのだ。わしにとっての丹後のような者を見出す事ができれば、わしの隠居も早まろう」


 父上の言葉で、俺は思っていたよりも藩内で声を上げている者が多いことを悟った。


 加賀藩家臣団の多くは、前田利家が尾張から連れてきた者達の子孫で構成されている。

 尾張からの家臣団は古くから前田家の禄を食み、その忠誠心に疑念を抱く余地はない。実際に、加賀藩城下町の区割りを見れば何となく察するだろう。


 しかし問題は、前田家と縁が薄い家や、独立の気風が強い在地領主。

 前田吉徳が藩主独裁を目指した時にもそれらの家が藩主独裁に反対し、「加賀騒動」と呼ばれるお家騒動が勃発した経緯がある。

 誰の名前が出てもおかしくはない。


本多ほんだ播磨守はりまのかみ政和まさはる。おそらくこの者が主導して、お主に反目してくるであろう」


 そして、父上の口から出た名前は、徳川家の謀臣として名を馳せた「本多正信」の次男を祖とし、加賀八家最大(5万石)の禄を食んでいる家老の名前だった。


※ 十村制

  加賀藩が実施していた農政制度。

  藩の役人ではなく、古くから土地に根ざした豪農による徴税と、既得権を追認したことにより、農民からの批判の矛先を十村役に向ける狙いもあった。

  能登国にある旧時国家(平時忠(たいらのときただ)の子、平時国(たいらのときくに)子孫)もその代表格。

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