第2話 状況確認(文政13年(1830年))
さて唐突ではあるが、どうやら俺は転生したらしい。
いや、転生と言って良いのかどうかは疑問符がつくが、とにかく俺は生まれ変わったのだと言えるだろう。
俺の視界に映るのは小さな、ぷにぷにとした手。
加齢によって浮き出ていた血管一つ見当たらない、すべすべとした肌。
そして俺が寝かしつけられている布団は綿布団。
手足をぱたぱたと動かす俺の一挙手一投足を見逃すまいと、こちらを見つめてくる大きく見える大人たち。
こうして積み上がった状況証拠から、俺は立派な赤ちゃんになってしまったのだと結論づけられた。
前世に未練が無いかと言えば嘘になるが、なってしまったものは仕方がない。
50年の前世において学んだことは、「時には諦めが肝心」と言うことと「長いものには巻かれる」という組織人精神だ。
故に、俺は転生したことを「仕方がない」と諦め、現世でのことを考える。
もちろん、転生であることを察してから俺もただ寝転がって「あぶあぶ」と言っていた訳ではない。
おしめを見ず知らずの世話役たちに変えられる恥辱に、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、その人たちが話す内容を聞き取り、自分なりに解釈して状況確認に励んでいたのだ。
まず俺が転生した世界観は、お馴染みの中世ヨーロッパ風のファンタジー世界ではない。
周囲の人たちの格好を見て分かるように、和服が多いことからそれは確定的だろう。
次に魔法の存在。これもどうやら無い。
厨二的な精神が残念がっているが、びっくりドッキリ人間兵器的な人類では無いことに安堵感を覚える。
そして、今世での俺の名前は「犬千代」と言うらしい。
母親の名前は「溶姫」。または「偕御前さま」。
寝ながら聞き耳を立てているのだが、父親の名前はまだ出てこない。
母親の名前だけで、俺の出自を明らかにすることは困難だった。
自身の名前である「犬千代」と聞くと、真っ先に思い浮かぶのが、加賀百万石の祖である前田利家。だが、彼が生きた戦国時代よりもずっと環境が良いように思える。
前田利家の生まれた環境は、尾張国荒子城城主の四男。
城主の息子といえば聞こえはいいものの、戦国時代では城主と言ってもヒエラルキーで言えばまだ下の方。
それに前田利家が生きたのは、綿布団なんて無い時代。
しかし俺自身や産後の母を介護している女官たちの多さから察するに、俺はいわゆる「良いとこの坊ちゃん」に生まれたのだと推測できる。
まだ周囲の状況はわからないし、なんともいえないのだが、すぐに野垂れ死ぬことは無いだろう。
「おーよしよし。犬千代は良い子であるの」
「はい、まことに。犬千代様は御前様のことを、もう母親であることが分かっておいでなのでしょう」
——そんなことよりも、今は今を楽しもう。
俺を抱き抱える母親は、メチャクチャな美人さんだった。しかも若い。
怜悧な印象を抱かせる切れ長の目。それぞれ整った顔のパーツが相まって、クール系美人という言葉がしっくりとくるような顔の造形をしていた。
多く見積もっても、20歳には届いていないように見えるが、こんな若い娘さんを妊娠させるなんて、俺の父親はどれだけ前世で功徳を積んだのだろう。
庶民だった俺でも高価そうに見える、花と小鳥の紋様が織り込まれた、友禅染の小袖姿の溶姫は、品の良い佇まいが滲み出ている。間違いなく育ちが良い。
前世だとこんな若い娘さんに抱っこされて甘やかしてもらうなんて、お金を払わないとやってくれなかったのに、まったく赤ちゃん様は最高だぜ。
——母上様かわいいね。父上なんかやめて、俺に鞍替えしない?
なんて最低な口説き文句を言おうと口を開いても、言葉になるのは母音と簡単な子音の組み合わせ。
「あー、ぶ、ぁー」
そんな俺の様子を見ていた母上が微笑む。美人さんに微笑まれるだけでも破壊力が高い。
「ほほほ、何を言っているのでしょうね。して、加賀守様はいつお着きになられるのでしょう」
「さて……嫡子誕生の報を入れ、出立を早められるように公儀に願い出たのが十日ほど前と聞きました故、もうしばらくは待たねばならぬやも」
「で、あるか……待ち遠しいのう……おたた様にも、はようこの子の顔を見せてあげたいのに」
——加賀守!
ようやく俺の出自を知るヒントが出てきたぞ。
「加賀国は遠国。しかも寒い北陸の地でありましょう? おいたわしい限りにて……」
「菊乃、言うでない。御公儀のお勤めなのじゃから」
「は、申し訳ございませぬ」
——北陸地方の加賀守さんといえば、一つの家しかない。
おそらく俺は、江戸時代の前田家に転生したのだ。
しかも大聖寺や富山なんて10万石ぽっちの支藩じゃない。本家本元の加賀藩だ。やったぜ勝ち組確定だ!
しかし残る問題は、今が何年頃なのかということだ。
1600年代であれば、加賀藩の財政にまだ余力がある。それを伸ばすことができれば、俺の子孫はひもじい思いをしないで済むかもしれない。
1700年代であってもまだ取り返しがつく。
少しでも早く薩摩藩から薩摩芋を導入し、天明の大飢饉をしのぐことができれば、加賀藩の財政源である米の収穫量が極端に落ち込むことは無いはずだ。
「そろそろお乳の時間かの? 犬千代の顔がクシャってなっておる」
「まことにございまするな。それでは乳母を呼んできましょう」
「よしなにな。……ふふふ、犬千代や。お前も我が父の相国様のように、立派な男の子になるのじゃぞ?」
——うん? 今、相国様って言った?
不吉な言葉に俺は動きを止める。
相国は、太政大臣の唐名だったはずだ。そして、徳川幕府で太政大臣の官位をもらったのは3人。
一人は徳川家康。そして息子の徳川秀忠。最後にもらった3人目は——。
「嫡男誕生と聞いて、またぞろ御用商の銭屋が祝いの品を送り届けてきておる。犬千代や、そなたも母とともに見ましょうね」
——加賀藩で銭屋五兵衛が台頭してきたのは1811年以降。これで1800年代なのは確定だ。
そして俺の推理が正しければ、1800年代に太政大臣の位に登り詰めたのは徳川家斉。
その孫ってことは——、俺は、前田慶寧に転生したって事になる——。