第14話 銭五再び(天保4年(1833年))
ギョロリと射竦めるような奥村丹後守の視線は、曲がりなりにも藩主の長子である四歳児に向けるべきものじゃないだろう。何をとは言わないが、少し漏らすかと思った。
奥村丹後守は言葉を発することなく、俺を抱き抱えて屋敷内をズンズンと進んでいった。
今の所、人目につきにくいルートを通っているからか、多くの人が働いている屋敷内だと言うのにすれ違う事もない。
誰もいない廊下を黙々と進む、大人一人と子供一人。
はっきり言って、異様な光景だろう。
二人の間に会話は無く、これからどこに連れて行かれるのかの説明もなかった。
不意に奥村丹後守が屋敷内の一室の前で立ち止まり、その場で抱えていた俺を地面に下ろした。
そしてようやく奥村丹後守が口を開いたかと思えば、室内に入るように促してきた。
「こちらで客人がお待ちでございます」
「……たんご、だれがまっておるというのじゃ?」
——説明を! 説明を要求する!
説明もなしにいきなり拉致され、そんでもって客人と会えなんて、俺にも心の準備というものが必要だとは思わないのかな!
「さて、中に入ればそれもわかりましょう」
奥村丹後守はそう言って、何の断りもなく部屋の障子戸を開け、「さっさと入れ」と言わんばかりに俺を半ば無理やり室内へと押し込んだ。
その態度に文句の一つでも言ってやろうかと思ったが、問答無用に俺の鼻先でピシャリと障子戸が閉められてタイミングを失してしまった。許さん、許さんぞ。
怒りの矛先の向ける場を失った俺が室内に目を向けてみると、中で待っていたのは一年近く音沙汰もなかった男だった。
「ご無沙汰しておりました。お久しぶりですな、猫千代様」
「うむ……ひさしいな、ぜにや」
銭屋五兵衛は相変わらず好々爺然とした表情を浮かべており、俺に着座を促してきた。
俺が五兵衛に促されるまま座り、挨拶もそこそこに済ませると、五兵衛は居住まいを正して真剣な表情を浮かべる。
「此度は、猫千代様のお望みの品をお届けに参りました」
「おぉ! ようやくか!」
俺が要求したもの——それは蘭書。
それも容易に手に入れることはできないであろう、外国の船と大砲に関するものである。
その蘭書が手に入ったということは、俺がアドバイスを与えた芋菓子の売れ行きがそこそこ好調ということだろう。
「はい。しかしながら、お望みの蘭書は手に入らなかったのです」
そう五兵衛に言われてずっこけなかった自分を褒めてやりたい。
——俺の喜びを返して! 正直言ってがっかりだよ! まぁ、簡単に手に入るとは思っていなかったし、その代わりとなる物を見繕ってきたということだよね?
「申し訳ございませぬ」と五兵衛が頭を下げたのを、俺はそれを差し止めた。
「……して、のぞみのしなとな?」
——蘭書じゃないなら一体何なのだろうか。
もしもくだらない物だったとしたら、今後の銭屋との関係を考え直さないといけない。
山吹色の菓子を渡そうとするなら出禁確定。まだ俺はどこからも恨みを買いたくないからね。
「はい、こちらにございます」
そう言って五兵衛が俺に見せてきたのは、筒状に巻かれた一枚の紙だった。五兵衛が紙を畳の上に広げると、紙の大きさに俺はまず驚いた。
紙の大きさは巨大で、畳一枚に広げて尚余りあるほど。
五兵衛が巨大な紙を畳に広げた瞬間、乾いた墨の匂いが俺の鼻腔を擽った。
「これは……!」
そして俺は紙に描かれていたものを認識すると、驚愕のあまり声を上げる。
五兵衛が広げた紙に書かれていたのは、2本のマストを持ち、一見して和船とは異なる構造の船——。
「外国の船の絵図面にございます」
——洋船だ。
精緻な筆遣いで描かれた洋船は、浮世絵などのように日本の伝統的な技法を凝らしたものではない。
ただ精密に。ただありのままに。
誰かが見たのであろう船の構造を、できるだけ細かく書き留めようという執念が感じられる物だった。
「ぜにや、これは……どうやって……」
驚きのあまり、言葉も絶え絶えになる俺を見て、五兵衛はニヤリと笑みを浮かべた。
主にヨーロッパで主力となった洋船と、和船の構造の違いはそもそもの運用の違いから生じたと言われている。
植民地主義渦巻くヨーロッパでは、ヨーロッパにある本国と植民地との間での長距離輸送の必要性があり、波高い外洋を航行する能力が求められた。
一方和船は、日本沿岸の輸送を担うため、その姿を最適なものに変化させたのである。
構造の特徴として、洋船の船底は丸く、和船は平たいと覚えておけば良い。大雑把だけど。
「いやぁ、苦労いたしましたとも。船に人を乗りこませ、その構造を覚えさせるのに半年。そして、その紙に図面として落とし込むのに半年……遅くなりまして申し訳ありませぬ」
——今、さらっととんでもない事言ったよね?
くつくつ、とイタズラが成功した子供のように笑う五兵衛を、俺は信じられないものを見るような目で見る。
五兵衛の口ぶりからすれば、まるで外国の船に人を乗せていたってことじゃないか。しかも、一年という短期間でできることなのか?
犬千代には難しいことが分からぬ。犬千代は加賀藩藩主の長子、四歳児である。加賀藩の未来のため、様々なことを考えて暮らしてきた。けれども藩の保身に対して、人一倍敏感であった。
——つまり、俺は五兵衛の爆弾発言を聞かなかったことにしたのである。
「……そ、そうか。くろうをかけたようじゃな。れいをもうす」
「いえいえ、これも猫千代様の為なればこそ。つきましては、こちらからお願いがございます」
「なんじゃ? わたしができることなど、たかがしれていよう」
——そんなに「苦労しました」アピールしたって、俺が出せるものなんてないぞ?
「ははは、ご謙遜を……」
五兵衛は好々爺然とした表情を一変させ、その雰囲気を獰猛なものに変え、思わず俺も居住まいを正し「どんな無理難題を吹っ掛けられても表情に出してやるものか」と心に決める。
「お願いと申しますのは、猫千代殿に河北潟の埋め立てに協力をしていただきたく存じまする」
「かほくがたのうめたてじゃと⁉︎」
五兵衛の言葉で、俺の決意は脆くも崩れ去った。
もちろん、俺が驚愕の声を上げたのには理由がある。
それは河北潟の埋め立てこそが、銭屋五兵衛最大の死亡フラグだったからだ。
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長くなりそうなので分割します。




