第13話 金の褒美(天保4年(1833年))
初めて将軍との謁見を終えた俺と母上は、無事に加賀藩上屋敷に帰ることができた。それから数日が経ち、俺は父上の書斎にあたる「南御居間」に呼び出され、父上と対面していた。
なんで突然——、なんて思ったが、父上の表情から察するに悪い話ではないらしい。
父上はニコニコと笑みを浮かべながら、手にした書状を何度も読み返していた。
「犬千代、お主の夢見のとおり、富来で金が見つかったそうだ」
父上が「ほれ」と国許から届いた書状を俺に見せながら話を切り出した。
書状はミミズがのたくったような文字で書かれていて、文字を判別することは難しかったが、父上のニヤニヤと喜びを抑えきれていないところを見るに、ある程度の産出を見込めるのだろう。
「……それは、おめでとうござりまする」
「うむ、城代の横山(加賀八家横山家当主、金沢城代、横山球馬貴章)に命じた甲斐があったわ。これで多少の蓄えができる。芳春院様の菩提寺に寄進するは当然として、犬千代にも何か褒美をとらせよう」
加賀藩の財政は火の車だったのだから、降って湧いたような突然の収入に嬉しくなるのも当然だ。父上が俺に褒美を取らせようというのも、それを示している。
しかし、金鉱山はあくまでも泡銭。鉱脈が貧弱であれば、すぐに取り尽くしてしまう。ここで豪奢な物を欲しがったりすれば、俺の評価も下がる恐れがある。目的は財政の健全化なのだから、贅沢は慎むべき。となれば取る答えは一つ。
「ちちうえ、それではごかやまにて、いものさいばいをおゆるしいただきたく」
「うん? 甘薯をとな? 存念を聴かせよ」
「はい。ごかやまはこうさくちがすくなく、かてをきんすであがなっているとききまする。ことしのなつは、はるのようでございます。このままでは、ふさくとなり、コメのかかくがあがり、ごかやまのものたちはひもじいおもいをするもの、と」
五箇山は現世で言う、富山県の南西部に位置する南砺市と岐阜県との県境に位置する集落だ。もっと山奥に行けば「白川郷」に至り、白川郷と五箇山の合掌造りがユネスコの世界遺産に登録された事も記憶に新しい。
「犬千代、その方。五箇山がどのような地であるか知っておるのか? よもや、農民どもがその甘藷で蓄えをしても良いと、そう思っておるのか?」
そして、五箇山は加賀藩の流刑地だ。全員がそうとは言わないが、そこに住んでいる者の中には罪人もいる。
罪人は罪人であり、無辜ではない。罪人がどれだけひもじい思いをしようとも、それはある種の刑罰なのだから当然——と、父上はそう思っているのだろう。
だが、その考えには一つ「抜け」がある。
それは、五箇山で生産されている硝石の存在だ。
火薬の原料である硝石は、日本で産出されない。そこで戦国時代後期から、各大名家では様々な方法で調達することが試みられてきた。
もっとも有名なものは古土法と呼ばれるもの。それは古民家の床を剥がし、土中に含まれるもの硝酸塩を抽出する方法である。
次に有名なのが硝石丘法。詳細は省くが、薩摩藩が生産していたのはこの手法。培養法よりも短期間で得られる代わりに、臭いがすごかったらしいね。漫画や小説に描かれる事が多いのはこっち。(諸説あり)
そして最後に培養法。
その方法は、合掌造り家屋の囲炉裏の周りの床下に、深さ2メートルほどの穴を掘り、そこに麻畑の乾いた土、よもぎや麻等の干し草と蚕のフンを積み重ね、春と秋に混ぜ返す。
5年ほど熟成発酵させた塩硝土を桶に取り出して水を注ぎ、硝酸カルシウムを抽出し、その硝酸カルシウム液を釜に入れて濃縮する。
その後、不用物が沈澱するので液を濾し、濾過液を集めて煮詰め、再び濾過して静置すると塩硝の結晶が得られるという手法だ。
五箇山や白川郷といった限られた地域だけが培養法によって、安定的に硝石を生産していたのである。
ちなみにその硝石は、山伝いに金沢の土清水※に送られ、火薬に加工されることになる。
閑話休題。
加賀藩の財政の収入。その多くは米であるのだが、五箇山の塩硝も大きなパーセンテージを占めているのだ。
もしも五箇山の人口が減少したらどうなるのか——。それを考えていれば、少なくとも父上は二つ返事で了承してくれていただろう。
実際に、正史で起こった「天保の飢饉」によって、天保8年(1837年)時点で五箇山の総人口の4割が犠牲になり、塩硝の生産が滞ったことも加賀藩の財政を困窮させた一因であったと言われている。
そこで俺は、父上に自身の考えを補足する。
「ちちうえ、ごかやまはわがやのだいどころにしめるところおおきく、ここうのげんしょうは、えんしょうのげんさんに。ひいてはだいどころじじょうにひびきまする。コメのねだんがあがれば、ごかやまはきゅうし、たちまちうえるものがでましょう」
父上の目を見て言い切った俺を、父上は信じられないものを見るような表情で見てくる。
「犬千代、その方は塩硝を知っておるのか」
「はい、かやくのざいりょうということはききおよんでおります」
父上は「うぅむ」と再び唸って考え込んでしまった。
「しかし、蓄えを許せば農民は怠けるぞ? それは何と考える」
「ちちうえ、ごかやまはくうにくわれぬかんそん。ゆえに、いもをつくったとて、さようなじたいにはならず、ようやっとくうがせきのやまでしょう」
ダメ押しとばかりに意見を申し述べると、父上は「ふぅ」と一つ息を吐いて首肯した。
「相わかった。甘薯の栽培を許そう」
「それと、またひとつおねがいが……」
「……なんだ? 申してみよ」
——芋だけで終わるわけないでしょう。ここは子供の図々しさを最大限押し出させてもらおう。あくまでお願いだからね、通らなかったとしても仕方ないから。
「すずぐんのしょういんかうかいのやまにてとれるしろいいわと、はくいぐんのひうちだにのいしをとるきょかがほしいのです」
「……はぁ、一体何を……いや、待て。今聞くのはやめておこう。どうせ夢に出てきたという尼の言葉であろう。儂には理解できる気がせぬ」
——おっ? この父上、息子とのコミュニケーションを諦めたな?
珍しく察しが良い。その察しの良さを母上にも向けてあげられれば、もっと夫婦仲良くなるよ?
俺が要求した白い岩と火打谷の石。
察しが良い人なら、すぐに何のことか分かるかもしれないが、またの機会にしておこう。
「そうだな……石集めや雪の結晶を集める趣味の大名も居ると聞く……さして珍しいことではないか……では、儂からも条件がある」
そう言い切った父上の切り返しは、俺にとって想定外だった。
——まだ俺四歳児なんだけど、どんな条件を突きつけられるって言うんだ? 無理難題を吹っ掛けられなければいいのだけど。
「ちと早いかもしれぬが、お主に傅役と目付を付けることにする」
「……はっ、わかりました」
二つ返事で肯定されるとは思っていなかったのだろう。父上はポカンとした表情を浮かべたかと思えば「本当に意味がわかっておるのか?」と小さくぼやいた。
——つまりあれだよね? 俺の手足が増えるって事だよね? 良かったね勝千代君、仲間が増えるよ。
「やけに物分かりがいいな……まぁ良い。来年になれば金沢から呼び寄せることとなる。其方も兄になるのだから、しっかりと勉学に努めよ」
「わかりました、ちちうえ」
誰が傅役になるのかは分からないが、少なくとも俺の邪魔をしない人物なら誰でもいい。
一番邪魔しそうなのは、保守派筆頭の奥村丹後守。
その奥村丹後守も、きっと俺が結果を出せば理解してくれるとは思うのだが、どのように納得させるかは考えておかないといけない。
父上との親子の語らいが終わり、俺が南御居間から出た俺の目の前に、奥村丹後守が立ち塞がっていた。
※
「つちしみず」とも読みますが、現地の人は「つっちょうず」とも読みます。
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