第12話 祖母と祖父(天保4年(1833年))
俺と母上が一室で待ち始めて暫くして、襖の開く音が聞こえたのと同時に、室内に入ってきた人物に対して二人揃って平伏した。
「待たせたようじゃのう」
部屋に響いたのは想像と違い、凛とした若々しい女性の声だった。
入室してきた人物から許可されていないため、まだ頭は上げれない。おそらく複数人が入ってきたのだろう、室内に入ってきた女性の着物が畳を擦る音が聞こえてきた。
「……溶と……その子が犬千代か?」
「はい、お母様……私と加賀守様との子にございます」
「良い。頭を上げなさい」
許可が出たので、俺は頭を少しだけ上げ視界に着物の端を捉える。直視しないのは礼儀だ。
上座に座った女性と、それに控えるように座った女性が二人。
どうやら上座に座った女性が俺の祖母、母上の母上というヤツらしい。
「お母様。相も変わらずご健勝のこと、祝着至極に存じまする」
そう言って挨拶をした母上の声は、喜びに弾んでいた。
加賀藩に嫁いでからというもの、おそらく手紙でしか交流できなかったのだから当然だろう。
俺はバレないように——チラリ、と上座の方を見てみると、そこには色気のある美女が座っていた。
浅葱色の打掛姿の美女は、艶やかな黒髪を勝山髷に結い、母上に似た切長の目をこちらに向けている。
立てば芍薬、座れば牡丹——なんて言葉が脳裏に浮かぶくらい、女性が座っている姿は気品に満ちていた。
「堅苦しいのう。さ、早う犬千代のことを良く見せておくれ」
どうやらこの美女が俺の祖母らしい。どう見ても「祖母」という年齢には見えないが、年齢を女性に聞くのは今も昔もマナー違反。おそらく、まだアラフォーにも届いていないんじゃないかな。
母上を横目に見て伺いみると、母上は「さ、犬千代。お祖母様にご挨拶を」と促してきたので、俺は前もって考えてきた台詞を口に出した。
「おはつにおめにかかりまする。まつだいらかがのかみ、さちゅうじょうがちょうし、いぬちよにございます」
俺の口上を聞いた祖母は、驚いたのか目を大きく見開いた。
「まぁ、なんと見事な名乗りでしょう。さ、遠慮はいりませぬよ。もっと近う」
その言葉に従い、俺は畳みに手をつき一度だけ身体を前にずり動かす。
「それではお顔がよく見えませぬ。もっと近う」
祖母からの二度目の招請に従い、俺は立ち上がって上座の畳三枚離れた位置まで移動し、その場で平伏した。
「……その年で良き振る舞い。許すゆえ、面を上げなさい」
——振る舞いとしては及第点だったのかな。
祖母の言葉を受けて俺は改めて顔を上げ、改めて祖母の目と目を合わせた。
「まぁまぁ、近くで見やれば本当に凛々しく……溶の幼き頃にそっくり」
「まぁ、お母様。私は犬千代の様に屋敷を抜け出したりはしておりませぬ」
——おっと、いやですわお母様。まだこの前の事を根にもっていらっしゃるの? と、俺の中の令嬢が呟く。
「ふふふ、本当の事ですよ。溶も昔から賢い子でしたから」
祖母は懐かしむように目を細め「それに……」と言葉を続けた。
「女中達と内密に智泉院へお参りに行った事も」
「……美代様。幼な子の前でその様な……」
「そうよな。すまぬすまぬ」
——今、聞き捨てならない単語が聞こえてきた気がする。智泉院? 美代様?
俺の俄知識が、記憶の中で警鐘を鳴らした。
「智泉院」と「美代」という二つの単語。
それらが歴史上で登場するのは、現将軍の家斉が死去した後、いわゆる「天保の改革」が始まる頃の事だ。
天保の改革とは、天保12年(1841年)に大御所家斉が死亡し、政治権力を握った家慶が真っ先に取り組んだ改革のこと。
老中首座に就任した水野忠邦は奢侈禁止を命じ、それを江戸市中に徹底させた。
そして、家斉治世の間に行われていた退廃的な慣習が取締られ、その手は大奥の綱紀粛正にも及んだ。
そこで起こったのが「智泉院事件」と呼ばれる摘発である。
「智泉院」は元々、家斉の側室——つまり俺の祖母「お美代の方」——の実父、日啓が住職を務める法華寺だった。
祖母は家斉からの寵愛が厚く、「おねだり」して「智泉院」を将軍家の御祈祷所にした上、普段外出できない大奥の女中たちをお参りを口実に外出させていたのだ。
まぁいわゆる、大奥政治の一環だったのだろう。外出のしたい女中達は祖母に阿るし、その結果、祖母の大奥での発言力も強くなる。
「智泉院」への外出は大奥の女中達を夢中にさせ、その行為はどんどんエスカレートしていった。
しかし、その「お参り」も「天保の改革」によって潰えることになる。
「智泉院」住職の日啓は遠島前に獄死。祖母《美代》と大奥筆頭も二の丸に押込。祖母の養父は登城禁止の処分が下った。
家慶治世下で、大奥にも家斉派粛清の嵐が吹き荒れたのだ。
——ヤバい。あまり祖母にベッタリとくっつきすぎると、家斉の死後に俺までもが粛清対象になりかねない。まだ猶予があるとはいえ、祖母との距離感は付かず離れずが正解じゃないか?
「犬千代、もっと近う」
でも、ここで逆らっても良い事はない。それに美女に呼ばれたらホイホイとついて行くのが男の性。悲しいね。
俺が立ち上がり祖母に近付くと、両手を広げて俺を抱き上げた。
「良い子じゃ。ずっと江戸に居れれば良いのじゃがのう……」
「お母様、それは……」
——何やら不穏な言葉が耳元で聞こえた気がするぞ。
いつ粛清されるかわからないのに、江戸にずっと在府するなんて冗談じゃない。俺は国許に帰って藩政改革するんだ。
そうならないためにも一応、予防線でも張っておくか。
「おばあさま? いぬちよはしんかとして、ばくふをささえていきとうございます」
俺を抱いていた祖母と目を合わせ、辿々しく言葉を連ねる。
——まさかとは思うけど、無理やり徳川家の養子とかにはしないでよね。犬千代との約束だよ。
「おぉ、なんと殊勝な子」
そう言って祖母は、俺を膝の上に乗せて頭を撫でる。
「その心意気であれば、徳川の世も安泰じゃ。のう溶?」
「はい、まことに」
「ホホホホ」と、女性陣は何が可笑しいのか笑い合う。こういった笑顔の裏でお互いの足を蹴り合っているのだから、女性だらけの世界は恐ろしい。
女性陣が笑い合っていたその時——、
「上様の御成にございます」
突然、外で待機していた女中から室内に投げかけられた言葉と同時に、俺は祖母から離れ、再び下座へと下がって平伏した。
単なる祖母への顔見せかだけかと思ったが、どうやらそれだけでは無かったらしい。
——どうしよう。将軍様に会うなんて、なんの心構えも準備もできてないぞ。
俺が下座に下がってすぐに、一人の男が室内に入ってきた。男はドッカと上座に腰を下ろし、祖母にしなだれかかるような体勢を取る。
「すまぬなぁ美代。ちぃと立て込んでおってなぁ」
「恐れ多いことにございますわ、上様」
祖母も祖父の声に応えるように、声の調子をワントーン上げた。
声の感じからして、男の年齢は60歳を過ぎたところだろうか。猫撫で声のように聞こえる、間延びした声。
祖母の前でデレデレと鼻の下が伸びているところを見ると、何とも言えない不快感を覚える。
——この雰囲気はあれだ。「高級クラブで愛人関係にある嬢を前にした自社の社長」を見ている感覚に近い。この表現でわかってくれ。
「面を上げよ」
その男は、今すぐにでも祖母と乳繰り合いそうな雰囲気を醸し出していたかと思えば、真剣な声音で俺に対して命じてきた。
「松平加賀守、左中将殿が子。犬千代殿にございまする」
この男が江戸幕府第11代将軍、徳川家斉か。
祖母が俺を紹介し、将軍——家斉は「うむ」と頷いた。
「うむ、良き面構えじゃ。これからも公儀のため励め」
家斉は実の孫を目の前にしているというのに、淡々としている。むしろ興味がないと言わんばかりだ。
だが、それも当然かもしれない。
徳川家斉は16人の側室を持ち、成人した子供だけでも28人。徳川幕府最大のハーレム王(史実)。孫のことにかまけてる暇があれば、ハーレムの一員と仲良くしたいのかもしれない。うーん、このゲ(以下自重)。
「直答を許すとのことでございます」
祖母からの許しが出て、俺は挨拶をするために口を開いた。
「はっ、ありがたきしあわせにございまする」
「うむ」
——はい、終了。
こちとらかわいい孫だぞ? なのに、このドライな扱いは何なんだ?
「お美代や、また部屋で待っておるぞ」
「はい上様。また後ほど伺わせていただきます」
俺はあくまでも一臣下の子息。松平の姓を与えられているとはいえ、警戒するべき外様大名の子。おそらくこれからも、俺はそのように扱われるらしい。
何はともあれ、これで俺と将軍との非公式な謁見は終了したということだろう。
そして俺と母上は城を辞去し、再び屋敷に帰ったのだった。
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お美代の方は現時点で37歳。
次は5/1の8:00に更新します




