第9話 ヴェルディちゃんは離したくない
遅くなりました
「――そこからどうやって逃げ出したかはよく覚えてない。気がついたら走ってて……何日も走り続けて、この街に辿り着いたの」
「そうだったんだね……」
辛い思い出を打ち明けてくれたヴェルディちゃんを、抱きしめずにはいられない。
……何なのさそのクソ親父!
細かい事でケチつけては自分の娘を殴るって、私が言えたことじゃないが到底まともな人間ではない。
いつか八つ裂きにしてやらなきゃ気が済まないね。
さて。怒りはそのままに一旦冷静になろう。
私は先ほどその『お父さん』の所属しているらしい宗教団体の信徒を三人殺した。
これで終わりならいいんだけど、そうはいかなさそうだ。
『恐らくヴェルディちゃんの居場所は筒抜けよ』
……らしい。
アルコア様いわく、ヴェルディちゃんに何らかのマーカーが施されており、『お父さん』側にその居場所は常に把握されている可能性が高いそうだ。
送り込んだ三人が帰ってこない事を怪しんで、より強い奴を投入してくるかもしれない。
ここを出て逃亡生活……をするのもいいけれど、この街は出ていくには惜しい。
それに追っ手から逃げ続けるというのも癪だ。
ならば、待ち構えてやろうじゃないの。
『お父さん』が直接出向いてきてくれるかもしれないしね、蟻地獄のように嵌め殺してさしあげるわ。
……と、いうわけで。
治癒魔術師としてのお仕事は一旦休業。街中で戦う訳にもいかないしね。
我が家に私お手製の結界を構築して、しばらく半引きこもり生活だ。
かつて帝都で神聖結界と呼ばれていたものだ。対外条件を『ヴェルディとラズリーに敵意・害意を持つ者の侵入を阻む』というものに設定している。あと結界を不可視にもしている。
こうする事で様子を見に来た領主さんとかは気付かず今まで通り通行できるって寸法よ。
帝都にかけていた時も帝都および帝都の住民、そして皇帝に害意を抱く者の侵入を禁じるという条件をかけていた。戦争になったとしても敵兵は入れないし、敵意をもって放たれた魔法のような攻撃も阻む。
これならあの三人の神聖魔法くらいなら耐えられるはずだ。
おまけで更に同じ対外条件で発動するトラップも色々……
『やっちゃえラズリーちゃん、クソ親父をぶち殺しちゃえ~♪』
アルコア様がご機嫌に応援してくれてる中、私には他にもやらなくちゃいけないことがある。
何って、決まってるでしょ? ヴェルディちゃんのメンタルケア!!!
だって今まで思い出すのも嫌だった過去を話してくれたんだよ? 今も灰色の毛皮の下の地肌は真っ青に違いないし、ふるふる震えて目元に雫も膨らんでいる。
私のことを信じて打ち明けてくれたんだから、応えてあげなきゃ聖女の名が廃るってもんよ。
「ラズリーお姉ちゃん……こわいよ、ボクどうなっちゃうのかな……?」
「どうにもさせないよ。私がずっと側で守ってあげるからね」
ヴェルディちゃんはまだ11歳の子供。私は齢千年は生きている大人オブ大人。
守ってあげるのは当然でしょう。
「……パンでも一緒に作ろっか? はちみつかけてお腹いっぱい食べよ?」
「……うん!」
――
という訳で、始まりました本日の3時間クッキング。
本日私たちが作るのは、こちら! フレンチトーストもどき!!!
材料はこちら!
◆アルコア様がご提供してくださった黒いなんかのタマゴ!
◆バター適量!
◆小麦粉適量!
◆牛乳適量!
◆その辺に生えてた草!
◆お砂糖適量!
◆レモン汁小匙一杯!!
その辺に生えてた草を神域に捧げ、アルコア様パワーにより付着してる酵母を爆速で選別・大増殖させたら!!!
「お姉ちゃん?」
あとの材料をいい感じに混ぜてひゅーっとやってひょいっとして寝かしたり焼いたりして二時間くらいでパンができる!!!!
「えっと……」
次になんかのタマゴと牛乳とお砂糖をめちゃ混ぜた液に、いい感じに切ったパンを浸して!
フライパンで焼き目がつくまで火にかけて!!
お皿に盛り付けたらはちみつをかけて完成!!
「あの、お姉ちゃん?」
「うん? なあに?」
「お姉ちゃん、あの酵母はどうやったの? 黒いタマゴは何なの? わかんないよ……」
……そういえば私が聖女だってこと言ってなかったっけ?!
やっべー、忘れてた。
全部説明したつもりでアルコア様パワー借りまくってたけど、端からすれば虚空からタマゴ取り出したりそのへんの草をいきなり酵母の塊に変換したりとかワケわからんことしてた事になるね?!
「じ、実は私、逃亡中の聖女でして……」
今更ながら、私は自分が聖女だという事とアルコア様の神域と物をやり取りしていた事を白状する。
「あ、アルコア様にもね、実は一緒にパン作り手伝ってもらっててね……」
「大丈夫……ボク、お姉ちゃんの作ったものならどんなものでも美味しく食べられるから」
「ご、ごめんね……」
説明なしで訳のわからない調理行程を踏んで作られたちょっと黒いフレンチトーストを、ヴェルディちゃんはちょっぴり躊躇しながら食べてくれた。
いい子……ほんといい子……
ドン引きさせちゃった事を謝りつつ、私も出来上がったフレンチトーストを頬張った。
うむ、美味しい。あのタマゴ、黄身まで真っ黒だったりしたけど味はちゃんと美味しいフレンチトーストだ。
てか何のタマゴなんだろう?
『……昔、邪竜をぶっ飛ばして家畜にしたことがあってね……』
……聞かなかったことにしよう。
*
ごはんも食べて、また1日が終わる。
お外はすっかり暗くなって、私とヴェルディちゃんはいつも通り一緒にお風呂に入る。
もう1ヶ月は一緒に入ってるのに、ヴェルディちゃんはまだ毛皮越しに頬を赤くしている。
「お姉ちゃん、実はボク……」
「なあに?」
「……ううん、なんでもない」
そんなこんなでお風呂を出たら、ヴェルディちゃんの乾かし大作戦が始まる。全身毛でいっぱいだからね。人間だった頃からすれば不便でもやらなくちゃいけない。
魔法で温風を発生させて、片手でわしゃわしゃ乱し水気を飛ばしながら櫛で全身の毛をとく。
「お姉ちゃん、そこ……」
時折気持ち良さそうなヴェルディちゃんがこれまた可愛くてうっとりしちゃうね。うへへ。あ、ヨダレでちゃった。
歯も磨いて寝る前の準備を整えたら、各々のお部屋で朝までおやすみだ。
……けど。
「一人はやだ……」
「それじゃ一緒に寝る?」
今日は怖い目に遭ったし、嫌なことも思い出したんだからね。子供のヴェルディちゃんは、ほんとならまだ親に甘えてるような時期だ。
「ほおら、もう怖くないよ?」
私はベッドの中でヴェルディちゃんを抱きしめた。
私の胸に顔を埋めるヴェルディちゃんから、震えが少し収まった気がする。
温かくてふわふわで小さな柔らかいこの生き物。たまらん。
思えばこうして人肌の温もりを感じるのは、何百年ぶりだろう?
私に両親の記憶はないし、恋人とかいたこともないし。
……初めて、なのかもしれない。
ヴェルディちゃんと出会ったのはたったの1ヶ月前。
帝国で聖女をやってたのは300年。
けれどどうして前者の方が大事に思えるのだろう。
朝起きて、すんごい寝癖のヴェルディちゃんの髪を整えて。美味しいご飯を一緒に食べて、街に一緒に行ってお仕事をして。帰ってきたらヴェルディちゃんの作った美味しいご飯を一緒に食べて。
ほんの、今までの人生と比べて万分の一だけの日常。
それなのに、なんでなんだろう?
わかんないや。
きっといつかわかるのかな。
私はエルフの血を引いているのもあって、これから何千年も生きることになる。
しかしヴェルディちゃんはすぐに私より大きくなって、あっという間にくしゃくしゃのおばあちゃんになって……いなくなっちゃうんだ。
それより前に私から巣立っていくかもしれない。
……それでも、ほんの一時の気まぐれだとしても、せめてこの子が私を必要としなくなるまでは。
もしかして私は産まれて初めて誰かを愛しているのだろうか。
あぁ、千年も生きてきたのにわかんないことだらけだ。
「ねぇ、お姉ちゃん」
「なあに?」
「……好き」
胸の中のヴェルディちゃんが、小さく囁くように呟いた。
「そっか。私も大好きだよ」
私も、この気持ちを正直に伝えた。
……けれど。
私はまだ知らなかったんだ。
やがて思い知らされることになるんだ。
ヴェルディちゃんの『好き』は、今の私の思っているものとは全く異なっているって事に。
「えへっ……」
私に縋っていると思っていた。
しかしその実、私をもう離さないよう逃がさないようにしがみついていたのだと。
今は、まだ
ヴェルディちゃんヤンデレ化計画……
幼気な子供の性癖を破壊したラズリーちゃんの罪は重い……