第59話 殺戮の魔獣
シリスの街を遠くから見下ろせる小山の頂に――特記戦力〝操術老師イース〟とその護衛たちは、集っていた。
老師は胡座をかき、眼を閉じて何かに集中している。
その時――
「孫よ、水をくれぬか……」
「はい祖父様。こちらを」
「うむ、すまぬな」
跳ね起きた老師に、側の護衛の若い女騎士が駆け寄り水の入った革袋を差し出した。
老師は袋の中の水をぐびぐびと飲み干すと、手で拭いながらゆっくりと口を開いた。
「魔人が負けよった……。この儂が操作していたというのにな……」
「なんてこと……!」
老師は、支配下にある存在を遠隔操作することができる。
これで人造魔人〝朱禍の魔女〟の肉体制御を乗っ取り、シリスの街……ひいては、乱入した聖女ラズリーを殺害しようと目論んだのだが……
「まさか、手も足も出ぬとは……。聖女の力は想定以上じゃった」
「それで、魔人の体はどうしました?」
「瘴気を暴走させ派手に自爆してやったわ。さすがの聖女と言えど、無事では済むまい」
2人はそこまで会話を交わすと、ふぅとため息をついた。
「魔人の量産化も間もなくじゃと聞く。今回のデータは良い知見になるじゃろうな」
「お祖父様のおかげですよ」
老師と孫娘は朗らかに笑い合うと、他の仲間たち――老師専属の護衛たちに顔を向けた。
「魔人を失うという結果にはなってしまったが、この作戦を遂行できたのは皆のおかげじゃ。感謝する」
「俺達は何もしてないっすよ~」
「これ、年寄りが若者を立ててやっとるんじゃ、ありがたく受け取れい」
がははと、一同の間に笑いが起こる。
「では、夜が明けたらシリスの街の状況を調査し、その後は転移術式にて帰還するぞ」
「は」
魔人を失いこそすれ、この作戦は完全な失敗ではない。モシナのクローンを用いた人造魔人の量産化は目前であり、今回は試験運用という意味もあったのだ。このデータは将来に活かされるだろう。
……その将来がサンムルスにあれば、だが。
「……ん? なんだあ」
ぐしゃっ
護衛兵の一人が夜闇に何かを見つけたのと同時に、鈍い音と共に言葉を途切れさせた。
一秒にも満たない静寂が、その場の全員を凍りつかせた。
護衛の一人が、潰れていた。即死だろう。
〝それ〟は大きな眼で一同を舐めるように見下ろし、鋭い牙の並ぶ口で問いかけた。
『ろうしって、どれ?』
その獣は、前足についた血を舐めながら鋭く冷たく見据えている。
「ま、魔人と渡り合っていた魔獣だ……! 生きていたのか!!」
『ねぇ、質問に答えて。どれが〝ろうし〟なの?』
質問に答えない一同に獣は苛立ちを隠そうともせず、前足で地面を叩いた。
すると地面はひび割れ、何人かがその場に転んでしまった。
「儂じゃ、儂が老師イースじゃ。何の用で来た? 交渉しようではないか」
――この魔獣は間違いなく特記戦力相当。それも、魔人と互角に戦えるほどの怪物だ。言葉が通じる以上は下手に刺激するよりも、交渉するのが得策だろう。うまくいけば取り込めるかもしれない。
……と、老師は考えていた。それが不可能であるとも知らずに。
『お前が〝ろうし〟か。じゃあ他は食べてもいいんだね』
魔獣が右前足を振るった次の瞬間。血飛沫と臓物が夜闇に舞い散った。
老師の周囲を囲っていた護衛の半数以上が、一撃で輪切りにされたのだ。
「ひっ……!」
「ひ、怯むな! 老師殿を守れ!!」
剣を抜き、護衛兵たちはヴェルディへと立ち向かってゆく。
彼らは特記戦力『操術老師イース』を守護すべく選出された、直属の兵である。老師とは寝食を共にする関係で、固い絆で結ばれている。
しかし、『聖女を殺せる獣』にしてみれば多少活きのいい餌でしかなかった。
力自慢の兵がめいっぱい斬りつけた。しかし剣が獣の毛皮を通ることはなく、軽く転がされた後で生きたまま噛み潰された。
力自慢の兵を喰っている隙に、魔法を使える者が炎の弾を放った。しかし毛を1本焦がすことすらなく、尻尾の一撃で全身の骨を粉々に粉砕された後にゆっくりと咥えられ、そして飲み込まれていった。
ある者は眼球を狙い、矢を放った。しかし放った矢がなぜか自身の眉間に突き刺さり、そのまま地に伏した。
それから粉々になった死体もなにもかも、ヴェルディは肉の一片に至るまで舐めとっていった。
兵たちは皆例外なく、巨獣の口の中に消えていったのだ。
「何が目的じゃ! こやつらをなぜ殺した!!?」
『なんでって、お腹が空いてたから? あと〝ろうし〟? は連れて帰ってきてって言われたから』
老師の眼前に〝魔獣〟が迫る。
灰の毛皮に血がこびりついて、斑のようになっていた。
『逃げないように脚を千切ろうかな』
後ずさる老師へ魔獣は前足を伸ばす。
するとそこに――
「お、お祖父様には指1本触れさせません!!!!」
震えながら剣を構え、立ち塞がる女騎士の姿があった。
「お祖父様はサンムルスの要! 私が時間を稼いでいる内に、お祖父様はお逃げください!」
「よ、よせアニ!!」
老師が孫娘の名を叫ぶ。
勝てる訳がない。
サンムルスという国の事を思うならば、アニが時間を稼いでいる内に自分だけ転移で逃げ帰る事が最善だ。だがしかし、この老人にとってはアニは最愛の孫娘だ。
病弱な娘が自らの命と引き換えに産んだ、世界一可愛い孫娘。
「アニだけは見逃してくれ……頼む、この通りだ……。儂を連れ去ってもいい、だからどうか……」
「なんで……お祖父様?」
老師イースは、孫娘の前に出てヴェルディに頭を下げた。
老師イースではなく、一人の祖父として。
たった一人の肉親を守る選択をしたのだ。
『……』
この感動的な姿にヴェルディは――
――何の躊躇もなく、アニを前足で叩き潰した。
「え……?」
アニは困惑した。つい一秒前まで立っていた位置に、魔獣の前足が聳えている。そして自分は、なぜかあお向けでそれを見ている。
何が起こったのか分からない。しかし、早く立ち上がらなければ。最愛の祖父を守るために。
だが、下半身に力が入らない。足に意識を向けてみた。
動かない。
「え……? ……あ」
いや――下半身が、失くなっていた。
「うそ、や……死にたくない」
その事実を認識した途端……アニの脳に灼熱の苦痛と迫る死への恐怖が押し寄せた。両腕でじたばたもがくも、何の意味もなかった。
「やめろ……」
老師が呟く
ヴェルディは手にこびりついた肉を舐め取ると、視線をアニの上半身へ向けた。
「やだ、おじいちゃんたすけて!! おじいちゃ――」
ぐしゃっ
「あ、あぁぁぁ……」
魔獣の剥き出しの歯の間から、血が滝のようにこぼれ落ちる。
――今、儂にできることは……
震える感情を圧し殺し、老師は『特記戦力』としてできることを実行に移した。
老師は生身では準特記戦力程度の戦闘力しかない。特記戦力の内でも上位に位置するヴェルディに敵うはずがない。
魔獣が孫娘だったものを味わっている隙に、老師は簡易転移術式を数秒かけて起動した。
緊急時に特記戦力である老師を脱出させるための保険であった。
「おぉ! 老師殿が帰還されたぞ!」
サンムルス自治区の駐屯地の転移専用部屋に、老師はたった1人で転移して帰ってきた。
「シリスといったか、辺境の街など老師殿にとっては恐れるに足らずだったでしょう? アニちゃんは素晴らしいお祖父ちゃんに恵まれて幸せですな! がはは!!」
偶然部屋の前に居合わせた友人の老兵が、老師に労いの言葉をかける。
老師は言葉に詰まる。
「……マクスウェルの元へ行ってくる」
伝えなければ。同じ特記戦力である、将軍に。
老師が目の当たりにした、ありのままを。我々は恐ろしい怪物に喧嘩を売ってしまったのだと。
……しかしその時。
視界の隅で、灰色の毛並みがちらりと動いた。あの忌々しい恐ろしき怪物と同じ色の。
――馬鹿な、あり得ない。
耄碌して幻覚でも見えているのか。
老師はその〝灰色〟に視線を向けた。
それは……小さな獣人の少年(?)だった。少年は柱の陰から老師を覗き込んでいるようだ。
あの怪物と違ったことに安堵しつつ、老師は足を進める。
「逃げれると思った?」
―――――
サンムルス自治区第一駐屯地内にて、突如巨大魔獣が発生。
居合わせた兵と操術老師が交戦するも、魔獣は駐屯地の施設の6割を破壊。
これにより348人が怪我、279人が死亡、682人が行方不明となっている。
また、特記戦力操術老師イースも安否不明となっており、早急な発見が望まれる。
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