第55話 白蛆の襲来
魔人と渡り合った神獣が、姿を消した――
夜の闇に絶望が染み入り、シリスの街をひそやかに呑み込んでゆく。
それでも。
「かかれー!!!!」
シリスの特記戦力たちは諦めてはいなかった。
空高く街を見下す少女の姿をした『魔人』へと、超越者たちは攻撃をしかけた。
「ぬぅおおおおっ!!!!」
ホグジの魔法が、大地を粘土のように変形させる。
そしてそれは、巨大な蛇のような形となって魔人へと口を開けて迫る。
魔人はそれを迎撃しようと左手を向ける――が。
『!!』
魔人の体が、突然巨大な水球に閉じ込められた。
カトラの魔法である。
そして大蛇は、水球もろとも魔人を呑み込んだ。
大蛇の腹の内。魔人は凄まじい圧力をかけられ続けていた。
――いかに強靭な肉体を持っていても、実は生物というものは急激な圧力の変化に弱いのだ。
地上の生物を深海の水圧に浸せばあっという間に潰れてしまうし、逆に深海の生物を地上へ引き上げれば眼球や臓器が体外へ飛び出してしまう。
そうでなくとも、ちょっとした気圧の変化でも体調を崩したりする。
カトラとホグジは、この急激な圧力の変化で魔人を仕留めようと狙ったのだ。
この狙いは、正しい。
ヴェルディとの戦闘により魔人は大幅に疲弊している。
シリスの特記戦力たちの力が魔人に届くのならば、今しかない。
しかし――
ものの数秒で、大蛇の腹は内側から木っ端微塵に粉砕された。
魔人を覆っていた水球も消し飛ばされたようだ。
ダメージはある。しかし、足りない――
『――?!』
脱出した魔人を次に襲ったのは、急激な減圧。
ゴールの魔法で魔人の周囲の大気を無くし、真空状態にしたのだ。
魔人は喉を押さえ、苦しそうにもがく。
「ここからっ!!」
そんな魔人へ、メリーが追撃を仕掛ける。
魔人に近寄らず、遠距離から雷の矢を放つ。
当たれば小さな町ならば消し飛ぶメリーの最大出力の攻撃である。
蜘蛛の巣に絡めとられるように、魔人は紫電に飲み込まれて行く。
いける。
いける――
ごしゃっ
メリーのすぐ横から、ひどく鈍い音が聞こえた。それから僅かな合間を置いて、後ろから何かが固いものにぶつかる音が響いた。
「えっ?」
反射的に振り向く。
するとそこには、口から血を流し物のように転がっているゴールの姿があった。
手足はひしゃげ、全身は赤い瘴気に蝕まれ、もはや戦闘どころか命すら風前の灯だ。
いや、ゴールだけではない。
カトラもホグジも、同じように深刻なダメージを受けて辺りに倒れ伏していた。
「に、げろ……」
辛うじて意識を残していたカトラが、うわ言のようにメリーへ警告する。
戦場に出ていた特記戦力がメリーを除いて、一瞬で戦闘不能となったのだ。
メリーはすぐに視線を前方へ向けた。
居るべきはずの場所に、魔人の姿はない。
一体魔人はどこへ消えたのか――?
「――っ!!」
反射的に屈んだメリーのすぐ上で、何かが空気を斬った。
そこに、魔人はいた。
片手に真っ赤な剣を握りしめ、すぐ側でメリーを覗き込むように見据えていた。
それはまるで、虫を眺める無邪気な子供かのような眼差しであった。
――来る!
魔人の剣が、音を置き去りにメリーの首もとへ振るわれる。
メリーはその一撃を辛うじて回避する。
メリーは倒れた三人とは異なり、電気を操る魔法により体内の神経伝達速度を向上させている。
これにより、魔人の速度にも辛うじて反応できている……のだが。
『〝アハハハハ! 楽しいね■■■■■ちゃん!!〟』
あくまで『見えている』だけであって、渡り合える訳ではない。
ほんの些細なミスが、死因になりうる。
魔人の一薙ぎ一突きが必殺であるのに対し、メリーの近接攻撃はかすり傷程度しか与えられない。剣の刃が通らないのだ。
そして、その攻防は長続きはしなかった。
魔人の攻撃の風圧で生じた、ほんの小さな綻び。
魔人の剣がメリーの心臓へと迫る。
もはや隙とも呼べないほどの誤差が、回避を遅らせた。
魔人の動きは『見える』。だが見えるだけで、メリーの身体は動かない。動けない。
だが――
その時、魔人とメリーの間に何かが割り込んだ。
「あ、アチェリーちゃん……?!」
メリーが見たものは、魔人と鍔迫り合いをしているアチェリーの姿であった。
彼女は飛来したワイバーンの迎撃に駆り出されており、魔人との戦闘には参加していなかったのである。
「だめアチェリーちゃん! 勝てる相手じゃ……!」
「あたしが……あたしがやらなくちゃいけないんだ!!」
そう吐き出すと、アチェリーはなんと魔人との鍔迫り合いに押し勝った。
そしてそのまま、メリーの動体視力でさえ追えない剣戟が砂を巻き上げ嵐のように渦巻いた。
――アチェリーは、聖女ラズリーと近接戦闘が成り立つ稀有な天才である。
彼女のセンスと身体強化に特化した魔法は、目の前の『魔人』にも遺憾なく発揮されていた。
「アチェリーちゃん……」
メリーは、理解してしまった。
自分では、この戦いに割り込める余裕はない。
音速に近しい応酬が繰り広げられ、剣と剣がぶつかり合う度に朱い火花が迸る。
アチェリーの持つ剣は、迷宮から産出したオリハルコン製の剣だ。
これを自身の肉体の延長と解釈することで、身体強化を剣にも適用させているのである。
ラズリーともヴェルディともある程度渡り合える強者は、この世界にはそうはいないだろう。
『暗い、。眩し い……』
「……」
二人の攻防は激しさを増してゆく……。
一撃一撃を重ねる度、アチェリーは苦しそうに顔をしかめた。
「もう……もうやめてよ――」
辺りの空気に自由が満ちる。
そしてアチェリーは『魔人』に向けて……いや、最愛の人に向かって引きつった叫びを吐き出した。
「――モシナお姉ちゃん!!!」
*
2日前――
私は川を流れる瘴気の元を排除すべく上流へと遡っていった。
そして、ついに元凶を見つけたのだ。
見つけた……のだが。
「何あれ……?」
私は当初『魔人』が上流で何かをしているのではないかと思っていた。
そしてこれが恐らくは私を呼び寄せるための罠だとも。魔人は私に封印された恨みがある。
だから……あの男がこんな迂遠な方法をとるかという疑問はあれど、可能性としてはまぁなくはないと思っていた。
しかし、私を待ち受けていたのは『魔人』ではなかった。
『ほぎゃぁっほぎゃぁっ』
私の背丈の倍はあろうかというそれは、まるで粘土をこねくり回した挙げ句に、飽きて雑に一塊にしたかのような形をしていた。
『おぎゃあ……ほぎゃあ……』
『塊』の顔が赤子のように呻く。
しかしこの巨大な『肉の塊』は人の形をしてはいない。
顔は、その歪な全身のあちこちに面を貼り付けられたかのように浮かんでいるのだ。それら全ての赤子のような顔は、苦しそうにただただ泣いていた。
「魔人……じゃない……?」
魔人はもっと人の形をしていた。
とうに人間ではなかったが、見た目は人間にとても近かったのだ。しかしこれは……
肉の塊の目や口から真っ赤な液体を垂れ流し、川の水面に滲み続けている。魔人の瘴気の原液だ。
「魔人の力は感じるのに、別物……? あの時の魔人と比べても随分と弱っちいし……?」
『……魔人の血肉を植え付けられた人間の成れの果てって所かしらね?』
アルコア様がふとそんな推察をした。
『見た感じ、何人もの魂がその肉塊の中で癒着しているわ。無理やり融合させられているみたいね』
「……魔人を人工的に産み出そうとでもしたんでしょうか?」
『そんな所じゃないかしら? 全く愚かな連中ね、絶滅させてやろうかしら?』
うーむ。
アルコア様の言う通りなら、これは魔人の失敗作ってことになる。サンムルスめ、胸糞悪いことを……
『お、ねがい……こ、ろして、おぎゃぁ』
魔人のなり損ない、は子供のような声でそう言った。……いや、実際に子供なのかもしれない。
……。
どちらにせよ私がやることに変わりはない。
瘴気を垂れ流すこいつは排除しなくちゃいけないし、本人たちも殺してくれと懇願している。
彼らを人間に戻すことは私にはできない。もはや手の施しようがない。
せめてもの慈悲だ。
「苦しませないよう死なせてあげる」
私は結界剣を地面に突き立て、魔力を練る。
効果範囲は絞り、なおかつ出力は高く確実にこの肉塊を消し去れるように。
「来たれ――〝上位雷魔弾〟」
上空より紅く巨大な稲妻が迸る。
肉塊は瞬く間に粉々に消し飛び、滝壺に巨大な水柱が立ち登る。
土砂降りのように水滴が降り注ぐ。
――その時
「……えっ?」
私の足元に突然、五芒星の模様が浮かび上がった。
魔力……じゃない、神力……?!
『ラズリーちゃん逃げて!!』
アルコア様の警告と同時に私はその場から飛び退こうとした。……しかし、足はまるで地面に縫い付けられたかのように土から離れない。
そして五芒星が強く光ったのと同時に……周囲の景色が変わる。山奥の滝壺から、まるで劇場の舞台の上のような場所へと。
「神域……!」
やられた……!
ようやく敵の目的が分かった。
私をおびき寄せて、何らかの神の神域に閉じ込める事が狙いだったのだ。
……アルコア様との会話も通じない。
まずい、ここで神域の主にでも出くわせば勝てる見込みは薄い……!
何とかして神域から脱出しなくては。
そう逡巡していたその時――辺りの空気がひどく冷え、肌を氷で撫でられるかのように寒風が吹いた。
――ばきっ
目の前の空間に亀裂が走る。
ばきっ
亀裂の走った空間が、白く大きな何かに突き破られる。
寒い、ひどく寒い。
舞台に雪が降り積もる
『――\`_4』
〝それ〟が、得体の知れない声らしきものを発した。
見てはいけない……のに、それから私の目は離れない。
白くてぶよぶよしていて、まるで丸太のように長くて。
巨大な真っ白なウジ虫のような、『神』が私の目の前に横たわった。
三日月のように裂けた蒼白い口はまるで笑っているかのようだ。
裂けた口の上に並ぶ1対の眼窩に眼球はなく、そこから絶えず深紅の真珠のような何かを溢し続けていた。
寒い。
寒い。
とても。
とてもとても。
寒い。
『――4%_</4』
辺りの空気に異界の冷気が満ちる。
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