第50話 魔人の瘴気
魔人。
およそ300年前、この大陸を恐怖のどん底へ叩き落とした怪物。
完全顕現したクターニドに続く、デルタノルド王国にとって最初にして最大の危機。
魔人の肉体から発生する瘴気は、水を赤く腐らせ触れた者の命を呪い蝕む。
これによりデルタノルドのみならず周辺国では100万人近くが犠牲となった。
初代デルタノルド王は万の兵を差し向けたが、『魔人』にはかすり傷ひとつ負わせられないまま全滅。
やむを得ず、クターニドとの戦いの傷の癒えていない私が迎撃に出た。そして、後のサンムルスの地に封じるに至った。
あれがあのまま進化を続けていれば、恐らくナラシンハやクターニドよりも強大な邪神となっていただろう。
あの段階で封印できて幸いと見るべきか、滅ぼせなかったと見るべきか。
そんな化け物が……シリスの街の惨状を見るにどうやら復活したらしい。
川は魔人の血の色に染まり、そこから気化した瘴気が街の空気に立ち込めている。
この瘴気は毒とは異なり『呪い』なのだ。しかも曲がりなりにも神力の一種。打ち消すには同じく神力を用いる必要がある。
「ラズリーさん……すまないですね」
私はアルコア様の神力で一時的にベープさんを蝕む瘴気を中和した。
あくまで一時的だが、1日くらいは保つだろう。
「いいって。それよりも重症者が先よ」
この瘴気は街全体へ広がっている。道中ではあちこちで踞り咳き込む人が見てとれる。
人へはもちろん、田畑や作物にも被害も出ている。
このままでは飢饉が起こりかねない。
だが結界で街全てを覆ってアルコア様の神力を散布する……みたいなことはできない。私の肉体では神力の出力が足りないのだ。
できることと言えば、『赤い水』に直接触れた者など、特に酷い患者の治療だ。
私は比較的軽症な者に重症者をありったけ広場へ集めさせ、神力を注入する。
昨日までの疫病に続きこの瘴気……恐らくは偶然ではない。疫病はあちこちで流行っていると聞く。
たぶん何者かが意図的に病をばら蒔いているのだろう。
その上で、この魔人の瘴気だ。
サンムルスが魔人の制御に成功した……と見るべきだろうか?
『違和感があるわね。矛盾もいっぱい』
うーむ。疫病がサンムルスの仕業として、帝国崩壊直後から流行しているのは少しおかしい気がするね。サンムルスがあちこちへ本格的に侵略を始めたのはしばらくしてからだったし。
瘴気も魔人の仕業としか思えないけれど、アルコア様の仰る通りなんだか違和感があるんだよね。
ただ今は思考のリソースを割く余裕はない。
魔人由来の瘴気がシリスの街を襲っている。ただそれだけが事実だ。
「ラズリーさん! ヘブルスの街と連絡が取れました!!」
ベープさんが通信水晶を小脇に抱えて駆け寄ってくる。
その水晶に映っていたのは……
「ミルスさん……?」
水晶には紫色の髪の女性の顔が映し出されていた。
『ご無沙汰しています。単刀直入に申しますと、ヘブルスの街でも〝瘴気〟が川を通じて広がっております』
「それはなんと……。ところでヒルト殿はどうされました?」
ベープさんはそう問う。
ヒルトというのは向こうの街の領主だ。なんでも年齢は15。びっくりする若さだ。
『……瘴気に当てられ寝ております。街中を回っていた側近たちも皆同様です。命に別状はありません。
しかしわたしの力で街中の瘴気の力を抑えてはいますが……数日が限界かと』
「ミルスさんの力でも数日が限界……」
ミルスさんの正体は『ミイヴルス』という女神の化身だ。
かつてこの地に存在した小さな国の守護神だったという過去があるらしい。
とはいえ、ミイヴルスの神としての力はそれほど強くはない。直接の戦いになれば魔人にも勝てるかは怪しい。
「……ヘブルスの街では瘴気を抑えられてはいるんだよね?」
『はい』
「今から無理を言うわ。シリスの街でも同じように瘴気を抑えることはできない?」
『それは……』
水晶の向こうでミルスさんは口ごもる。
一つの街を守るので精一杯なのに、こっちも守ってほしいと言っているのだ。
ただ、勝算はある。
「瘴気の源泉は川の上流にある。私ならそれを取り除くことができるはず」
『それは……噂に聞く〝魔人〟ですか?』
「そう。むしろ魔人を倒せるのは私しかいない」
〝魔人〟が川の上流にいる可能性は高い。
あの頃……300年前よりかは大人しいのが気がかりだが、封印が解かれた直後で弱体化しているのならあり得なくはない。
だが、それでも〝魔人〟と戦えるのは私か『聖女を殺せる獣』のヴェルディちゃんくらいだろう。
『……やります。というか初めからシリスの街も同じようにするつもりでした。
わたしの全存在に賭けて、ラズリーさんが戻るまで誰一人死なせないと約束しましょう』
「ありがとう」
その瞬間――シリスの街をそよ風が吹き抜けた。
爽やかな初夏の夜の風のような、新緑の匂いを纏った緑の風であった。
その風が吹き抜けた途端、あちこちで瘴気に当てられていた者たちの顔色が良くなってゆく。
『……わたしの力で維持できるのは4日が限界です』
「大丈夫、必ず何とかするから」
私は緑の風へそう約束した。
*
「ごめんね、ヴェルディちゃんにはしばらくお留守番してもらいたいの」
「や! ボクもいく!」
我が家のリビングで朝食を頬張りながら元気に抗議するヴェルディちゃん。
ヴェルディちゃんや私が瘴気の影響を受けないのはアルコア様の神力のおかげだ。
瘴気の中を問題なく行動できる存在は貴重である。
だからヴェルディちゃんには、最悪何か起こっても対処できるようこの街に残ってもらいたいのだ。
「お願いヴェルディちゃん。ヴェルディちゃんにしか頼めない事なの……」
「うー……。むー。2日で帰ってきて」
すごく悩んだ末に、ヴェルディちゃんは折れてくれた。
ありがとう……と言おうとして、ヴェルディちゃんはおもむろに私の胸に頭を押し付けてきた。
「なでなでして。2日ぶん」
――か、可愛すぎる……!!!
思わず胸の奥がきゅーんとしちゃったよ。
このかわいいもふもふのためにも、さっさと魔人を倒して帰らなきゃね。
灰色の毛並みをなでなで。長い折れ耳をなでなで。
「ん~……」
ヴェルディちゃんの口から気持ち良さそうに声が漏れる。
もうしばらくなでなで。名残惜しいからなでなで。
……もう少しこうしてたいなぁ。
『ダメよ、時間がないんだから』
むむ……。アルコア様に正論を言われた所で、私は荷物をささっとまとめる。
他所の街へ出る訳でもないから、荷物は最低限で。
魔人との戦闘もあり得るからね、貴重品は我が家に置いたままだよ。
「お姉ちゃん……ぜったいに帰ってきてね」
「うん、約束するよ」
ヴェルディちゃんの手を握り、私は強く誓ったのであった。
*
『御武運を』
街を出る時に、耳元を緑のそよ風が吹き抜けた。
シリスの街を流れる川の上流にはヘブルスの街がある。
二つの街を通じる路は、この川に沿って作られている。
このまま川に沿って1日進めばヘブルスの街を通る事になる……が、のんびり歩いている訳にはいかない。
ヘブルスの街へは馬でも半日かかる。
『魔人』はより上流に潜んでいると考えると更にかかるだろう。
馬よりも速く急ぎ足でいかなければ。
「神聖魔法……【空中跳躍】」
文字通り、空中で跳躍できるようになるアルコア様の御力だ。
これに加えて身体強化と風魔法を併用し、一気に駆け抜ける。
上空から見下ろして見ると、やはり川が真っ赤だ。ずっと上流から赤い水が流れてきているその様子は、まるで巨大な血管なようにも見える。
それから一時間ほどでヘブルスの街へ到達した。シリスの街と同じくらいの規模の小さな街だ。
しかし私は立ち寄ることなくヘブルスの街の上空を飛び越えた。
……この先に、『魔人』がいるのだろうか。
もしもヤツが300年前と同じ強さを持っていたら……。勝てるだろうか。
……いや、勝つしかない。
『魔人』を野放しにしたら、この世界の危機にも繋がりかねない。
……しかしやはり妙だ。あの男が……『魔人』がこうも大人しくしているものだろうか?
川に瘴気を流すだけだなんて、こんな迂遠な事をするだろうか?
いや……何にせよ、この瘴気をどうにかできるのは私しかいない。
私は更に川を遡る。
川幅は更に狭くなり、時々小さな流れへと分岐してゆく。
私は瘴気が流れてくる支流へと進む。
川沿いの木々や藪は全て朽ち枯れ果て、水を飲もうとしたのだろうか、野性動物が川の側で倒れているのが散見される。
ふと、川沿いに作られた小さな小さな集落が目に入る。
そこで私は降り立って集落の様子を覗いてみるも……しかし住人たちは朽ちて僅かな煤のような塵を遺し、既にこと切れていた。
とんでもない広範囲に渡って、瘴気は被害を出しているようだ。
そして出発から半日……
川は山の谷間へと続いていた。
川幅は更に狭くなり、数歩で渡れるほどだ。瘴気は更に濃くなり、赤い霧が山に立ち込めている。この山の生物は全滅だろう。
アルコア様の神力を纏う私でも少し息苦しいほどだ。
「そろそろヤツが出てきてもおかしくはないはず……」
赤い霧の中からいつどこから魔人が襲ってくるかわからない。
警戒心を高めつつ、私は谷へ降り立ち先へ進む。
そして数分後――
「何あれ……?」
私はとうとう、瘴気の『源泉』を発見するに至った。
お読みいただきありがとうございます!!
『面白い』『続きが気になる』と思っていただけたら、星評価などを押してもらえると励みになります!!




