第13話 告死姫
お待たせしました!
ヴンヴロットの信徒たちは沸き立っていた。
信仰する神、ヴンヴロット様がボルガの肉体に受肉し、『獅子之王神』という神々しき化身となったのだ。
『安心しロ、お前ら!! この俺様が、ゴミどもを駆逐シて楽園を築いテやる!!!!』
儀式を完遂していれば、完全なヴンヴロットがこの世界に顕現していたのだが、それでもナラシンハには人類を滅ぼしうる力がある。
この力をもって、邪魔になり得た強者たちを鏖殺。そして光神ヴンヴロットはゆくゆくは世界を支配する。
そのはずだった。
――黒い風が泣いている
もはや何もできやしないはずのラズリーの身体が、宙に浮き上がる。
その首にはどこからか伸びる紅い縄が絞まり、吊り上げられているようだった。
風もないのにラズリーは揺れる。
足先から血の雫が滴り落ちた場所から、ちらりと白い雪のような『花』が咲いた。
『なんダぁ?』
ラズリーの異変に、ナラシンハは戸惑う。しかし、神に等しい存在となった自身にもはや危機というものはありえない。
だから呑気に『それ』が顕現する光景を何もせずに見ていた。
とはいえ仮に攻撃を加えていたとしても、意味はないのだが……。
紅い縄で首を吊ったラズリーの栗色の髪が、じわじわと侵食されるかのように薄い『金色』に染まってゆく。
ピキリ――
ラズリーの全身に砂嵐のような激しいノイズが迸る。
身体の輪郭が崩れてゆく。無明の闇に溶けていくかのように。
しかしやがて再び形を取り戻すも、それはもはやラズリーの姿ではなかった。
「あひゅっ、ひはっ、ははははははっ!!? うひゃはははははははぁぁっ……!!」
「はは、ははははっはは、おゆ、るしわ、ははははっ!!! ごぼっがっ」
『���』を視認したヴンヴロットの信徒たちは、例外なく奇怪な笑い声をあげながら自らの頸を絞め、あるいは喉を掻き切り笑い転げ回っていた。
彼女を許可なく視認しただけで、人間の精神は耐えきれず崩壊する。
〝神〟とはそういうものなのだ。
『頭が高いわね』
ラズリーの肉体に受肉した〝繧「繝ォ繧ウ繧「〟は、幼くも芯の通った声でぽつりと呟いた。
毛先は血に浸したように紅みを帯び、黄昏の空を想起させる金色の髪が風に靡く。
その身は紅く高貴なドレスを纏い、肌は雪よりも白い。
人の域を越えた、表現しようとするのも烏滸がましい美を湛えた少女であった。
しかし、それが人間でない事は明らかだ。
背後には翼のように彼女に追従する、巨大で幾重もの幾何学的構造を持つ光輪が七色に爛々と輝いていた。
光輪の色彩は色ごとに黒く隔てられ、人類の語彙では〝円形のステンドグラス〟と表現する他ない。
――異次元の色彩。嘗てその姿を見る事ができたあるものは、そう形容しようとした。
『なンだぁ、てめぇ? クソ聖女じゃねぇなぁ?』
ナラシンハは相対した『それ』に対しても姿勢を崩さない。
だが……〝それ〟の内包するあまりにも強大な力に、腰が引けそうになる。
『私? 私は――〝アルコア〟
ラズリーちゃんと契約している神よ』
――魂を狩り立てるものは、深紅の瞳でナラシンハを見据えた。
『そこの坊ちゃん、強いらしいじゃない? おいで、遊んであげる。私に掠り傷でもつけたら勝ちでいいわよ?』
『なっ、嘗めてんじゃネぇぇぞぉぉぉ!!』
子供扱いに激昂したナラシンハは、4本腕に装備した光の剣でアルコアへと斬りかかった。
その腕から放たれる神技は、一撃で国すら割る。この世界屈指の強者なら1発なら耐えられただろう。
しかし、ナラシンハは4本腕。つまるところ、どんな強者もナラシンハには敵わない。まさに食物連鎖の頂点、弱肉強食の王者。
今の攻撃の余波だけで100万人は殺せたはずだ。
だが……
〝アルコア〟には、遠く届かない。
『先手は譲ってあげたわよ。それじゃ今度はこっちから行くわね』
ナラシンハの4本の剣を片腕で受け止めたアルコアは、もう片方の腕で小さな握り拳を作り――
『えいっ』
『ごがっ……!?』
――ナラシンハの胴を打ち抜いた。
ナラシンハは風穴を開けられた腹から腸を撒き散らしつつ、音を遥か遠くに置き去りにして吹っ飛んだ。
しかし途中で見えない〝壁〟にぶつかり、停止する。アルコアが気を利かせて辺りをドーム状に隔てた〝絶対防御〟の壁だ。これにより、攻撃の余波が外部に出ることはない。
しかし――アルコアはまだ、攻撃に神としての力を使っていない。
今の拳の一撃は、ただの物理攻撃でしかない。
『が、げはっ……俺様は食物連鎖の頂点……弱肉強食の王者な、はず……』
『〝弱肉強食こそ真理〟、だったかしら? そういう薄っぺらな事言う奴ってほんとどこにでもよくいるわ。聞きすぎて食傷気味よ』
『っ……! クソ餓鬼が、調子に乗ってンじゃねぇぇっ!!!!』
腹の穴を一瞬で再生させ、ナラシンハはアルコアに向けて口から光の弾を放った。神力を圧縮した、1発で先の1撃と同等の破壊力を持つ技だ。それを、何十発も。
着弾するごとに大地が、森が、跡形もなく消し飛んでゆく。
さすがのアルコアもこれには無傷では済まない……なんてことはなく。
『力の扱い方が雑ねぇ』
アルコアは全ての弾を回避してみせた。
『お手本を見せてあげる』
そう言うとアルコアは、右手の親指を立て人差し指をナラシンハへ向ける。
それはとある世界で『銃』と呼ばれる形と同じであった。
そして
『〝極圧縮神雷弾〟』
人差し指の先から、小さな雷の弾が放たれた。雷弾は射線の弾をお構いなしに弾き進み、そしてナラシンハの半身を消し飛ばした。
神力を無駄なく極限まで圧縮する――簡単なようでいて、極めて高度な技術である。
『――強ければ生きて、弱ければ死ぬ。それも確かにある一方では事実でもあるわ。でもね、それだけじゃないの。たったそれだけで語れるほど世界は単純じゃないの。何よりそれだけなんて――』
肺も消し飛び、声さえ発せないナラシンハへアルコアは子供に言い聞かせるかのように語る。
『――つまんないでしょ?』
ナラシンハはまだ死んでいない。ヴンヴロットの力により不死身に近い再生能力を得ており、この程度ではまだ死ぬことはない。アルコアはそれを理解した上でまだ遊んでいるのだ。
『ぜぇっ、ぜぇっ……黙れぇっ! 弱肉強食は絶対だ!! 力の大小こソが全てを決める……!! それだけが真理だ!!』
『ふふっ、それだけしか知らないの間違いでしょ? 馬鹿の一つ覚えよ』
神の力を手にしナラシンハとなり得た絶対の万能感。それが、粉々に打ち砕かれようとしていた。
だが、そんなもの認められない。
『ぶっ殺してヤる!!!! その減らず口を潰し犯し嬲り殺してヤる!!!!!』
『ならやってみなさい、待っててあげるから』
ナラシンハは、再びアルコアへと斬りかかった。しかし先ほどまでとは違い、力任せではない。
ボルガだった頃に得た『勇者』と呼ばれるに値する技術をもって、アルコアを殺さんと近接戦を挑んだのだ。
手数は上、更に口からも神弾をいくつも放つ。
ナラシンハにとって、全身全霊の攻撃であった。
しかし、しかしだ。
それでもアルコアには、遥か遠く――
バツンッ――
4本の腕が不可視の斬撃に切り裂かれ、千切れ飛んだ。
それだけではない。ナラシンハの牙の並ぶ口元にアルコアの白く華奢な小さな手がそっと添えられ――
下顎が、引きちぎられた。
『――たとえ世界で1番強い獣でも、飢えに、病に、災いに、時として環境の変化に倒れあっさり死ぬ。
逆にどんなに弱い虫でも、それらに耐え生き残る者は必ず存在する。そういうのを私はずうっと見てきたの。両者の違いわかるかしら、頭の悪い小僧?』
顎と腕を再生させ、ナラシンハは再びアルコアへ襲いかかる。
『知るか知るか知るカァァァァァ!!!!!!! 俺様は最強にして頂点なンだぁぁぁ!!!!!!』
『うるさい』
しかしアルコアは、叫ぶナラシンハの頭を蹴り飛ばした。頭蓋が捲れ、脳組織の一部が摩り潰れる。
『あ、が、が……』
『――〝適者生存〟よ。どれほどに強かろうとも、その身に降りかかる理不尽に順応できなければ待っているのは死だけ。
逆にたとえどんなに弱い虫ケラでも、理不尽に順応し適応することができれば生き残って未来に世代を繋ぐ。食物連鎖……弱肉強食はその一環に過ぎないのよ』
ナラシンハはなんとか脳も再生させて、再びアルコアに対峙する。
しかし――もはや、彼の中にあったはずの全能感は綺麗さっぱり消え失せていた。
あるのは、みみっちいプライドを守ろうとする虚勢だけ。
『黙れ黙れ黙れっっ、俺様は最強なんだっ! そうでなきゃいけないんだっ!!!!!』
ナラシンハは、ただ力任せに神力を集約し全力で解き放った。
金色の咆哮が、直線上の全てを飲み込んでゆく。
それは今までのどんな攻撃よりも強く、大きく、破滅的であった。
これが仮にアルコアが構築した結界外で放たれていれば、大陸すら消滅していただろう。
しかしそれは机上の空論。
アルコアは迫る金色の光に手を向けて、ラズリーが使っていた絶対切断の原液とも呼べる力を行使する。
キンッ――
――空間が切り裂かれた。何度も、何度も、何度も。
バツバツバツバツバツバツバツバツバツバツバツバツバツバツバツバツバツバツバツバツバツバツバツバツ――――
アルコアの前方の空間全てを、数万、数億、無数の斬撃が飲み込む。
ナラシンハが放った全力の咆哮も、斬撃の前に切られ切り刻まれ圧し潰されて、実にあっけなく消滅したのであった。
『さて……観てるんでしょう小僧? 適応できるかしら? 降りかかるこの理不尽に――』
『ひぃっ……!!?』
空間を切り刻む無尽蔵の斬撃の嵐は、そのままナラシンハをも飲み込んだ。
『ぎ、がっ、ば、あ、あぁ、ぁ、だ、だずげ、ばっ――』
ナラシンハの肉体が、切り刻まれ、再生し、切り刻まれ、再生し、切り刻まれ、再生し、切り刻まれ、再生し、切り刻まれ、再生し――
『ほらほら頑張れ♡頑張れ♡』
余談だが――今のアルコアは本体ではない。これはラズリーの肉体に受肉させた、ほんの分霊でしかないのだ。
更にその上、一切本気を出していない。
やろうと思えば無尽蔵の斬撃の嵐をより広げ、この惑星もろとも粉にする事も可能なのだ。だが、今のところそれをする気はない。
*
斬撃の嵐が止んだ。そこには何も残っていない荒野が広がっていた。
その中心に、斬撃の津波を乗り切った……いや、死ねなかったナラシンハがあお向けに倒れていた。
『は、はっ、ははっ……! どうだぁ! 俺様はまだ生きているぞ!! その程度か!!!』
虚勢――だったはずが、まだ生きているという事実に消えたはずの万能感が戻ろうとしていた。
――力では敵わない、しかし死なないのであれば戦い続ければいつかは届く――
そんな、ありもしない幻想に縋り立ち上がる。
だが――
『もう飽きたし、死んでいいわよ』
『……は?』
アルコアの足元から、荒野に闇よりも黒い『何か』が広がった。
そしてその『黒』の下より、一斉に真っ白な花々が咲いた。それは広野を埋め尽くし、ナラシンハの足下にも広がる。
『な、なんだ……!?』
『黒』に、足が沈む。水面のように、あるいは砂地獄のように。ズブズブと沈むほどに視界に白い花が近づいてゆく。
『結局のところ、あんたは弱肉強食なんてどうでもよかったのよね? 多少力が強かった以外に誇れるものが何もないんでしょう?』
『や、やめっ……』
『黒』から足を引き抜こうにも、力が入らない。
もがけばもがくほどに、沈んでゆく。
『た、助けてくれっ、やめろっ、死にたくない!!!』
そこでナラシンハは、『沈んでいる』のではない事に気がついた。
――引きずり込まれているのだ。
『黒』い、無数の何かに。
両目と口を針金で縫い留められた、まるで笑っているかのような黒い人型に。
黒い手が、手たちが、ナラシンハを――ボルガを『黒』へと誘い引きずり込んでゆく。
『――だから自分に唯一ある『力』を振り翳し、気に食わない事は力で抑え付け蓋をして、それで解決した気になっていただけ。その言い訳に弱肉強食論を口にしていたのよね。
つまりは、うまくいかないことを他人のせいにしていただけ』
黒にほとんど引きずり込まれたボルガの脳にアルコアの言葉が響く。
否定したくとも、その言葉全てが図星であることを自分が1番よく知っている。
『まあ、その『力』すらも大したものじゃなかったようだけどね? 借り物の力で何が弱肉強食の頂点よ』
――死にたくない、死にたくない。
神力が抜けてゆく。もはや何もできやしない、成せやしない。
そうして完全に無明の闇に取り込まれる寸前、ボルガだったものにアルコアは最後に心底どうでもよさげに呟いた。
『ほんと、つまんないやつね』
――と。
更新は明後日になりそうです(明日はたぶんムリ)
(実は他作品と極めて強い繋がりがあったりします……作者的オススメは『NPCなんかじゃない!』です(ステマ))