第12話 獣の王
女神アルコア、と人類より呼称されている存在。
それは神々の中でも別格の存在であり、それ故にこの世界への干渉は強く制限されている。
――聖女ラズリー。
彼女は女神アルコアがこの世界へ干渉するための唯一の手段であり、彼女さえいなくなればアルコアはこの世界への影響力の全てを失う。
この世界の覇権を狙う神々は、待っていたのだ。ラズリーを殺すチャンスを。
そして、それは成された。
ヴェルディという、人外の雌に変貌した少年によって。
*
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
延々とそれしか呟くことのなくなったヴェルディに、もはや生きる気力などない。
齢11歳、今までの人生のほとんどを痛みに怯え暗がりで過ごしてきた。
そんなヴェルディが見た、初めての光。
共に過ごしたのはほんの1ヶ月なのに、世界で1番大事な、守りたいと思えた人。
その人を、自ら手にかけてしまった。
もはやヴェルディが望むものは、死と罰のみ。
「くははははははっ!!! おかしくなっちまったよコイツ!! こんなんで受肉できるのかぁ!?」
「問題ございませぬ。我らが神が降臨するに必要なのは強靭な肉体。心と魂は不要にございます」
腹を抱え笑うボルガの疑問に答えたのは、初老の信者。
ヴェルディは聖女を殺害するべくして禁術を用い作られた『神獣』である。
しかしその聖女が死んだ今、今度は神の器として再利用されようとしていた。
降臨の儀は、新月の深夜0時に行われる。聖女ラズリーを殺害してから三日後の夜のことであった。
そしてその場所は、シリスの街の西に打ち棄てられた『ヴンヴロット教』の教会。かつてアルコア信仰により廃れた一神教である。
その礼拝堂にて、白装束の信者どもは天井に吊るされたヴェルディを見上げ神に祈りを捧げていた。
時刻は23時30分。約束の時は間もなくだ。
*
「見えてきた……!」
月明かりもなく真っ暗な中で、私は探知能力によるヴェルディちゃんの情報を頼りに『西の廃教会』を目指していた。
街からは小さな森を隔てているため見えなかったが、灯りがついていて中で何かをしているのが見てとれる。
『ちょっと待ってラズリーちゃん!!』
「うおっと、何ですかアルコア様?」
急にアルコア様に呼び止められて、急ブレーキで止まる。なんじゃいいきなり。
『あの教会……〝神域〟化してるわ』
「……マジすか?」
神域……神の造り出す領域だ。要するに神のテリトリーで、知る限りじゃ神聖魔法の出力が向上したりするけれど。
……それだけではあるまい。
『自らの神による神聖魔法の効果が向上するのはもちろん、他の神との神聖魔法は大きく弱まるし、神域の強度次第では神力の供給もできるかどうか怪しいわね……。改めて警告するわよ。死ぬよ?』
「分かってるくせに。私は死んでもヴェルディちゃんを助けたいんだって」
『そうだったわね、不粋だったかしら』
「いいえ、心配ありがとうございます!」
『ふふっ、幸運を祈るわ』
女神様に祈られた所で、私は一気に教会へ突入した。
空気が、というより『世界』が変わったような気がする。
空気はからっと乾き、夜中にも関わらず教会内は異様に明るい。
そして朽ちた礼拝堂の天井から、操り人形のように何本もの紐で吊るされた――ヴェルディちゃんが目に入った。服は着ておらず、手のひらや肩には釘のようなものが突き刺さっているようにも見える。
「何奴!!?」
うおっ、バレた。
これでもうこっそり救出する線は潰えたね。まぁ、元からそれが成功するとは思ってなかったけど。
「お姉ちゃんが助けに来たよ! ヴェルディちゃん!!」
「お姉、ちゃん……?」
私は宙吊りのヴェルディちゃんに手を伸ばす……が、しかし。
「クソ聖女ぉ!!! なんで生きてんだよ!! 大人しく死んどけよ負けたんならさぁ!!!!
ヴェルディ!! 聖女ラズリーを食い殺せ!!!」
「あっ、あぁぁぁぁアアアアアア!!!!!」
ヴェルディちゃんの姿が、あの巨大な鼬のものへと変貌する。
神聖魔法は……かなり弱まってるね。
アルコア様とも会話もできないし……
ははっ、前回と違い策はある。
けれど、私が死ぬ可能性も高い。
それでもやらなくちゃいけないんだ。何故なら私は『お姉ちゃん』だからね!!
*
『食い殺せ』という命令なだけあり、ヴェルディちゃんは私へ噛みついてもくるようになった。
――僥倖。
策はある。あるけれど……さすがにヤバくなったら、これがダメだったなら、アルコア様に〝任せる〟。
けれどこれは、私がやらなくちゃいけない事。私が、ヴェルディちゃんを助けてあげなくちゃいけないんだ。
「ヴァァァァァッ!!!!!」
っ!!
咄嗟の回避も思うように動けず、迫り来る涎のまみれた噛みつきを私は避けきれなかった。
「ぐ、うぅぅぅっ!!!」
左腕を、喰われた。
即座に治癒魔法で傷口を止血する。
「クソ聖女ぉ、どうしたさっきまでの威勢はぁ? このままじゃ大好きなヴェルディちゃんの糞になっちまうぜぇ?」
「うるさいっ!! 黙ってろ!!!」
私は片手間にボルガへ向けて雷撃魔法を放った。神聖魔法じゃないただの魔法。
「ひいっ!?」
それでもアイツを黙らせるには十分だったようだ。
相変わらず私はヴェルディちゃん相手に不利な立ち回りを強いられている。
……一見ね。
美味いか、聖女の肉は。
まだまだあるよ、たんとお食べ。
「ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッッッ!!!」
私はダメージの蓄積で動けなくなったような〝フリ〟をして、迫るヴェルディちゃんの口に自ら飛び込んだ。
バクンッ
ムシャムシャ……ゴクンッ……
*
「くはっ!! 今度こそ死んだろクソ聖女め!! 安心して地獄に落ちろよ、明日には大好きなヴェルディちゃんの糞になってるからなぁ!!」
ボルガはヴェルディがラズリーを飲み込んだのを見て、勝利を確信した。
どんなに重傷を負っても回復するのならば、消化して骨だけにしてしまえばいい。
その判断自体は間違いじゃない。
……だが。
――そう来ることそのものが、ラズリーの策であることに、気づいていない。
「ガァッ……!?」
突如、ヴェルディが苦しみだした。
のたうち回り、転げ回り、激しく咳き込んでいる。
「なっ、何だ!? 腹でも壊しちまったのか!?」
ここまで全て、ラズリーの手のひらの上。
ボルガは未だ、気づいていない。
*
どうやらヴェルディちゃんは咀嚼もほどほどに私を飲み込んだようだ。幸い右手は無事だ。両足は噛まれて折れちゃったけど、あとでなんとかなる。
このサイズ差がむしろ都合が良かった。
ヴェルディちゃんの心臓と魂は、何らかの神の神力により縛られている。
それをどうにかするには、心臓にアルコア様の神力を注入して中和するしかない。
しかし、私より素早く警戒心の強い今の野生のヴェルディちゃんには、戦いながらそれをするのは不可能だった。
だから――
――絶対に避けられないよう、体内から直にやることにした。
私はヴェルディちゃんの胃袋の中で身をよじり、他の神の力を強く感じる場所へ右手を向けて、アルコア様の神力を流し込んだ。
『~~~~!!?』
ヴェルディちゃんの体が激しく揺れ動く。
ごめんね、苦しいよね。でももう大丈夫、お姉ちゃんが解放してあげるから――
「げほっ、げほっ、おえぇっ」
「ヴェルディ、ちゃん……」
いつもの姿のヴェルディちゃんが、私のすぐ後ろで嘔吐く。
良かった、戻れたみたい。
私も吐き出されたし、このまま逃げ切ればハッピーエンドなんだけどな。
でも、そうは問屋が卸さない。
「クソクソクソ、クソ聖女っっ!!!!! 女の分際で俺様の邪魔ばっかしやがって!!!! 弱肉強食の自然界の摂理に反しているっ!!!!!」
「だから、何? ヴェルディちゃんが戻った今、お前らが私に勝てると思ってるの? お前らなんか片手で十分だよ」
治癒魔法で無理やり両足の骨を繋げ、立ち上がる。
虚勢だ。今の私に戦う力はもうない。
「くっ……こうなればやむを得んっ!!!」
んっ?
ボルガが何かを飲み込んだ。あれは……神力の塊?
「神よぉ!! ヴンヴロット様よぉ!!! 俺様もあなた様の器に相応しい肉体でございます!!!! だから、どうか! どうか! 今だけでいい、俺様に力をっっっ!!!!!!」
え、えぇ……
眩い光と共に、ボルガの体がどんどん大きく膨れ上がり、歪に変形してゆく。
腕は4本、頭の骨格もめきめきと音をたてて別の生物へと変貌してゆく。
「ははっ、がはっ、ヴァハハハハハハッッ!!! 素晴らしイぞ、身体ニ満ちるこの力!!!!』
見たことないほどに莫大な神力。
いや、もはや神力を纏っているのではなく、自ら作り出しているという方が正確か。
〝ヴンヴロット〟とやらいう神が、ボルガの肉体に受肉したようだ。
『こレがっ! 俺様の真の力っ!! 今をもってボルガの名を捨て、新たニ名乗ろウではないか!!!』
変貌を遂げたボルガは、もはや人の姿ではない。
小麦畑のような金色の毛皮を纏った、眩い光を放つ魔神――
腕は2対あり、どれもが剣を握っている。
そしてその頭部は、獅子のものへと変わっていた。
『俺様こそが弱肉強食の頂点っ! 獅子之王神様だぁ!!!』
ボルガの意識をそのまま残してるのは、儀式とやらを経ていないからだろうか。恐らくは不完全な受肉。
どちらにせよ、あの化け物を世に解き放つ訳にはいかない。
ナラシンハが暴れれば、下手をすりゃ大陸すら消し飛びかねない。
しかし今の私は満身創痍、ヴェルディちゃんは失神している。
そもそも万全だったとして勝てる相手ではない。
だから――
「――アルコア様、後は任せます」
そして私は、自らを生け贄に〝魂を狩り立てるもの〟をこの世に顕現させる禁呪を唱える。
「――〝Зеркало,о зеркало〟」
どこからかしゅるりと紅い縄が私の首に巻きついた。
それを認識したのを最後に、私の魂は無明の闇に飲み込まれた。
黒い風が泣いている。
そして――
最終回直前みたいなノリですけどまだまだ続きます。
面白かった、続きが気になる、やっちまってくだせえアルコア様!!
と思っていただけた方はブックマークやページ下部から星評価をぜひともよろしくお願いいたします。作者のモチベに繋がります!!