第11話 聖女殺しの獣
「ぐぶっ……」
私の剣を受けたボルガの身体は斜めに引き裂かれ、死に体の様相であった。
かつて魔王を倒した勇者、とかいうけれど。
こちとら殺戮の女神相手に何百年も模擬戦してきとるんじゃい! ポッと出の勇者に負けてたまるか!!
「ぐぞ、ぉぉぉぉっ!!」
「しぶといな、今とどめを刺してあげるよ」
私はもう一度剣を振りかぶり、今度はボルガの頭へと――
「――命令だ、聖女ラズリーを殺せ!! 〝ヴェルディ〟!!」
「えっ――」
その刹那――
私は、完全な意識外からの一撃により意識を刈り取られたのであった。
*
『起きなさい、ラズリーちゃん』
「う……」
『起きなきゃ喰われるわよ』
「――っ!!?」
気がついて全力で横に転がって、私はその『一撃』を回避した。
灰色の巨大な獣の掌が、私がいた地面を大きく抉った。
その掌のごわごわとした毛皮から、剣のように鋭い黒い爪が伸びている。
「な、何が……」
「ゴルルルル……」
まだ思うように動かない身体を必死で起こして、私はその『怪物』の全容を目の当たりにする――
大きな大きな、とぐろを巻けば我が家くらいは巻けそうな、大きく長い『獣』。
灰色の毛並みを逆立て、私へ金色の眼で睨み付ける。
巨大なイタチの魔物のようにも見えるが……まさか、いや。そんな。
あの耳の形はいっつも見てきたあの子のものにそっくりで。
それでも目の前の獣は、牙を剥き出しにして私に殺気を向けていて。
「くはっ、ひゃひゃひゃひゃひゃ!!!!!
どうした聖女サマ? 殺せよ!!! 殺せるもんならなぁ!!!?」
「やっぱり、そうなの……?」
信じたくない。けれど、目の前にいる獣の正体は――
「ヴェルディちゃん?」
ぴくりと獣の耳が動いた。
そうなんだ、この子はヴェルディちゃんなんだ。
ヴェルディちゃんはアルコア様以外の神による莫大な『神力』を纏って、私を殺そうとしてくる。
どうすればいい? ヴェルディちゃんがボルガに操られているのはわかるのに。
いつの間にかボルガの傷は完治している。ボルガを殺そうにもヴェルディちゃんが邪魔をする。
くそう、まださっきの一撃が響いてる。体に力が入らない。
『! ラズリーちゃん、後ろ!!』
「がっ……!?」
私より、速い……!
ヴェルディちゃんはあの巨体にして一瞬で背後から私を殴り飛ばした。
ダメージも凄まじい、防御しててもあと2回も食らえば完全に動けなくなってしまう。
アルコア様、どうすればいい!!? どうすればヴェルディちゃんを助けられる!?
『……心臓よ。あの子の心臓にありったけの神力を流すの。ヴェルディちゃんを操っている他の神の力は、心臓を起点に魂を縛ってるわ。それを中和すれば、あるいは……ね』
「ありがとうアルコア様っ!!」
微かな希望を頼りに、私はヴェルディちゃんと相対する。
ヴェルディちゃんの肉体は私より遥かに膨大な神力に満ちている。
言うなれば超強力な身体強化の神聖魔法がかかっているような状態。
――聖女を殺せる神獣、か。
本当だったみたいだね。
それでも……
大丈夫、お姉ちゃんが必ず助けてあげるからね。
私は、ヴェルディちゃんに立ち向かう。
「アァァァァッ!!!!」
私はヴェルディちゃんの胴体の下に身体を滑り込ませ、心臓の位置に手を触れる。
そして、神聖魔法を行使するのに必要な『神力』を流し込み――
「ぎいっ……!」
突然、無数の針が伸びた腕に振り払われた。
同時に私の左腕と右足を針が突き破り、貫通する。
いってぇぇ!! なにそれ……どうなってるの?
やっべ、刺された手足に力入らない……神経やられちゃったか?
そんな私を待ってくれるはずもなく、次の一撃が私に襲いかかる。
「絶対防御――!」
これはなんとか防いだ。
しかし、だ。
神力を流し込む時、同時に神聖魔法は使えない。防御も常時張ってはいられないし、身体強化も都度かけ直さなきゃいけない。
「グルル……」
しかも。
獣形態のヴェルディちゃんに理性があるようには見えないけれど、確実に私の動きを学習している。
だんだんと隙を見せなくなってきた。
殺そうとすれば、たぶん勝てる。
でも……ヴェルディちゃんを傷つけたくない。
それを向こうも理解しているのだろう。心臓に近づくのだけは拒否しつつも、捨て身の攻撃で的確に私へ攻撃してくる。
「ヴェルディ、ちゃんっ……!!」
ダメージの蓄積もかなり増えてきた。左腕はもうほとんど機能していない。
対して向こうは無傷。
はは、白かったワンピースが真っ赤でズタズタだ。
頭まわんねぇ~……回復する隙もヴェルディちゃんは見せてはくれないか。
どうしよう、私死んじゃうかもしれない。
『それはダメよ……! 絶対に死んじゃダメ!!』
あは、珍しくアルコア様が焦ってら。
あぁ、ほんとに頭がぼやけてきた。血を流し過ぎたかな。あぁ……
もう、立ってるのもやっとだ。
あぁ、次の一撃は避けられないなぁ。ごめんね、ヴェルディちゃん……
『ダメよ、そんなのダメ!!! 許さないわ!!』
脳内ではアルコア様の悲鳴、視界ではヴェルディちゃんが私を踏み潰す光景。
それを認識したのと同時に、私の意識は暗闇へと飲み込まれていったのであった。
*
「くははっ、ひゃひゃひゃ!!!! ざまあねえなぁ、クソ聖女!!! これが俺様の力なんだよ、思い知ったか!!!」
血溜まりの中心に倒れる聖女ラズリーを見下し、ボルガは勝利に酔いしれる。
聖女殺しは信仰する神により、絶対に為さなければならない仕事。それを叶えたボルガは、教団の中でも強い発言権を得るだろう。
「よくやった、ヴェルディ! お父さんは嬉しいぞ!!!」
「え……? お姉、ちゃん?」
人型の姿へ戻ったヴェルディは、目の前の最愛の人のなれの果てに困惑する。
――なんで?
――どうして?
――死んじゃやだ
最愛のお姉ちゃんが、あの日のお母さんと重なって。
「よぉくお聞き? お前が聖女を殺したんだ。そう、だぁいすきなお姉ちゃんをなぁ!」
「ボクが、お姉ちゃんを……?」
信じたくない、認めたくない。
それでも目の前の現実は、ヴェルディの心を冷たく蝕んでゆく。
「くはははっ! なぁそんなに落ち込むなって! お前にはまだ大事な仕事が残ってんだって!!」
「あぁ、ああぁぁぁっ!!」
――今日も空は青く澄み渡り、穏やかに時間は流れて行く。
遠くの誰かさんにとってはきっと、素敵な日だったのだろう。
――――
ぶっはぁーーーー!!!!
死ぬかと思ったああああああ!!!!!
こんなに死にかけたのは何百年ぶりくらいだろう?
いやぁ、ギリッギリ。ギリッギリ助かったわ。
咄嗟に自分の肉体に結界を張り、対内条件として治癒魔法をかけ続けるよう設定した。
おかげで辛うじて意識を取り戻せるくらいまでは回復して、そこからは神聖魔法で全快。突き刺さった針を抜くの大変だったわ~! 褒めて!
いやぁ、それでもギリギリ死ねてたね。ホント運にも恵まれた。
あの後、獣形態のヴェルディちゃんが死にかけてる私を食べたりとかしてたらもう無理だったとおもうよ。サイズ的に一飲みだし。
うん、そうしなかったのはきっとあのヴェルディちゃんの中に微かに理性が残ってたからなんじゃないかな??? え、ちがう?
いやいや、そういうことにしておきましょうや!
……それはそれとして。
ボルガことクソ親父。あいつの神聖魔法は恐らくは超再生だろう。致命傷を負おうとも絶命しない限りは治癒するというものだ。
ヴェルディちゃんはそんなあのクソ親父に連れていかれたみたいだけど、どこに行ったのかな?
ソッコーで助けにいきたいんだけど。
『……西にある教会の廃墟で儀式を行うとか言ってたわ』
「儀式?」
『恐らくだけどね、あのゴミ虫どもが信仰している神を降霊させるつもりなんじゃない? それの触媒にヴェルディちゃんが使われるみたいよ?』
え、何それ? 神を現世に降ろす?
そのためにヴェルディちゃんが使われる?
それってヴェルディちゃんはどうなっちゃうの?
『神の分霊か何かをヴェルディちゃんの肉体に受肉させるやり方だと思うわ。そうなればヴェルディちゃんの魂は……失われるわ』
「何だって?!」
そんなの許される訳がない。
今すぐにでも助けにいかなきゃ!
『一応言っておくわよ。……今度こそ死ぬよ?』
「分かってますよ、アルコア様。でもね。私の人生で今まで死んででも助けたいなんて思える人、いなかったんですよ!!」
『……ふふ、そうね。その気持ちはよくわかるわ。だから止めはしないわ』
何か今アルコア様が意味深に笑ったような気がする。
けどそんなこと気にしている暇はない。
『ただね、ヴェルディちゃんを元に戻せたとしても、神力を使いきったラズリーちゃんではあれだけの信徒相手はキツいでしょう?』
「それはそうですけど……」
『だからその時になったら後は任せなさい』
主人公や味方の人間が死ぬことはありません。大怪我くらいはあります。