ルベルト、困惑中 (天の声視点)
婚約者のアイリルから前世の記憶が蘇ったと聞かされたルベルト。
その内容はとても信じ難いものであった。
(前世で俺がリルに婚約解消を申し出ただと……?)
アイリルの前世ということは等しくルベルトの前世でもあるといえる。
そして当然、同時代を生きるその他の人間全てにおいても……という理論になり、その場合全員が再び同じ人間として二度目の人生を送っているという事になる。
個々の年齢差から考えると、では一体いつからが生まれ変わりの人生の始まりなのかという疑問点が発生し、結果その答えがたどり着く先は人類が誕生したその時から……ということになってしまう。
それはどう考えてもおかしい。どう辻褄を合わせようとしてもまともな話ではない。
だけどアイリルは嘘を言う人間ではない。
妄想を信じ込む愚かな人間でもない。
彼女がこれから先に起こることを言い当てたことから推測すると、予知とも呼ばれる“先見の目”のギフトを持っていると考えるか、もしくは“時戻りの術”が用いられたと考えるのが現実的だろう。
ルベルトはかつての学舎であるアデリオール魔術学園で、“時戻りの術”という時を戻す古代魔術があることを学んだ。
だがそれは高度な術式とそれを発動させる特別な魔力を必要とし、術の使用はほぼ不可能であるとされているとも学んだのだ。
(でもアイリルの話が本当ならば、誰かがその不可能に近いと言われた魔術を用いて時を巻き戻した事になる)
アイリルにそれを行うのは無理だ。
なぜなら彼女には魔力がない。
では一体誰が?
誰が時を巻き戻したというのか。
不可能に近いと言われる魔術を成功させたのは誰なのか。
そして、
(そして時を戻す魔術を発動させる動力はたしか……人の命だったはずだ……生命の全てを魔力に変換する。一体誰が命を対価として払ったんだ……?)
そこまで思考を巡らせていたルベルトだが、考えすぎたせいか頭痛がしてきた。
いや実際に頭が痛い問題である。
過去に経験したことだと明日や半年後のことを言い当てたアイリル。
それをルベルト本人が身をもって体感したとあっては冗談や妄想だとは片付けられない。
彼女の話が事実であると肯定した上で、これから対処していくのが最善手だろう。
(いやでもしかし……俺がリルではない他の女性を愛しただなんて、それが信じられないな。それとも過去の俺はリルを愛していなかったのか……?)
ルベルトの可愛い婚約者。
勝気で芯が強く朗らかで心根の優しい、自慢の婚約者だ。
二人の婚約はルベルトが十六、アイリルが十三の年に結ばれた。
婚約当初は妹のような感覚がしていた。
だが同時に彼女を妹と思ってはいけない、という不思議な感覚を覚えたのだ。
それがなぜなのか理解できなくて、却ってアイリルを意識するようになった。
意識をするということは、その相手をよく見るということに繋がる。
よく見るということはその相手のことをよく知るということに繋がるのだ。
アイリルのことを知れば知るほど、彼女のことを好ましく思っていき、そしてそれがいつしか恋情へと変わっていた。
(アイリルのことを色々と語って聞かせてくれた女性家庭教師のジネット先生に感謝だな)
アイリルの方もルベルトが初恋の相手でありこの世で一番愛している異性だと公言するほど、ルベルトに想いを寄せてくれていた。
親同士が決めた婚約ではあったが、ルベルトとアイリルは相思相愛であったのだ。
それが前世の記憶が蘇ったということによりアイリルの態度が激変した。
前世とやらで(ルベルトは時戻りであると推測しているが)よほど辛く悲しい思いをしたらしく、その記憶に縛られて今のルベルトの言動を一切信じなくなってしまったのだ。
どれだけアイリルを手放すつもりがないことを伝えても彼女の心には届かない。
頑なに心を閉ざす様子はまるで頑丈な要塞の中で籠城を決めた騎士のようだ。
(まぁかといってただ手をこまねいて遠巻きに眺めているつもりはないが)
とりあえず職業婦人になるという、彼女の望みを叶えてみようと思う。
世間知らずのポヤポヤなアイリルが危険な目に遭わないように誘導し、かつ目を光らせておかねばならない。
そんなことを仕事の合間にふと考えていると、ふいにルベルトのデスクにコーヒーの入ったカップが置かれた。
「ん?」
温かな湯気が立つカップを目にしたルベルトが視線を上げると、そこには同じ魔法律事務所で働くアラベラ・マルソーが立っていた。
アイリルの言うところによる前世でルベルトが愛した〈らしい〉女性だ。
そのアラベラが笑みを浮かべてルベルトに言う。
「何かお悩みですか?ずっと思い詰めたお顔をされていますよ。どうぞコーヒーでも飲んでひと息つかれてください」
どうやら悶々鬱鬱と考え事をしていのが筒抜けであったようだ。
それでわざわざコーヒーを淹れてくれたらしい。
「あ、ありがとう。いただくよ」
ルベルトがそう礼を口にするとアラベラは、「いいえ。お気になさらないでください」と言って自分のデスクへと戻って行った。
見れば他の職員の机にはコーヒーはのっていない。
どうやらアラベラはルベルトにだけコーヒーを淹れてくれたようなのだ。
「…………」
思い悩む様子のルベルトを見かねて淹れてくれただけで他意はないのかもしれない。
だけどアイリルからあんな話を聞かされては変に意識してしまうではないか。
「はぁ……」
ルベルトはひとつ、大きなため息をつく。
アイリルの笑顔が見たい。
どうすればまたあの屈託のない、心からの笑顔を見せてくれるようになるのか。
悩みは深く、困惑は大きく。コーヒーを飲んでもとても落ち着きそうにはなかった。