それぞれの後悔 (天の声視点)
「……そもそもあなたに“前世”というものは存在しないわ。あなたが生まれ変わりだと思っている《《前》》のあなたも、紛れもないアイリル、あなた自身なの。生まれ変わって二度目の人生を生きているのではない、あなたは過去に戻って同じ生をやり直しているのよ」
「…………え?」
ジネットのその言葉にアイリルは瞠目した。
そしてその言葉とこれまでの会話から生じた疑問をジネットにぶつける。
「ちょっと待って?もしかしてジネット先生にも前世の記憶が?」
「だから前世ではなく過去の記憶なのよ。あなたは生まれ変わったのではなく、ジルベールとルベルト様の二人が行った“時戻りの術”で過去に戻ったの」
「えっ、……とき、もどりのじゅつ……?そんな魔術があるの?時間を巻き戻す魔術?……ちょっと有り得なくないですか?」
「あら、あなたがそうだと信じている、同じ人間に生まれ変わるというものの方が有り得ないと思うんだけど?」
「………言われてみれば……たしかにそうかも……でも、えー……時間を……?うーん……」
腕を組んで首を左右に傾げるアイリルを見つめ、ジネットは思った。
ここまでくるのに、本当に長い時間を要したと。
だけど過去にこの選択をして、時間を巻き戻して生きてきたことを後悔したことは一度もない。
後悔ならそれまでに散々したから。
ジネット自身も、そしてルベルトも。
アイリルを死なせたことを悔やんで悔やんで、精神が病む直前まで悔悟したから。
だからやり直せると知ったとき、その指し示された光明に手を伸ばし、そして誓ったのだ。
今度は必ず、この悲劇を繰り返さないように尽力すると。
そして必ずアイリルを生きながらえさせて幸せな姿を見届けると。
「……先生?」
アイリルを見つめながら考え込んでいたジネットだったが名を呼ばれハッと我に返った。
そして気を取り直すように居住まいを正し、改めてアイリルに言う。
「強く成長したあなたの心が彼との未来を諦めたくはないと結論を出したのなら……あなたは過去に何が起きたのか知るべきね……その上で、あなたが自害した後の彼のことを知る方がいいと思うの。ルベルト様と向き合う前にね」
「一体何が起きたというの?私が死んだ後に、ルベルト様の身に何が起きたの?」
不安に瞳を揺らすアイリルに、ジネットは真剣な眼差しを向ける。
「まずは過去の私からの謝罪を。
私はあなたの先生であり、介添え的な役割もあったというのにあなたを注意深く見守らなかったことを心から謝りたいの……。初めての恋に盲目になり、あなたのことを見ているようで何も見ていなかった。理解しているつもりで何も理解していなかった……。あなたが一番辛いときに傍に居なかったことを後になってどれだけ後悔したことか。あなたを自害に追い込んだ責任の一端は私にもあります。だから……本当に……ごめんなさい……」
「先生……」
アイリルにはジネットが何に負い目を感じているのかがわかった。
たしかに過去のジネットはアイリルの女学院時代に出会ったジルベールとの恋に夢中になっていたから。
でも、それはアイリルが女学院に入学して女性家庭教師の役割を終え、シャペロンとしての役割を残していただけだったのだからジネットに落ち度はないと思う。
彼女だって自分の幸せを大切にする権利があるのだから。
だけどそれをどうジネットに伝えるべきか。
自責の念に囚われ思い詰めた表情をするジネットに、アイリルはどう言えばいいのかわからない。
ようやく浮かんだ言葉はありきたりなもので、それでもアイリルはジネットにその言葉を告げる。
「先生は悪くないわ。お茶会などの社交で介添えが必要な時は必ず一緒にいてくれたし……すべては弱虫だった私が悪いの」
アイリルの言葉にジネットは静かに首を振った。
「違うわ。……今も昔も、私はあなたが可愛くて大切な存在だったのに、自分のことでいっぱいになってあなたの心情に寄り添えなかった。私があなたの悲しみに気付いたのは、あなたの亡き骸を目にしたときだったのよ……そんな様であなたを大切な存在だと思っていたなんて、聞いて呆れるわよね……」
自嘲するジネットの瞳には深い悲しみが宿っていた。
「ジネット先生……」
やはりアイリルにはなんと言葉掛けをしていいのかわからない。
“気にする必要はない”
実際に自ら命を絶った自分がそう告げても、薄っぺらい言葉となってしまう。
黙り込むアイリルにジネットは告悔を続けた。
「私も、ルベルト様もあなたの死に耐えられなくて心が壊れそうになった。だからジルベールが……」
「時を戻す魔術を使うと?」
アイリルが言葉の続きを拾うようにそう言うとジネットは頷いた。
「このままでは私もルベルト様もあなたが死んだ現実を乗り越える前に壊れてしまうと、それにこのままではあなたがあまりにも不幸だと言って……」
「ちょっと待って。先ほどから気になっていたの。先生が私の死を悲しんでくれたのはわかるわ。自惚れで申し訳ないけれど心を病むほど悔やんでくれたのも理解できる。でもなぜルベルト様も?彼は私と婚約解消して真に愛する人と結ばれることができて幸せだったはずよ?その結果私が自害したことに責任を感じることはあっても、嘆き悲しむだなんて想像もできないわ……」
かつての悲しみが思い出されて、アイリルの表情が陰る。
「それこそが、私があなたに告げようと思っていたことのひとつなのよ。……アイリル、驚かないで聞いてね。あのとき、過去のルベルト様はアラベラ・マルソーに魅了魔法を掛けられて彼女の意のままに操られていたの」
「…………え?」
「正確に言うならば魅了魔法を相手に掛けられる違法魔道具を使って、精神を乗っ取られていたの。結果、アラベラ・マルソーを愛していると思い込まされ、あなたに婚約解消を告げた……」
「そ、そんなっ……じゃあ、突然ルベルト様が人が変わったようになったのは……」
「アラベラに精神干渉を受けたからよ」
「ひ、酷いっ……酷すぎるわっ……!」
そのせいでルベルトは笑わなくなったのか。
自分を見てくれなくなったのか。
婚約を解消したいと言ったのか。
そして、自分は絶望して命を絶ったのか。
悔しい。悲しい。
アイリルは複雑に渦巻く感情を抑えるために膝の上で両手をぎゅっと握り合わせ、震える声を押し出した。
「……っ最低、だわっ……」
「そう。人として最低の行いよ。屑よ、腐った生ゴミよ、虫ケラよ。いえ、虫ケラなんて言ったら虫に失礼ね、あの女は最悪最低の悪魔の鼻くそ以下の存在よ」
悪態を並べるジネットに、アイリルは震えながらもしっかりと頷く。
ジネットは続きを話し出す。
「過去で推測した、ルベルト様が魅了に掛けられた時期はあなたに婚約解消を申し出る三ヶ月前。ちょうど今頃ね。あのとき、私は上官と喧嘩して地方の魔術師団に飛ばされたジルベールに会いに王都を離れていたからまったく気付けなかったの。……まぁ魔力の無い私が魅了に掛けられた彼と接したとしても見抜くことなんて無理だったでしょうけど……」
「それがどうしてルベルト様が魅了に掛けられたとわかったの?」
「あなたが自害したと知らせを受けて、私はすぐに王都に戻ったの。心配したジルベールがついて来てくれたんだけど、あなたの葬儀に参列したルベルト様をジルベールが見て……」
「なるほど……ジルベール様なら一瞬で見破ってしまうでしょうね。それで解術も彼が……?」
アイリルがそう尋ねるとジネットは頷いた。
「そうよ。魔道具による魅了なんてイミテーションのようなものだからね、後遺症もなく一瞬で解術できたわ」
簡単なように言うがそれはきっとジルベール・アズマという特級魔術師だから為せる業だったのだろう。
それまで重い口取りながらも語っていたジネットが何かを逡巡している。
それに気付いたアイリルは怪訝な表情を浮かべてジネットを呼んだ。
「先生?」
それまで目を伏せがちにしていたジネットが再びアイリルを見据え、そして静かで鉛を飲み込んだように苦しそうな声で言った。
「……解術されたルベルト様の絶望は凄まじかったわ……私の悲しみなんて、些末なことに思えるくらいに……」
「……そう、なの……?」
「過去の彼はあなたに対して恋情は抱いていなかったのかもしれない。でも深い親愛は抱いていたの、彼の心にはたしかに温かで優しい愛情が存在していたのよ。アラベラ・マルソーさえ居なければ、あなたたちはあのまま夫婦になって、穏やかに人生を寄り添っていけたはずなのにそれなのに自分がアラベラの術中に嵌ったせいであなたを死に追いやった……」
ジネットは苦しげにここで一度言葉を切り、大きく呼吸を繰り返した。
「……それを知った彼は、アラベラを殺そうとしたわ」
「えっ……!?」
「そのくらい、彼の精神は異常を来していたの。正常な判断が出来ないくらいにね……。今思えば、あのとき彼の心はもう壊れていたのかもしれないわ」
「まさかそんな……ルベルト様が……」
自分の死後にそんなことになっていたなんて……思いがけない真実に、アイリルは言葉を失う。
「だから、ジルベールが言ったの。私とルベルト様に『時を戻してやり直すか?』と」
俄には信じられなかった“時戻りの魔術”による時間の巻き戻し。
ここまでジネットの話を聞いたアイリルは、それが真実なのだともう理解していた。